レキシントン大学東京キャンパスの日常
秋坂ゆえ
第1話:レキシントン大学東京キャンパス、秋学期開始
サマーバケーションが終了し、秋学期が始まった。
毎度のことではあるが、面子の変化が著しい。まあ、仕方のないことだ。なんて思いながら、俺は二階の端の教室から真逆の出入り口まで歩いていた。
白人、黒人、その他の有色人種、英語で盛り上がる女子たち、堂々と日本語を話し爆笑している集団等々、『ここはホントに日本なのか?』と錯覚する。
ここ、「レキシントン大学東京キャンパス」、通称「レキ大」は、アメリカはニューヨーク州北部に本校がある大学の日本校なのだ。
場所は、都内のビジネス街にある六階建てのビルで、『キャンパス』という響きからは程遠いが、各フロアがそれなりに広く、二階にはカフェテリア、リラックスルーム、そして広いバルコニーがあり、ほぼ無法地帯と化した日当たりの悪いエリアでは、タバコを吸う奴もいればポット、えーと、日本語で言うマリファナを吸う奴もいる。
この大学には、大まかに言うと三種類の生徒がいて、日々勉学に励んでいる。
最も数が多いのが、留学を控えて英語などを勉強する「留学準備生」の日本人。準備生とひとことで言っても、英語のレベルはかなりバラバラだし、全員が全員レキシントン大学本校に行くわけではないし、準備期間も様々だ。俺は
次に、逆にアメリカの本校から日本に勉強しに来ている「アメリカ人留学生」がいる。これまたひとことではくくれない。白人も黒人も、純日本人だけど日本語が話せない帰国子女とかも含むから、会話の初手は英語しかない。彼らは年単位で日本に滞在して勉強したり、中には移住を狙って入ってきてる奴もいる。俺の親友であるジェイクは、日本に可能な限り滞在したいはずだ。家庭の事情ってやつでね。
最後に、俺が該当する、留学帰りや英語圏での生活が長かった「出戻り組」が存在する。まあ、主に日本人なんだが、個人的に、一番『ワケあり』な生徒が多いのはこの「出戻り組」だと思ってる。俺も含めてね。
その他、職員や教授はほぼアメリカ人、もちろん授業はすべて英語で行われる。面子の入れ替わりが激しいのは、日本人の留学準備生がアメリカに行ったり、本校から来ていたアメリカ人の生徒が帰国する、といったことが各
俺はニューヨークにいた。
マンハッタンにあるニューヨーク市立大学に席を置いていたが、ちょっとした事情で一時的な帰国を余儀なくされた。「レキ大」に入ったのは、日本の大学では得られないアメリカの
実は一度、日本の某大学に見学に行ってみたのだが、何しろ俺がいたのは「人種のサラダボウル」ことマンハッタン。
俺は日本生まれ日本育ちで、100%日本人だが、四年前にニューヨークに単身乗り込んで以来、自分は『日本人留学生』や、まして『観光客』なんてもんじゃなく、『ニューヨーカー』であるという意識が強い。というより、それが真実なのだ。
渡米前から英語の勉強はしていたが、一応二ヶ月だけ英語学校に通い、満を持してニューヨーク市立大学のひとつ、ハンター・カレッジに入学した。そしてソフモア——二年生になってすぐ、親父が身体を壊し、金銭的な援助が不可能となって、帰国の憂き目に遭った。
幸い親父の病気は命に関わるものではなかったが、すでに19歳だった俺は、バイトをいくつも掛け持ちして「レキ大」の入学費用や学費を二年かけて稼いだ。ニューヨークには学生ビザで滞在していたので、就労は違法なのだ(働いてる奴も結構いたけど)。あの時ほど、アメリカに『ワーキング・ホリデイ』がないことを呪ったことはない。現地で働きながら勉強もできるシステムで、オーストラリアにはダチが結構行ってる。
そして俺は、家族の事情も加味し、シニア、日本語で言うところの四年生までは、
「レキ大」で単位を貯めようと決めた。卒業前にニューヨークに帰れるかは分からないが、どのみち俺はグラッド=大学院はニューヨークに志望校があるから、「レキ大」卒業後、またあの地獄の労働者生活に戻ろうとも、自力でニューヨークに『帰る』つもりだ。
この秋学期の開始は、俺がちょうど一年前に入った時と同じタイミング。
日本人、他のアジア人、白人の留学生、黒人の留学生、日本語が話せない帰国子女、といった、人種のバリエーション豊富な場所の方が、俺は俺らしく呼吸できるように感じている。
やはり帰りたい、ニューヨークに。
『お、
『サマーバケの間さ、俺やってみたんだよ、「セイチジュンレイ」ってやつ』
『どのアニメ?』
『「ガルパン」で大洗に行って、「スラダン」で鎌倉まで行って、「弱ペダ」で千葉の——』
『すまん、聞いた俺が悪かった』
思わず俺は遮って、VAPEを吸い大量の水蒸気をあたかも防御壁のように吹きかけてやった。こいつはガチだ。ガチの日本オタク。最近多いアニメや音楽などのサブカルチャー系のみならず、日本の慣習、歴史、礼儀作法、武士道、等々、大抵の日本人以上に日本に詳しい。でもやっぱりアニメが好きで、監督や制作会社まで覚えてるんだからガチだ。
ジェイクと俺が意気投合したのは、去年の秋学期に同時にレキ大に入学したということもあるが、何より話が合ったのが、こいつがニューヨーク市の出身だったからだ。俺は五つ存在するニューヨーク市の区のクイーンズに住んでおり、ジェイクはマンハッタンに住んでいた。正確に言えば、超高級住宅地にだ。
こいつの本名は、
ユダヤ系のアメリカ人だが、少しヨーロピアンも入っているジェイクは、俺流に表現するなら、『磨けば光るイケメン(陰キャ)』である。
『アキトは何してた? って、聞くまでもないか』
『まあ、ね。普通にバイト漬けだったわ』
自嘲気味に唇の端を歪めて水蒸気を吐くと、
『いーや、アキトはマジですげえと思うぜ! まだマイナーなのに学費稼いでんだからよ』
嗚呼、現れやがった。問題児その1が。
『マイナーじゃねぇよ、もう二十一だし、日本じゃ大抵のことは二十歳過ぎりゃできんだよ、イリヤ』
俺は項垂れつつ、アメリカ白人よりも肌の質感が脆いようなソイツにそう返した。ちなみに『マイナー』は『未成年』を意味する。
『ほうほう、そりゃすげぇな! その時代錯誤なパンクロックファッションも、メジャーで生きていけるのか?』
『ユニクロの正しい発音もできねぇくせに全身ユニクロで固めてる奴には言われたくないね』
イリヤ・ジェイムズ・カラモフスキー、スペルはややこしすぎて覚えてないが、ロシア系アメリカ人のコイツも本校からの留学生で、ちゃらけたキャラというか飄々とした雰囲気は、大半のアメ人のテンションとは少々異なる。祖父の代でロシアからアメリカにやってきたイリアは、ロシア語を話せるし理解もできるが、読み書きができない。人格が歪んだのは幼少期にそれをからかわれたせいだと自ら吹聴している。
『まあまあ、ジェイクもアキトも、元気そうでよかった。さてと、オレは
『どうせ女子目当てだろ?』
『野暮なこと言うなよ、ジェイク。オレはジェントルマンだからね』
このセメスターもこいつらと過ごすのか、と改めて実感した俺は顔色の悪い空を見上げた。
まさかこの実感が、あんなことになるなんて、この時は微塵も予想していなかったが。
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