祝福―1

 椅子に座る成人男性が見える。やせ細った身体。目はうつろで、伸びきった髭によだれが付着している。


「なぜ……こんなことに」自身の身体から低い声。夢にしては現実感が強い。


 ハンナは体の自由が利かないことに気づく。隣には中年の男が一人、どこかで見た顔。それがゲオルク・ゼーフェリンクの若い姿だと遅れて気づく。


「〈祝福〉だ。俺やお前もおそらくはこうなる。ヨーゼフ」ゲオルクは目を伏せ、言う。


 ハンナはハッとする。これは父の記憶。なぜ?


 強い絶望。ハンナは感情に飲み込まれそうになる。


「俺たちはマガイを殺す為、奴らの肉や血を啜った」ゲオルクは冷徹に言う。


「洗礼と称し、子供にも血を浴びせた。その結果、何十人も〈祝福〉を得られる前に死んだ。生き延びた我々に後遺症があるだろうことは、お前も承知だったはずだ」


 ハンナの口内に妙な触感が蘇る―粘性がありながら、嫌な弾力のある、濃縮したカビのような匂いのする物体。


 ―マガイを……喰った?


 強烈な不快感で、ヨーゼフは胃の中の物をすべて吐き出す。


「いやだ……しにたくない」


「原罪の件を思い出せ、いくらここで吐いたところで、俺達に血肉に刻まれた罪は消えない」


 場面が飛び、闇の中に3人の少女が見える。それぞれが布団で寝ている。ごつごつとした指がグレーテに、そして、ハンナに触れる。


 小さい時の私……


 幼いハンナはふっくらとした頬を振り、いやいやとした。


「死んでたまるか」父の声は震えていた。


 まずは《祝福》の仕組みを解明しなければ。父の強い覚悟が感じられた。


 まず父は賢者と呼ばれる男の元へ向かった。禿げ頭に無精髭の老人はもごもごと、「ヨーゼフよ、私はな〈祝福〉や〈聖者〉なんて言うのは嘘っぱちだと思っているんだ」


「何と……破廉恥はれんちな」ヨーゼフは呻く。


「騎士たちに箔をつける為、この異常事態を神話体系に組み込むために教会が考えたんだろうさ」老人は続ける。


「そもそも〈祝福〉は、自壊していくマガイの一部を採取して、それにマガイの一部を与え続けた物を喰ったり、傷に塗り込んだ物が始祖だ。それを聖書の原罪と無理やり関連付けただけだろう」


 ハンナは余りに原始的で残酷な〈祝福〉の発端を知り、吐き気を覚える。


 老人は黙ってヨーゼフを睨みつける。教会に駆け込み、異端が居たと報告するか、それともわしの知恵を借りるかどうする、と言っているようだった。


「では……〈第壱位階ヒエラルキーザ・ワン〉の目的は何だと思われますか……」


「ここに石ころがある」老人は手に持った、三つの石を地面に投げる。


「こっちに一つ、こっちに二つ。これらを足し、三という数字を数えることができる……だが、石から見れば、自分を使って、数字を数えているなどとは思いもしない」


「意味が分かりかねますが……」


「生物たちの異様な変質には方向性がない。我々が《第壱位階》と呼ぶ存在が、我々を使って何かをしている。それこそ、我々が石ころを用いて計算するように」


「馬鹿にしているのか!」ヨーゼフは石ころを蹴り飛ばし、老人のもとを去った。


 ―自分でどうにかするしかない。


 ヨーゼフは、まずマガイを大量に殺した者の症状を見た。


「殺す! ころふ!」


 剣を振り回しながら、うつろな目で男は叫び、徘徊していた。その叫びは迫真で、剣で当たりの物を破壊しつくし、自身もその破片で血まみれになっていた。衣服は破れ、血にまみれた男性器がぶらぶらと揺れ、尿が垂れ流しになっている。


 ハンナは目を背けたかったが、ヨーゼフはそむけなかった。


 戦いに参加し、マガイを大量に倒したもので〈祝福〉を使用した物全員がこの症状になっている。ある者は、ヨーゼフや家族のことが思い出せず、剣の稽古に明け暮れ、マガイを探しに徘徊していた。〈祝福〉は、我々の頭の中に入り込み、マガイと戦わせようとしているのか? だが、どうすればそれを直せるのか。


 殺す、殺す、殺す。ヨーゼフの脳内で、低い声が響く。過去の記憶が消えていく。


「嫌だ……死にたくない……嫌だぁ……」自室にこもり、ヨーゼフは酒を煽る。母親の肖像画にすがり、涙を流していた。


 ハンナは様々な感情に襲われた。父親のこんな姿を見たことは初めてだった。


「いや……待てよ」ヨーゼフは、はっとする。思い出すのは、もう一人の〈聖者〉の姿。彼も記憶を失い、徘徊していたが、振り回していたのは、手のひらに収まる聖母の像。たまに祈るポーズもしていた。繰り返すように、それをしていた。そして、ふと我に返ったように聖母のことを話した。その饒舌さは驚くばかりであった。


「戦う前にいつも祈りを捧げていた……戦いの最中も聖母のことをも思うような信仰深さだった……」


 まさか、〈祝福〉が我々の頭に寄生し、マガイを倒すのに重要と判断した物を残すのか。


『〈第壱位階〉が、我々を使って何かをしている。それこそ、我々が石ころを用いて計算するように』


 それが変質させた生物を用いた生存競争を引き起こすことであったら―


「だったら……」ヨーゼフは、寝室へ行き、娘の顔を見た。


「やってやる……」


 記憶が飛ぶ。


 小型犬サイズのマガイを殺すヨーゼフ。使う剣は一種類だけにしていた。そして、殺した日は必ず家に戻るようにしたようだ。


 そういえば、二週間に一回、現れては、一日、ずっと私たちとべったりだったよなぁ。ハンナは身動きができない状態で思う。


 マガイを殺す、もしくはマガイを殺す訓練をした日には、必ず家に帰り、娘の顔を見て、強く印象付ける。娘のことが印象づくように、家を空ける。そして、戦いの際は、娘と会うことを渇望する。家に帰り、娘と思い切り、日常を過ごす。


 しかし、時が経つとそれだけでは足りなくなり、娘たちにも戦う技術を教え始める。できるだけ実戦に近い技術と、娘を結び付けるために。


 その苦悩が一気に押し寄せてきた。

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