ヨダカの夜明け~没落元人気歌手と売れないアイドルの激重感情百合の話~

宮ジ

第一章

第1話 わたしに曲を作ってほしいんですっ!

 今もしがみついている。ステージの照明に。観客からの憧憬に。他人を通した自己の証明に。やりたいことをやって、幼い夢を叶えて、そんな理想的な毎日に。

 けれどそれは太陽が西へ沈むように必然的に輪廻する。栄光には影がある。おごれるものは久しからず。盛者必衰の理をあらわす。

 「ありがとう」

 パラパラとまばらな拍手が降っては落ちる。一瞬激しく照った光の後に走り去った車が、いっぺんにそれらをかき消してしまう。

 私は座りっぱなしで冷えた尻をもぞもぞ動かして座り直す。もう春に入りかけているとはいえ、まだ夜は寒い。特にコンクリートは酷い。

 ギターの指板をなぞった。弦が擦れ、キュッ、と鳥の鳴き声のような音が鳴った。

 「次が最後の曲です。今日はありがとうございました」

 今日のおひねりは三千円くらい。ライブチケットのノルマは達成した。東京の最低時給を考えれば、一時間でこれはなかなか上等だ。

 「ありがとうございました」

 さっきよりも少しだけ増えた観客に向かってお礼をすると、またおひねりを貰えた。これで四千円だ。今日の夕食と明日の朝食と昼食くらいにはなりそうだ。

 機材とギターを片付けていると、たったったっ、と弾むようなアスファルトを擦る音と共に「あのっ!」と声をかけられた。

 「すみません! ちょっといいですかっ!」

 息を切らしてこちらへ来たのは、十人中十人が可愛いと言うくらいの美少女だった。

 私は女子の中でも小さい。だから私より背が高くても、特別大きいわけじゃない。なのに厚いブレザーと折られていないスカートに身を包んでいても、隠し切れないくらいスタイルが良い。身長以上にすらっとして見える。大人っぽい身体なのに、薄い口と筋の通った鼻に年相応の幼さがある。その声は甘い色でまさに美少女らしい声だ。肌は新鮮な果実のように瑞々しい。しかし私は彼女の目に何かを奪われそうになった。

 怖いくらいに透き通っている。その奥にあるものを見たくて思わず手を伸ばしたくなるような瞳だった。

 「あっ……はい、えっと、チケットですか?」

 私は面食らって先走ってしまう。やばい。間違ってたら恥ずかしい。

 「え? あ、はい! そ、それもなんですけど」

 美少女もなにやらあたふたしている。汗をかいて目をさまよわせ、口をせわしなく動かしている。そして何かを決心したように、形の良い細い眉をきゅっと釣り上げる。

 「あの! 『ヨダカ』さんですよね!? 連絡付かなくなったってニュースでやってたけど、大丈夫だったんですね!」

 「……へ」

 「あの、急なお願いで恐縮なんですけど────」

 彼女は大きく息を吸った。

 「わたしに曲を作ってほしいんですっ!」

 言葉を上手く理解できなくて、息が漏れるように声が出た。スローモーションみたいに、コマ割りフィルムのように、私の世界が細分化された。車輪とコンクリートが擦れる音が遠くに聞こえた。風に弄ばれているタバコの吸い殻がぼんやり見えた。

 「え、えっと? あの」

 固まった私へ、美少女は不安そうな視線を向けた。

 私はどうすればいいか分からなかった。身体が震えて、頭が破裂したように動かなくなって、無重力の中にいるみたいに足下が不安定になって内臓が蠢いた。

 だから、私は────

 「ひ、人違いですっ!」

 その場から思い切り逃げ出した。

 「えっ、ちょっと待って!」

 美少女を振り切る。ギターケースを背負い直す。がしゃがしゃケースが背中に当たって痛い。人の多い駅前でライブしたから、動くたびに誰かに当たって申し訳ない。

 でも、そんなことどうでもいいくらい今はあの子から逃げ出したい。

 「あーっ、待って待って待って!」

 しかし抵抗虚しくあっという間に追いつかれ、腕を掴まれ、見下ろされる。

 「お金ですか!? わたし事務所にお金を管理されてるからすぐには無理ですけど、実は今まで結構貯金してて!」

 「そ、そうじゃない! 曲なんてもう作れないっつってんの!」

 ぐいぐい迫られたから、相手に合わせて声が大きくなる。

 「マジで人違いだからっ! 離してよっ!」

 彼女の腕を引き剥がした拍子に声が反響してしまった。そこで気づいた。しまった。騒ぎすぎた。

 「あのー、すみません。ここ路上ライブ禁止なんですよ」

 何やら騒いでいるらしい、と聞きつけたのか怪しんだのか。警官が厳しい顔つきで声をかけてきた。これはまずい。

 「ごっ、ごめんなさい!」

 「あっ、ちょ! まだ話終わってないです!」

 私は機材を抱えると、我ながら凄まじい速さでそこから逃げ出した。

 走って、走って、見つけた小さな公園に入って一息つくことにした。遊具がブランコと鉄棒くらいしかない小さな公園だ。私はベンチに倒れ込むように座った。

 ひゅー、ひゅー、と喉に息がひっかかって変な音が出た。最近運動していないからそのせいだ。久々に全力疾走した。

 「ぜぇ、はぁ、げほっ」

 「あ、お水飲みます?」

 「ありがと……って、ぶふっ!」

 なんでいるの、と言いかけて飲んだ水が気管に入って悲惨な目にあった。激しく咳き込んでいると「だ、大丈夫ですか?」とさっきの女の子が背中をさすってくれた。

 「……なんでいるの」

 「追いかけたら追い抜いちゃいました。えへへ」

 「いや、そういうことじゃなくって……」

 なんで追いかけたんだ、ということを聞きたかったんだけど。汗一つ息の乱れ一つ無い顔でにっこり笑みを向けられた。

 「まだ話、終わってなかったので」

 あの目で見下ろされた。自らの浅はかさを見透かされそうで、私は思わず目を逸らした。

 「……無理だよ。はい。話は終わり」

 「わたし、こう見えて実はアイドルなんです」

 「話聞いて?」

 むしろ驚きもしない。声も顔も可愛い子がアイドルじゃない方がどうかしていると思う。

 「『九段フォーセブン』ってご存じですか?」

 「知らない人いないと思うけど……」

 『九段フォーセブン』とは、いくつものアイドルグループを成功させてきた超有名プロデューサーが立ち上げた新しいグループだ。清楚な子を見れば九段系、と評されるくらい知名度と人気がある。

 彼女は急に「こほん」と咳払いした。

 「あなたにわたしの光あれ! 朝日が来ましたーっ! 旭ヒカリです!」

 ばちこん! なんて擬音が出てきそうなくらい完璧なウインクまでつけて自己紹介をしてくれた。公式サイトで調べてみると、ヒカリは六期生で、学業とアイドル業を両立させているようだ。私の二個下だ。

 「……あのさ。そもそもの話、そんな大きなグループが、どこの誰とも知らないやつの曲なんて受け入れてくれないと思うんだけど。いや、やらないけどね?」

 「それがですね、なんと! 現在九段フォーセブンは大規模コンペを開催してるんですよ!」

 よくぞ聞いてくれました! と言わんばかりにヒカリは目を輝かせた。

 「プロアマ年齢性別経歴不問で楽曲を募集中なんです! 先生が亡くなってから色々グループも変化を求められてて、このコンペもその一環なんだそうです!」

 「……応募するだけじゃ受からないでしょ」

 「ヨダカさんが曲作るなら受かるに決まってるじゃないですか!」

 なぜか私より自信満々に胸を張られた。私はうんざりした。

 「私の何を知ってんの……」

 「公開されてる情報は大体知ってますよ、ファンなので! 新人コンテストの優勝とレコード大賞を史上最年少で達成したり、才能は抜群です! 天才です!」

 「……………」

 「でもそんなことより、わたしはヨダカさんの曲が全部好きなんです。歌詞が幻想的で、世界観があって、でも現実的な質感というか重みもあって。ルックスも好き、っていうか、最初の最初は顔ファンだったんですけど、いつの間にか曲も好きになってました」

 あはは、とヒカリは照れくさそうに頭を掻いた。私は黙りこくって、奥歯をもぐもぐ噛んで、そして口を開いた。

 「それ、どこのヨダカ?」

 「え? だから」

 「そんなヨダカ知らないな。だってそいつ死んだでしょ?」

 「でも」

 私は立ち上がり、二百円を彼女に渡す。「へ?」とキョトンとされる。

 「お水ありがと。でも、ずっと言ってるけど曲とか作らないから。キミとかキミのグループにどんな事情があるかなんか知らないし、興味も無いし、これ以上そういうのに関わりたくないし」

 離れるとき悲しそうに眉を下げられ、一瞬ほだされそうになってしまった。かわいい女の子はお得だ。

 「あ、あの!」

 「なに? ホントにもう話は……」

 少し言葉に棘を添えてしまう。しかしヒカリはそれには引きずられず、依然としてにこやかに言う。

 「ライブ、楽しみにしてます! 二年ぶりのヨダカさん、楽しみにしてますね!」

 ……ああ、チケット買ってるんだっけ。そういえば。ライブ当日に台風とか来ないかな。もうすぐ春だけど。 

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