1-2

「くっ……」


 全身を貫く鈍痛に、ロバートは唇を噛んだ。意識が戻るたびに、脈打つように新たな痛みが見つかる。背中、腕、そして両足──。ゆっくりと指を動かし、身体の状態を確かめた。


「最悪な目覚めだな。だが、どうやら、まだ生きてるらしい」


 身体を起こそうと手をつくと、意外な感触に眉をひそめる。湿り気を帯びた柔らかさ。それは白砂特有の冷たく乾いた感触ではない。


「土……だと? ここに?」


 確認しようと目を凝らしても、漆黒の闇が押し寄せるばかり。しかし、手の感触は確かだった。身体を起こすと頭から被っていた魔道具フォルキエルによる砂は、はらはらと乾いた音を立てて周囲に落ちながら、わずかに明滅して消えていく。


 魔道具とは、内部に星の息吹が結晶化した『星晶石クヴァルツ』が仕込まれ、使の術式を発動するためのものだ。


 白砂の地では土すらも失われていく。ロバートの身体を支えるほどの湿った土が広がっているのは信じられない状況だった。


「間一髪ってところだったのか」


 ロバートは顔を上げた。目が暗闇に慣れ始め、頭上はるか遠くに、ぼんやりとした明かりの四角が見える。落ちてきた場所だろう。その高さに、思わず喉が渇く。


「ラケルタ!」


 口に手を当てて大きく相棒の名を呼ぶ。叫び声は闇の中へと吸い込まれていった。いつもの「クルルン」という心安い返事を待ったが、応えるのは深い静寂だけ。


 その時、ぼんやりとした光を見つけた。それはロバートの手元から発せられていた。


 ──星時計だ。


 落下の際に手首にしっかりと巻き付けていたおかげで失わずに済んだようだ。柔らかな輝きを放ち、大地を静かに照らしている。すると、その明かりはまるで波紋のように広がり始めた。その光に呼応するように、薄い霧のような星の息吹が立ち昇る。淡い翡翠色の靄は、まるで大地が吐く吐息のように、静かに足下を満たしていった。


 空間全体が視認できるようになった頃、星時計の光は役目を終えたかのように次第に弱まり、闇の中へと溶けていく。


 ロバートの足下の土の小島は、数歩先で唐突に途切れていた。その先に広がるのは、凍てついた湖面のように透明な結晶の大地。際限なく伸びるその地表は、うっすらと光を湛えていた。


 その透明な広がりには光の揺らぎがあった。大小様々な光の塊が、底から湧き上がる気泡のように結晶の中に封じ込められているのだ。


「信じられない。ここは地下空間じゃないのか!?」


 ロバートは息を呑んだ。大地からの光は結晶の中で複雑に反射し、屈折し、空間全体を照らし出す。さらには壁からも星の息吹が滲み出し、地面へ近づくと、その対流によって今度は舞い上がり、天井に向かってゆるやかな渦を描く。まるで翡翠色の靄で織られた燭天灯シャンデリアのようだった。


 不意に、視界の隅に別の色が飛び込んできた。振り向くと、紅く光る二つの眼光。一つ認識すると、次々に同じような光が視界に浮かび上がってきた。


古き生き物セルミス……! 大当たりだ!」


 セルミス──それは爪先ほどの小さな甲殻類のような生き物だ。透き通るような白い身体に、特徴的な紅い目玉がついている。頭頂部の細長い触角で、空気中を漂う星の息吹を感じ取り、胸部にある多数の䚡脚さいきゃくで素早く加速し、より濃い方へ尾叉びさを使って宙を滑るように移動するのだ。


 セルミスは星の息吹が濃い所にしか棲息しない生き物だ。こんな白砂漠のど真ん中で巡り会うような生き物ではないのだ。


 同時に、


 ロバートはセルミスがより多く集まる方へと視線を移していき、そしてその先に広がる光景に再び息を呑んだ。


「……『大星晶ヴァル・クヴァルツ』! なんて大きさなんだ!」


 ロバートの声が震えた。それは探索士であれば誰もが一度は見たいと願う希有な存在。創星紀の時代から星の息吹を束ね続け、幾千幾万の年月をかけて成長した巨大な星晶石だ。


 翡翠色の結晶体は、まるで大地の深部から天井を突き抜けんばかりに伸び上がっている。計り知れないほどの太さを持つ本体を板根のような構造で支え、さらにはいくつもの突起が十重とえにも二十重はたえにも幾重にも折り重なるようにして突き出している。それらの突起は先端に向かうに従って無数に枝分かれしながら先細りしていく。


 その見た目は巨樹のようだった。


 あまりの大きさに圧倒され、距離感さえ麻痺しそうだった。大星晶は周囲を漂う星の息吹を受けて、方々がわずかずつ異なる輝きを放っている。まるで天空に散らばる星々を宿しているかのような美しさだった。


 目を奪われる光の煌めきは、穏やかでありながら見る者の心を深々と捉えて離さない。かつては世界中に存在し、為政者たちがその力を求めて争ったという大星晶も、今では都市の発展とともにその多くが姿を消していった。


 そして何より、ここは星の息吹を失ったはずの白砂漠の一角なのだ。


 ロバートは手袋を外し、その指先で表面をそっとなぞった。磨き上げられた水晶のような滑らかさの中に、幾重にも重なる繊細な筋模様が刻まれているのを感じる。指先から手の平、腕へと温もりが染み渡り、全身の疲れが溶けていくような心地よさに、思わず息を呑んだ。


「やはり本物か。これほどの規模のものがここに……」


 実際に大星晶に触れたのは初めてだった。古文書で読んだ通り、これほどの星の息吹の集積体は、触れる者に確かな恩寵をもたらすようだった。


 その時、どこからともなく微かな風が吹き抜けた。大星晶の表面が呼吸をするように波打ち、淡い光を放ち始める。翡翠色の光の粒子が大地より立ち昇り、空を埋める星屑のようにゆらめく。その光に見入るロバートの視線が、ふと、結晶の奥深くに何か影を捉えた。


「女の子……?」


 透き通る結晶の向こう、時の流れすら拒むが如く、静かな眠りに落ちた少女の姿が浮かんでいる。小型の星晶石の中に異物が混入することは珍しくない。実際にロバートも幾度となくそういった昆虫や小動物を目にしてきた。


 だが、これは違う。結晶越しに見えるその姿は、紛れもなく人間そのものだ。例え人智から外れた大星晶であったとしても、人間が封じ込められているなんては、ロバートの記憶の限りでは存在してないはずだった。


 少女は十七、八ほどの年頃だろうか。結晶の幾層もの層が紡ぐ翡翠色の光は、まるで少女を守護するための帳のように揺らめき、結晶のゆらめきに歪められながらも、柔らかな面差しに初々しさを残し、どこか時を超えた気品をたたえている。その表情は童話の眠れる姫のように穏やかで、今にも目覚め、世界に再び彩りをもたらすかのようだった。その顔立ちは生身の人間とは思えないほど整い穏やかで、まつげの影さえ確認出来る。


 金糸色きんしいろの輝きを放つ髪はふわりと揺蕩うように広がっているため、正確な測定は出来ないが、少女の腰に届くだろうか。まるで星々を宿した夜空が髪となって流れ落ちているかのようだった。


 それはまるで。


「生きているみたいだな」


 その言葉は、自分の口から零れたものだと気づくまでに時間がかかった。ロバートは無意識のうちに大星晶に顔を近づけ、まるで触れられるかのように指先を伸ばしかける。次の瞬間、我に返ったように首を振る。このまま耳を澄ませば、きっと少女の寝息が聞こえてくるのではないか──そんな錯覚に陥っていたのだ。


 自分を戒めるように深く息を吐き、ロバートは大星晶の周囲を歩き始めた。


 巨大な結晶は幾筋もの支柱のように突き出していたが、その中でも最も太い主幹部、まるで古代の巨木の心材のような場所に、少女の姿は浮かんでいた。大星晶の幾重にも重なる層が生み出す虹色の輝きは、少女を包み込むように煌めいている。


 これこそが創星紀に謳われる天空の乙女の姿なのではないか。その考えが頭をよぎった瞬間、


「俺はいつからこんな荒唐無稽な想像にふけるようになったのか」


 焼きが回ったな、とロバートは自嘲して、腰の袖革鞄ポシェットから使い込まれた手帳と石筆を取り出した。石筆は黒鉛の芯を粘土で固めた筆記具である。ロバートは丁寧にページをめくり、記録を始めた。柔らかな芯が紙面を滑る音だけが静寂を破る。大星晶の構造、突き出た結晶の配置、そしてその中心で眠る少女の様子が、克明な写生図となって記録されていく。


 観察を続けるうちに、セルミスの群れがロバートの周囲で次第に密度を増していった。紅い点として輝く無数の眼が不規則に明滅し始め、まるで星屑のように視界を彩り始める。透き通る小さな体が異常なまでに䚡脚を震わせ、その振動は空気中に反響して微かな唸りとなって耳に届く。どこか焦れたように大星晶の周囲を旋回し、時にはロバートの顔にまでぶつかってくる。まるで収穫期の小麦畑に群がる羽虫のようだ。


「くっ、何だってんだ」


 苛立ちながら手で払いのけようとした瞬間、ロバートはふと気づいた。セルミスの群れは、まるで何かに導かれるように、一点に向かって集まりつつあったのだ。


 セルミスは星の息吹の濃い場所にしか棲息しないはずだ。が、これほどの数が一斉に群れを成すのは異例だった。しかもその数は刻一刻と増えている。


「そんなはずは……!」


 思わず手を止めると、手帳を急いでめくり始めた。厚手の皮革ひかくで装丁された手帳は、長年の探索で角が擦り減り、表面には無数の傷や白砂の跡が刻まれている。めくる度に紙がわずかに軋み、幾度となく開かれた背の部分からは糸綴じの跡が覗いていた。ようやく年季の入った羊皮紙が挟まれている頁にたどり着くと、ロバートはそれを取り出して勢いよく広げた。薄く変色した表面には、数年前の記事が端正な筆致で記されていた。


 大陸中央部メレン山脈にほど近いラメック大高原で、久方ぶりに巨大な遺跡群が発見されたという報告書だった。遺跡の規模から、一級探索士を含む精鋭たちが調査隊として編成された。だが、送り込まれた探索士たちの多くは帰還することはなかった。その理由が──。

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