第7話 私の望む世界

 漆黒の夜を溶かしながら白乳色の夜明けが訪れる。今日を殺して明日は生きるのだ。そして明日は待ち構える明後日に殺される。


 地球は、そうして回り続ける。静かな顔をして、まるで昨日のことなど無かったように……。


     世界は、とても残酷だ。



 玄関扉を開くと、待ち構えていた冷気がマフラーとコートを包み、すぐにスカートの下に潜り込む。足先まで冷えが伝わるまで時間はかからない。昨夜の雪が真綿に姿を変えて民家の屋根に降りていた。


 私は白い手袋の中に、は〜っと息を吐く。窒素と酸素、二酸化炭素とガスの混合が手袋の色と同化して消えた。


芳美よしみ!」


扉を開く音に振り向くと、母、美佐子みさこの姿が見えた。慌てていたのかサンダルが片方脱げている。母は手に持つランチバッグを私に手渡し、安堵の息を吐いた。


「良かった、間に合って」


「あー、ごめん。忘れてたよ」

私は不器用に笑んで肩から紺色の通学鞄を外した。


 ファスナーを開き、教科書の空きスペースにランチバッグを強引に入れる。その後、「行ってらっしゃい」と手を振る母と朝比奈あさひなと表札された門を後方に置き、学校に向かった。


 春、夏、秋を越えて冬になると、風景は色彩を失くす。何もかもが灰色のキャンパスに閉じ込められるのだ。


 空を見上げる。今日は、どんよりした曇り、やはり灰色だった。

私は、そのキャンパスの中に羽を持つ動物を発見した。雀だ。伸びた電線に雀が四羽留まっている。


 濡れた路面を踏んだローファーが止まる。私は雀を観察した。四羽ともふわふわと丸くて可愛い。寒いのか、みんなで寄り添い、互いの熱を伝えているように見えた。


 きっと雀達の世界には差別などなく、仲が良いのだろう。


「いいなぁ」

ポツリと呟きを落とすと、私はまた前に足を進めた。


 後、数分も歩くと校門が見えるはず。そう、それが地獄の入り口。私は再び足を止めて溜め息を吐く。


 人間、いえ私のクラスには差別がある。容姿という名前の優劣が差別を産み、差別がイジメを産み落とす。


 差別は中学からあった。けれどイジられ程度で害はなく、今から考えればかわいいものだ。


 本格的な差別は、高校に入学してから訪れた。



 ウチは母子家庭。十年前に父を病気で亡くしてる。

母は介護士として特別養護老人ホームで働き私を育ててくれた。私は母の苦労を見ている。それ故、勉学に

励むようになった。私の夢は医者になること。父を殺した憎い病気に勝ち、母を幸せにしたい。だから県下一の進学高校に進学した。


 入学式、トップ合格した私は新入生の前で誓いの言葉を読んだ。壇上に立つ。最初の異変はその時に起こった。こちらを向いて座る新入生の中から複数人の笑い声が聞こえたのだ。


 その後、クラスに入った私は皆のように喋れず、友達作りに出遅れた。特に女子は群れを作りたがる。私は一人になった。だが、数日経つと群れから弾き出された女子が私に声をかけてきたのだ。


 名前は、榎本瑞穂えのもとみずほ。瑞穂と私は好きなアニメの話で意気投合した。昼時間はアニメの話題で盛り上がった。


 だが楽しい時間は長くは続かない。それは瑞穂が見せたスマホの画面から始まった。瑞穂は、このクラスの裏サイトを見せて私に言った。

「このサイトで集中的に悪口を書き込まれている人がいる」と。瑞穂が画面を指でスクロールする。ほとんどが【ブスミ】というクラスメイトの容姿についての、からかいや悪口だった。


 後は社会科教論、田端洋子たばたようこ先生の容姿についてもコメントされている。【ババア】【デブ】【ブス】【ワキガ】など酷いものだ。


 私は【ブスミ】について瑞穂の言いたいことが理解できた。裏サイトに書かれた【ブスミ】それは私のことだ。


 瑞穂は、クラス女子の中で私だけが招待されないグループLINEがあり、そこでも私の容姿に関してバカにするような内容が書き込まれてる、と言う。


 先導を切るのは、菊永麗蘭きくながれいら水瀬美月みなせみつき徳永絵夢とくながえむ。この三人だ。


 菊永麗蘭は、美という目的で精密に作られたれた人形のような容姿をしている。血管の浮くような細い腕や足はスラリと長く、二重の大きな瞳で見つめられた男子は、皆彼女に恋心を抱いてしまうだろう。歩くと背中で揺れるロングヘアは絹糸のように艶やかで細い。麗蘭はクラスの女王だった。誰も彼女に逆らえない。いえ逆らわない。麗蘭にとってクラスの女子は自分の言いなりに動くしもべだった。特に美月と絵夢は彼女を教祖の如く崇拝している。



 瑞穂は、気にするなと言ってくれた。だが翌日、態度を豹変させる。理由は、私と仲が良いと自分まで裏サイトやグループLINEでバカにされるとのことだった。後に瑞穂は麗蘭グループに吸収される。


 私はまた一人になった。騒がしいクラス内の隅で孤独に食べるお弁当の卵焼きが、やけにしょっぱく感じる日々。


 それでも私は耐えられた。なぜかといえば、イジメがネットだけの世界で直接的ではなかったからだ。

裏サイトはパスワードを知らない自分には見れないし、グループLINEも招待されていないのだから目に入れることもない。女子全員からの無視を気にしなければ良いのだ。私は、それらを振り払い勉強に没頭した。


 六月、私にとって嬉しい結果があった。中間テストの順位表が張り出されたのだ。一の数字の下に私の名前がある。職員室に呼ばれ担任教論に「将来の女医だ」と褒められた。


 私が気分良く教室に戻ると室内は静寂していた。異様な空気に息を飲みながら着席すると、美月がこちらに歩み寄り、ファスナーの開いた私のスクール鞄を逆さにする。机の上に散乱し、床にも散らばる教科書。

私は立ち上がり、かがんで教科書を拾う。教科書の表紙には【ブスミ】【ブタ鼻】【タラコ唇】【キモ】などと黒いマジックで殴り書きされてあり、裏表紙には、一際大きな文字で……。【死ね】と書かれていた。


 ついにイジメがネットから飛び出しリアルになった。

 麗蘭達を中心にして、聞こえる陰口が叩かれる。その全てが私の容姿に関してだった。


 ある日、私の席の前に立ち、絵夢が口角を意地悪そうに吊り上げながら言った。

「来年のミスコンにアンタもエントリーしたから」と。


 ミスコンとは学年一の美少女を男子生徒の投票で決める祭典だ。


 教室の窓際で複数人の女子クラスメイトが笑っている。その中心に麗蘭がいた。


 ミスコンは麗蘭が優勝と開催前から予想されている。彼女達は、私をステージに上げて笑い者にするつもりなのだ。


 ここで「嫌だ」と首を激しく振ったとしても、麗蘭達は聞く耳をもたないだろう。


 私は力無く俯くだけだった。


 ちなみに、男子生徒の学年一を決めるミスターコンも同時期に開催される。


 予想されるのは同クラスの橘花圭人たちばなけいとだ。彼は誰もが認める眉目珠麗びもくしゅれい。必ず優勝するだろう。


 圭人と麗蘭は、付き合っているのか不明だが、校内一の美男美女カップルともてはやされていた。

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