第19話

 私の手を、ぎゅっと握りしめて歯を食いしばるようにして俯く昴。そうか……そうだったのか。昴の家の前で聞いた金属音は、昴を閉じ込める柵を作る時の音だったなんて。


「今日——いや、もう昨日かな。きみが告白してくれた時、すっごく嬉しかった。でも同時に、僕みたいな人間と付き合ったら、きみが不幸になると、思った。だから、好きだけど付き合えないって言って、きみを、傷つけた……」


 後悔は、彼の口から暗い吐息となって溢れ出した。

 彼の全身が語る、やるせなさと悔しさが、私の胸に突き刺さる。私にも身に覚えがあった。自分が、二度と日の光を浴びられない身体になったと医者から告げられた日。私は、自分の運命を呪い、悔しさで頭がどうにかなりそうになった。

 でも、と私は隣で肩を震わせている彼を見やる。

 私は今、きみの隣にいれば、普通に笑って生きていけると思っているよ。悔しくて眠れなかった明け方は、夜になればまたきみと会えるんだという希望に変わったんだよ。

 だからやめて。そんな顔しないで。昴。

 私は、私はね……。


「私は、昴がついてくれた嘘に、救われたよ」


 昴があの日、真夜中の学校で、私と会えてラッキーだと言ってくれたこと。

 おばあちゃんが認知症で家に居づらいから学校に来たと嘘をついてくれたこと。

 その嘘のおかげで、私は一人じゃないと思うことができた。私は、夜にしか生きられない身体になって初めて、良かったと思えたの。

 この身体のおかげで、きみに会うことができたから。

 きみという月の光に、私は照らされることを赦されたから——。


「だからありがとう、昴」


 星が降るみたいなメロディーだね。情景が目に浮かぶ。

 僕は、きみが弾くピアノが、『月の光』が、この世で一番好きだ。

 昴がくれた、いくつもの煌めく言葉の数々を思い出して、私は胸がいっぱいになった。込み上げてくる切なさは、昴の目に溜まっている涙の星を見て、一気に溢れ出す。


「昴は私の、『月の光』だよ」


 月は、いつの間にかすっかり西の空に沈んでいき、朝日が山の端から顔を覗かせていた。そんなに長い時間、昴と一緒にいたという感覚がなくて、私は驚いて目を見張った。けれど、もっとびっくりしていたのは彼の方だった。頬を滑り落ちる涙が、重ねられた二人の手の甲に落下した。


「朝日……」


 ああ、まぶしい。

 日の光って、こんなにまぶしかったっけ。

 忘れていた光を今、私は全身で浴びている。まだ寒い明け方の時間帯なのに、どうしてか心は温かく満たされている。


「光莉っ、か、帰らないと……!」


 『夜行症』である私の身体を案じた昴が、自分のコートを脱いで、私に被せる。しかしその時、遠くからまたあのおどろおどろしい母親の声が聞こえてきて、私は背筋が凍りついた。

 だめだ。私は帰れない。この場から逃げられない。私はもう二度と、昴をあの人のところへは返したくないんだ。


「昴、もう一度逃げるよ」


「え? 今はそんなこと——」


「いいから来てっ!」


 私の声の迫力に気押されたのか、昴はおずおずと椅子から立ち上がった。私は、昴が被せてくれたコートを彼に返して、自分のコートのフードを被る。

 これで、これで少しは防げるかな……。

 怖くないわけがない。一刻も早くこの光の下から逃れなくちゃいけないのは分かっている。でも今昴の手を離したら、私は一生自分のことを許せないと思う。

 私に希望の光をくれた彼を、ずっとずっと抱きしめていたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る