第19話

 翌日、玄関扉を開くと、朝の清々しい空気が私を出迎えてくれた。


 歩きながら上に視界を止める。今日も電線に雀が三羽留まっていた。自然とローファーが止まる。


「私もアナタ達の世界に行くからね」

そう雀達に話しかけると、私は歩きだした。


 校門をくぐる時、一旦、足を止めて両手で頬を強く叩く。気合いを入れる為だ。


 上靴に履き替えて廊下を歩くと、いつものことながら誰もが挨拶をしてくる。私は、その「おはよう」を無視し、教室の前に立った。


 扉をスライドする。ガヤガヤとうるさい教室内に、その人はいた。一人で席に座り俯いている。私は彼女に声をかけた。


「おはよう、麗蘭!」


 麗蘭は、まるでバケモノを見たような顔をしている。そして、フィッと横を向いた。


 私は、もう一度、彼女に言った。ハッキリと大きな声で

「おはよう!麗蘭!」


 一斉に静まるクラス内。


 麗蘭が小さく口を開く。

「同情なら、いらない」


「ちょっと!」

美月が怪訝な表情をして、こちらに歩いてくる。私はそれを無視して歩き、自席に着席した。


 微妙な空気の中、授業が始まる。


 昼休み、美月、絵夢、瑞穂が机をくっつけてきたが、私は無視して立ち上がり麗蘭の元へ向かう。


 彼女は一人、パンが入った透明な袋を開こうとしていた。

私は麗蘭の前に立ち、机に両手をつく、そして「一緒に食べよう!」そう言って武器用に笑んだ。


 彼女は、信じられない、といわんばかりの顔をする。


「ちょっと、芳美!」

美月が私の肩を掴んだ。

「どうしちゃったの?朝からおかしいよ!」


 私は美月の手を叩き落として叫んだ。

「おかしいのはアンタ達、いえ、クラスのみんなでしょ?」


 またクラス内が静寂した。


 私は全員に届くように、もっと大きな声で叫んだ。


「容姿で優劣をつけてイジメるのは間違ってるよ!ってか、イジメること自体、面白くも何ともない。私はこんな狭い世界にいたくない!もっと広い世界に行きたい!」


「芳美……」


 これは圭人の声だ。私は彼に視線を振る。

「あー、アンタも狭い世界の人間だったよね」

自然と口角が上がる。私は圭人に「バイバイ」と告げた。


 水をうったような室内の中、私は麗蘭の手を引き教室から飛びだした。


 屋上までの階段を駆け足で上がる。息を切らして屋上の赤くびた扉を開くと、眩しい太陽に瞳を細めた。


私は青空に両手を突き上げる。

「あー、スッキリした!」


 その時、後方に立つ麗蘭の声がした。

「アンタ、バカじゃないの?」


その問いに対しての答えはこれしかない。

「バカじゃなーい!」


 だが、次の麗蘭の言葉で私の時間は数秒止まった。


「あたし、アンタをイジメてたんだけど」


 数秒後、秒針が動きだす。私は彼女に振り返った。


「まさか、麗蘭、元の世界の記憶があるの?」


 私の問いに、今後は麗蘭が瞳を見開いた。


「元の世界って、まさか、芳美にも記憶があるの?」


 二人で顔を見合わせる時間少々。先に口を開いたのは麗蘭だった。


「私には、しっかりと記憶があるよ。最初はね、なんでこんなことになったのか分からなくて混乱した」


「だろうね」


 風が緩やかに二人の間を吹き抜ける。


「でもね……」

麗蘭が胸に手をあてた。

「芳美とあたし、真反対になって、あたし自分が分かったんだ」


顔を傾ける私。

「分かったって何を?」


 刹那、麗蘭の大きな瞳が潤んだ。

「どんなに自分が芳美に酷いことをしてたかだよ。あたしは容姿で優劣をつけてた。芳美がさっき言った狭い世界の人間だったんだよ!」


 彼女の瞬きと同時に、蛇口をひねったような涙が溢れだす。麗蘭は、その場にしゃがみ込み、土下座の姿勢をとった。

「ごめん。……本当にごめんなさい」


「麗蘭」

続いて私も膝を落とし、土下座姿勢をした。

「私こそ、ごめん。調子に乗って麗蘭をイジメてた」


(自分は本当にダメダメな人間だ)


鼻の奥がツンッと痛んだ後、彼女に負けないほどの涙が頬に流れて落ちる。


 麗蘭が頭を下げている。私は、彼女より深くなるよう、コンクリートに額をつけた


 その姿勢を保つこと数分。同時に顔を上げた私達は、強く抱きしめあい、また号泣した。


 麗蘭は、どう感じたか分からないけど、私の胸に巣食っていた傷には高級なバンソコウが貼りつけられた気がした。


 このバンソコウの効力は高い。いつか、きっと傷口を綺麗に治してくれるだろう。


 ひとしきり泣いた後、私達は麗蘭が持っていたパンを半分こして、体育座りで食べた。


 パンを食べ終わる頃、私は重要なことを思い出し立ち上がる。


「どうしたの?」

最後の一口を飲み込み、麗蘭も立ち上がった。


 私は今までの不可思議を、最初から全て彼女に伝えた。


「お婆さん?」

麗蘭は不思議そうに顔を傾ける。


「そう、あのお婆さんが、この世界を変えたんだよ。でも、ここは私が望む本当の世界じゃない。だから、もう一度お婆さんに会って、元の世界に戻して貰おうと思うんだ」


 私の言葉に対し、麗蘭は首を左右に振った。


「あたしは、今のままでいい」


「どうして?」


「だって、あたしはこの世界で大切なことを知ったから、それに元の自分に戻りたくないよ。今の芳美とも離れたくない」


「離れないよ」

彼女の肩に手を置く私。

「だってクラスメイトじゃん」


「そうじゃなくて……」

麗蘭は斜めに視線を下降させる。

「元の世界に戻ったとして、もし、あたしの今の記憶がなかったらどうするの?あたしは、また芳美をイジメるかも知れない」


「だとしても大丈夫!私はもう負けないから!」


 また風が吹いて、麗蘭の長い黒髪を後方に靡かせた。

「芳美……」

俯き加減で頼りなく呟く麗蘭。


「行ってくる!」

私は、そんな彼女を後方に残してコンクリートを強く蹴りダッシュした。


 初めて老婆に会った場所に向かう。でも、そこには【占い】の看板も老婆の姿もなかった。


(どこに行けば、お婆さんに会えるんだろう?)


 トボトボと行方を捜して私は路上を歩く。だが、間もなくローファーが止まった。


(そうだ!)と思ったのだ。


 次に向かった先、それは雑居ビルの屋上だった。


 屋上に立ち金網を掴むと、あの日の記憶が蘇る。深く悩んで死にたいと思い、私はこの金網を乗り越えた。この場所で老婆に声をかけられたのだ。


 ゆるりと吹いた風が空に舞い上がる。


 背後から、しわがれた声が聞こえた。

「アンタなら、またこの場所にくると思ったよ」


 金網を掴んだまま、後方に振り返る。


 白銀の髪に垂れた目、片目は銀色の義眼、そしてシワだらけの顔。私は老婆に微笑んだ。

「良かった。また会えて」


「おや?」

老婆の目が少し大きくなった。

「アンタの顔から死相が消えてるね」


「ええ、もう死のうなんて思わない。大切なことを知ったから」


「そうかい、そうかい」

目を細め、老婆は二回頷く。

「ならば、もう一度アンタに選択肢を与えよう。アンタが望んだこの世界に留まるか、元の世界に戻り、また辛い思いをするのか、さあ、どちらにする?」


(その選択肢の答えは決まっている)


私は「元の世界」そう答えると瞼を落とした。


 閉じた瞼の暗闇が強烈な光に変わる。周囲の温度が上昇し、身体が焼かれるように熱い。頭がクラクラして意識が朦朧もうろうとしてくる。


 私は意識を飛ばす半歩手前に目を開く。そこは発光体に包まれた白い世界。もう、老婆の姿はなかった。

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