渡り鳥の見る戦場

始まりは細波だった。

規則正しく押し寄せる波が不規則に揺れて、顔を出したのは巨躯を誇る両生類型のモンスター。

それが次々と海面から浮上してくる。


怪物たちへと浴びせられるのは色とりどりの魔法。

凍らせられ、焼かれ、砕かれるが、その勢いは衰えない。

何かに背を押されるように一心不乱に海から逃れようとする。中には痩せ細った個体も少なく無い。

ダンジョンで出会うモンスターとは違う『野生』を覗かせるモンスターに狼狽える冒険者も少なく無い。


やがて魔法使いの出番は終わり、刃と爪牙が打ち鳴らされる音が響き渡った。


そんな光景をはるか上空から1羽の鳥が眺めていた。

特別、珍しい種では無い。この時期の海岸線に行けば飽きるほど見れる渡り鳥だ。

だが、その鳥の心臓は完全に止まっており、その首には高性能カメラがついていた。


3つの戦場、3羽の死鳥。

映し出された地上の映像を、彼らは札幌の街中で見ていた。


「こんなものか日本の戦力は。これなら正面から押し潰せばいいだろう」

「押し潰せないと判断したから、春は我々を求められたのでは?」

「ならあの老人は俺の力をみくびっているな。まさか途刃ツーレンと比べられているのではないだろうな」


不明フーミンは妖しい笑みを浮かべただけで何も答えない。

海呑ハイフは影のある美貌を不機嫌の色に染めて、画面を睨む。


(【オリオン】か……)


画面に映るのは、要注意人物として知らされていた橋宮両と鳴家厳哲の姿。

クランメンバーを率いて、波打ち際のモンスターを切り伏せている。

その肉体の強さ、技の冴え、どれを取っても他とは一線を画しているが海呑の目には退屈に写った。


冒険者とはモンスターを狩るもの。

それに対し海呑は、一騎当軍の兵士として生まれた。

対人戦において、彼らに遅れをとることはないと確認して端末を閉じた。


そして視界を上げると不明と目があった。


「―――油断して負ける、なんてやめてくださいよ?彼らの生き汚さは想像以上ですから足元を掬われることになるやも」

「……馬鹿が。俺と奴らの力量差は性根や根性で覆る程度のものでは無い。弱いお前の教訓を俺に押し付けるな」


思考を見透かされたようで、刺々しい皮肉が口から出るが、不明は気にした様子はなく笑顔のままだ。

何かを言いたいわけではないが、口を開いたとき、横合いから声をかけられた。


「よお、待たせたか?」

「……いいえ。待っていませんよ、七瀬様、真鍋様」


温和な笑みを浮かべる不明が答えると、【狼牙の黒槍】の盟主、七瀬日暮ななせひぐれが不明の対面に腰を掛け、来夏がその隣に座った。

二人は今、海際で押し寄せるモンスターと戦っているはずだし、その姿は不明たちの端末に映っていた。

同じ人物が同じ時間に二カ所にいる。そのことを不明は口にしなかった。自分が知っているはずがない情報だからだ。


「こんなところをうろついていいのかよ?密入国者がよぉ」


来夏は揶揄うように言った。

不明は来夏に接触するにあたり、国外から漁船で逃れてきた密入国者だと偽っている。

それを誰に聞かれるか分からない場所で口にするのはこちらを動揺させるための来夏の交渉術だと分かっているが、不明はあえて固い笑顔を浮かべた。


「こういうところだからこそ、怪しまれないのですよ」


不明の来ている服は世界展開しているブランドの安物の服だ。

街中のカフェの一角に居てもなんの不自然も無い。

むしろ巨体の来夏と不機嫌そうなオーラを常時まとっている日暮の方が、視線を引いていた。


「そっちの女は初めて見たなぁ、随分と別嬪さんを連れてるじゃねえの。いつもの奴か?」


来夏の舐めるような視線が、海呑に纏わりつく。

海呑は気持ち悪そうに僅かに眉をしかめるが、彼女が何かを言うよりも早く不明が割って入った。


「いえいえ!彼女は違います。彼女も私と同じように、この地に流れ着いた同士でして。竜についても目撃しているため、この場に来てもらいました」

「へえ、そんなのがいるとは知らなかった――――」

「いつまでくだらねえこと言ってやがる」


来夏の言葉を切り裂いたのは、これまで黙っていた日暮だった。

くせ毛の混じった前髪の奥から、じろりと来夏を睨みつける。それだけで来夏はびくりと巨体を揺らし、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「わ、わりい。ちょっと話過ぎた……」

「てめえのナンパは後にしろ。それよりも詳しい『竜』の位置を教えろ。そのために犯罪者なんぞと会ってやってるんだからな」


気の弱い者なら昏倒しかねないほどの圧を放つ日暮は、肌を刺すような視線を不明に向ける。嘘をつけばその身を切り裂くと、彼の視線は雄弁に物語っており、不明は人ではなく獣と対峙しているような気にすらなった。


「本当にいるんだろうな。四匹目の『竜』は」

「ええ、もちろん」


不明は心中で深く笑った。最後の釣り針に獲物がかかったと。


「現在、『竜』の姿は『霧竜』の吐き出す霧のせいで正確な現在地が掴めておりません。そのせいで衛星写真でも見逃したのでしょう、あの恐るべき『竜』を」


不明はごくりとつばを飲み込んで見せた。


「完全な海生の竜……種類は分かりませんが魚のような鱗が生えておりました。我々が最後に目撃したのは、ここ。真っ直ぐに南下して陸地に向かっていたように見えました」


不明は地図を振るえる指で指さす。

日暮にはそれが、『竜』の姿を思い出し、怯える哀れな男のように見えた。

だがそんなことはどうでもよく、彼は心の内から湧き出す歓喜を抑えられずに荒らしい笑みを浮かべる。


(来夏の言ってた通り、オレの持ち場まで来る!)


不明の示した進路は、日暮が率いる『水』の竜と戦う戦場のすぐ近くだ。

恐らく争いに引き寄せられ、最も近い自分たちの元まで来ると確信する。


(『竜』をぶっ殺せる!オレ一人の手で……!)


元々『竜』一体と戦うための戦力しか配置されていない戦場に突如『竜』がもう一体現れれば?

必然、その場の最高戦力である日暮が相手をするという結論になってもおかしくない。いや、日暮はそうするだろう。なぜなら彼が指揮官だからだ。


他者が聞けば失笑するか狂ったか疑われるような思考。

だがそれが日暮の悲願だ。単騎での『竜』討伐。

数十年以上、北海道に襲来し続ける『竜』、その単騎討伐を成し遂げたのは今や北海道支部支部長となった【破刃の英雄】竜胆将也ただ一人。


(一人で勝てると証明できればあいつも――――)


「あの、それで、報酬は?」

「……チッ、来夏」

「おうよ」


来夏は封筒を投げつける。不明はそれを受け取り、中を覗き込んで安堵の笑みを浮かべる。

彼らからすればほんのはした金に感情を動かす不明の姿は滑稽で、来夏は嘲笑うように鼻を鳴らし、日暮はどうでもよさそうに一瞥すらくれず去っていった。


「ったく、ボスは人づきあいが悪いぜ」


残った来夏は同意を求めるように海呑を見るが、彼女は変わらず口をつぐんだままだった。


「あの、まだ何か?もう話せることは無いのですが……」


不明は懐に封筒をしまい込む。その姿は追い詰められた者特有の防衛意識のようで、見知らぬ土地に来た密入国者の演技としては完ぺきだった。

だが来夏は小さく首を振り、糾弾するように言葉を吐いた。


「お前ら、本当は密入国者じゃねえだろ」


「は、はい?一体何のことか……」

「隠さなくてもかまわねえよ。俺は元々国外で育ったんだ。そこはクソみてえに治安が悪くてよぉ、たまにいたんだ、お前等みたいな急に湧いて来るよそ者ってのがよぉ」

「………………」

「はっ、別に誰にも言ってねえよ。何も脅そうってんじゃねえ。お前ら、外国の兵隊かなんかだろ?俺と組まねえか?」

「何を言ってるんですか!?私たちが外国の兵士なら、その仕事はこの国の不利益になることですよ?あなたはこの国の冒険者では?」

「構わねえよ、別に故郷でもねえ。俺の願いを聞いてくれんなら、てめえらの仕事を手伝ってやる」

「…………願いとは?」

「はっ、本性表したか。願いってほどじゃねえ。攫いたい女と殺したい女が一人ずついる。その後、俺を国外まで逃がせ。冒険者の引き渡し条約が無い国だ」


願いを口にした来夏の顔は、性欲と怒りに醜く歪んでいた。


□□□


来夏が去った後、海呑は不明を見る。

その目には驚愕の色が宿っていた。


「驚いたな。お前の言っていた通りの言動だったぞ」

「私だけの、というわけではありませんよ。一年前から密入国者を装って彼と接触していた工作員たちの情報、そして春少佐の作戦あってこそです」


北海道を攻める東亜連国の作戦は年単位の時間をかけて用意されていた。

中でも現地の協力者を作るための接触活動は、長期間に及んだ。

その中で東亜連国が目を付けたのが、元は国外の出である来夏だった。

粗暴、狡猾、冒険者の悪い所を煮詰めたような性格に、愛国心を持たず、欲望に忠実。

彼を操るのは簡単だった。その欲望を満たせばいいだけだからだ。

その過程で何人もの女性が壊されているが、今や来夏とは互いの欲望を満たすために利用し合う程度の関係性を構築していた。


「会議での様子と北海道支部での諍い、そして彼の女性の好みを考えれば、この状況は不思議ではありませんよ。彼には願い通り、戦場の一角を任せましょう」

「ふんっ、おぞましい男だ」


おぞましいという言葉がどちらに向けて言われたものか不明には分からなかった。


「面白いですよね。冒険者と一口に言っても、『竜』にしか興味を持たない者もいれば、『女』にしか興味を持たない者もいる。しかもそれが同じクランの盟主と副盟主だと言うのですから。これも強さを至上とする七瀬様の特性というのでしょうか」


くすりと楽しそうに笑う不明を海呑は不思議そうに眺める。


「……前から思っていたが、お前は人の話をするときは生き生きとしているな」

「そう、でしょうか。自覚はありませんね」

「死体を操るしか能がないくせに、生者が好きなのか?」

屍体愛好ネクロフィリアの気はありませんよ。そう考えれば、私は【死霊魔法】使いとしては失格なのかもしれませんね」

「その理屈なら俺は、完ぺきな使い手ということになるな」

「そうですね。海を愛する貴女にぴったりのスキルです。まさに運命というのでは?」


不明の言葉を聞き、海呑は瞳を瞬かせ、次の瞬間にはくつくつと腹を抱えて笑う。

意地悪な笑い方だったが、影のある海呑がすればさっぱりした印象を受けた。

海呑は心底愉快そうに口の端を歪める。


「俺は海は好きじゃなかった。生き物はどいつもこいつもぬらぬらしてるし、潮風は気持ち悪い。だけどスキルに合わせて好きになるようにしただけだ。俺はお前と違って柔軟な大人だからな」

「それはそれは…………羨ましい」


その言葉は不明らしくない本心のように海呑には聞こえた。


□□□


次回更新日は2024/6/8(土)の7:00です。

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