第6話 聴取 メイド 長谷部千代(57)
「すみませんね、お忙しいでしょうに。少しだけお時間をください」
内容は穏やかだが、抑揚のない伊藤刑事の口調にメイドの千代は強張った笑みを浮かべた。
緊張をほぐすように藤田が缶コーヒーを差し出す。
「早速ですが、お名前と年齢、こちらでの勤続年数と採用された経緯を教えてください」
「はい。名前は長谷部千代です。年齢は先月で五十七歳になりました。こちらでの勤続年数ですよね? えっと……四十の時だから十七年になります。主人が早くに亡くなり、乳飲み子を抱えた私は、子供を親に預けて働き始めました。それが二十歳の時ですから、もう随分前ですね。ご主人様とは当時やっていた私の店で知り合いました」
「勤め先ですか?」
「ええ、学歴も手に職もない私にできることは水商売だけでした。でも一生懸命頑張ってお金を貯めて、お店を持つことができたのです。それが三十五の時です。お店といっても食堂に毛が生えたような小料理屋で、そこの常連さんがご主人様です」
「なるほど」
「小さかった娘も十六になっていて、店を手伝ってくれるようになって四年目のことです。常連さんもついてお店も軌道に乗り始めたのですが……娘は……妻子持ちの男と家出を……頼る人が居なくて、どうしてい良いのか分からなくて……常連の斉藤様に相談したのです。斉藤様はとても熱心に探してくださって……警察から連絡があって駆け付けてみると、娘はその男と心中していました。私は生きる気力も無くなってしまって、お店を開ける気にもなれなくて。憐れに思ってくださったのでしょう。この屋敷で働かないかと誘ってくださったのです」
「それはお辛かったですね」
「そうですね。とても辛かったです。その頃のお屋敷には書生さん達もまだたくさんおられて賑やかでした。私は毎日十人分の食事を三食作っていました。それはもう必死で働きました。悲しむ暇も無いくらい体を動かしましたね」
「それが四十歳の時ですね?」
「ええ、そうです。ご主人様は私の作る料理を懐かしい味だと気に入って下さって……ずっと居て良いからと仰って……」
「ご出身はどちらですか?」
「私は東京です。でも両親が東北出身なので味付けが濃いみたいなのです。ご主人様も東北地方のご出身かもしれませんね」
「ご存じない?」
「ええ、知りません。ご主人様はご自分のことを話すのを嫌っておいででしたから」
「そうですか。ところで長谷部さん、昨日は何をしていましたか? 朝起きたところから教えてください」
「昨日? 昨日ですか……私は五時には起きます。すぐにボイラーに火を入れてお湯を沸かして、厨房に入ります。朝食は和食と洋食を交互にお出しするのですが、昨日は……ああ、そうだ。和食の日でしたね。魚を焼いて、卵を焼いて……まあそんな感じです。食器の片づけが終わったら、美奈さんの掃除を手伝ってから、昼食の用意をします。昼食はいつも簡単なものを準備しますが、昨日は確かうどんでしたね」
「それから?」
「ご主人様と奥様も食堂で、お昼だけは私たちと一緒に召し上がります。その片付けが終わったら食材の確認に倉庫に行って……どうだったかしら? 掃除を手伝ったような? すみません、昨日のことなのによく覚えていません。というより、ほぼ毎日同じことばかりしているので、それが昨日のことだったか一昨日のことだったか……」
「わかりますよ。習慣化するとそんな感じですよね」
千代がホッした顔で、目の前に置かれた缶コーヒーを手に取った。
「もう年ですね。特別変ったことが無いと覚えていなくて。すみませんねぇ」
「いいえ、大丈夫ですよ。ではいつものように夕食を作って終わりってことですね?」
「はいそうですね。寝るのはいつも十時頃です」
「わかりました。ありがとうございました。ああ、それはこちらで処分しますので、置いておいてください」
千代は半分残っている缶コーヒーをテーブルに戻し、藤田刑事に付き添われて部屋を出た。
部屋に戻ってきた藤田が伊藤に言う。
「何と言うか……なかなかシブい人生を送ってきたみたいですねぇ」
千代の残した缶コーヒーを新しいビニール袋に入れながら伊藤の顔を見る。
「今日はまだ良い方だ。もっと凄いのなんて山ほどいるぞ。しかしさすがに少し疲れたな……一応ウラはとっておいてくれ」
伊藤がポケットから煙草を取り出した。
テーブルに置いてある灰皿を伊藤の方に寄せてやりながら藤田が口を開いた。
「今日はここまでにしますか? 先ほどのメイドさんならもう寝る時間ですよ」
伊藤が腕時計を見た。
「十時か。あと三人だったよな? ちゃっちゃと終わらせよう。次は執事を呼んでくれ」
藤田が無言のまま頷いて部屋を出た。
伊藤は煙草をもみ消して、換気のために窓を開けた。
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