怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人
こじらせた処女/ハヅ
第1話
「っふぅ、きゅーけー…」
風邪をひくってこんなにしんどかったっけ。休憩時間、誰もいない階段で耐えきれずに横になる。コンビニで買ったおにぎりは食べられそうにない。固い床に頬をつけて、目を閉じると少し楽だ。行儀が悪いけど許してほしい。
今日は朝から体が重かった。頬がほてった感じ、めまい、ふらつき。典型的な風邪の症状。でも今日は平日で、社会人の俺は仕事に行かなければならない。
大丈夫、怒られるよりはマシ。今日一日だけ頑張って、明日からの二連休はいっぱい寝ればいい。
「っは…っぁ…」
座っているだけなのに姿勢を保つのが辛い。時計を何度も見るけどいつもより何倍も長く感じる。休みたい、早くベッドに潜り込みたい、もうここで寝っ転がってしまいたい。体力が落ちているのだろうか。歳なのか。学生時代には考えもしなかったことが頭をよぎる。
休ませてもらおうかな、なんて。
「あの、先輩…」
いつも教えてくれる優しい先輩のデスクの前に行く。
「ん?どした?」
メガネを外してこちらを向く先輩。目が合うと何故か変に緊張して。少し幼い顔立ちで、目元に皺を寄せて微笑んでくれて、何も怖くないはずなのに。
「あの…おれ、」
言いかけて、言葉が詰まる。バクバクと心臓がうるさくて、ごめんなさいって言葉が何度も何度も頭の中を反芻する。
『あんたが学校休んだせいで!!今日仕事行けなかったの!!迷惑かけてんの!!分かる!?』
『あーあ、熱出すなって言ってるよね!?っはぁ…学校には行きなさいよ。保健室なんてとこ行かないでね。電話掛かってきて面倒だから』
昔、母に言われたことがフラッシュバックする。俺の母は学校を休むとめちゃくちゃ怒る人だった。熱があっても、咳をしていても、どれだけ気分が悪くても。そもそも熱を出すこと自体体調管理ができていないからだと言われる。一度早退をするために先生が母を呼び出したことがあったが、帰りの車では永遠とその日の予定が狂ったことを言い続けられた。
それからはどれだけ熱があっても学校に行って、その上保健室に連れて行かれないように「いつも通り」を演じて。小さい頃は途中で限界がきて倒れるなんてことがあったけれど、体が大きくなるにつれてそれも無くなった。
なのに、なんで今更。いつもはこれくらい余裕なのに。
嫌だ、怒られる。やる気ないって思われたくない。怠け者って思われたくない。面倒臭いって、ダメなやつって思われたくない。
「いえ、トイレ行ってきます…」
「え?…あー、別に好きに行っていいからな?」
そうだ、風邪は自分の管理が出来てなかった代償。甘えちゃだめだ。ちゃんとしないと。
「佐倉…大丈夫?」
あれから1時間。デスクでパソコンを叩いていたら、突然先輩に肩を叩かれた。
「何ですか?」
「いや…ずっと泣きそうな顔だから。さっきも何か言いかけてたし。大丈夫?分かんないとこある?」
「っ゛、」
あ、何か。やばい。顔がくしゃりと歪んで、目元が熱くなった。
「すみません、」
喋ったら何か、堪えきれなくなりそうで次の言葉が出ない。
「とりあえず外で話そっか」
半ば強制的に腕を引かれる。周りがこちらをチラチラと見ているのが居た堪れなくて下を向いた。
「何か飲む?」
「いえ…」
「そこ座ろう」
「…」
休憩時間でもない休憩室には誰も居ない。座るように促されて、先輩の真向かいの席に座った。
「どうしたの本当に。言ってみー?ゆっくりで良いから」
笑ったような、のんびりとした口調でコーヒーを飲む先輩。唇が震えて、机の上に置いた手を意味なく下ろす。
「一時間くらい前、俺のとこきてくれたよね?その時言いたいことあったんじゃない?」
「ぁ…と…」
何でもないって言わなきゃ。先輩の時間、ずっと削ってしまう。でも、どう言えば良いか分からない。口に出そうとすると、息が急に詰まる。
「根詰めすぎなんだよお前は。大丈夫、一緒に何とかしような?」
ふわりと頭を撫でられた。瞬間、ひくりと喉が震えた。
「きょう、かえりたい…っ゛、」
絞り出した言葉と同時に、ぼろりと生暖かいものが頬を伝う。
「え、佐倉!?」
「っ、ぁ、っひ、座ってるの、しんどい、」
何やってんだろ俺。24歳にもなって、会社で大泣きして。こんなこと言っちゃダメなのに。先輩の柔らかい雰囲気に、優しさにつけこんでる。
「うわほんとだ熱っ!!」
「ちがう、気をつけてた、さぼりじゃない、ごめ、なさい、でも、っ」
「そんなん分かってるよ…うわぁ…とりあえず早く仮眠室いこ」
あ、やばい。呆れられた。はぁ…と深いため息をついた先輩はきっと、怒っている。まずい、訂正しないと。
「すみませ、仕事もどるっ、だから、大丈夫だからっ、」
「え?いやいやいや…何でそうなるの」
「大丈夫だから、しごとっ、ちゃんとするぅ、ひ、ぅ゛、…」
「え、ちょっと、まってまって、とりあえず仮眠室!!仮眠室ね!!」
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