第4話
先日、俺たちは少し不思議な体験をした。
あの後、同じ体験をしたあいつらと数回顔を合わせたが、特に語ることもなく、気まずい空気が流れて、それだけだった。
まさか、俺一人だけが体験した出来事で、全てが妄想…なんて、そんなオチも逆にありがちで、俺は思わず苦笑する他なかった。
「何事もなく、ってやつか?」
まあ、それが良いに決まってるか。
「円谷先輩」
「ん?」
何気なく道を歩いている俺に、背後から呼び止める唐突な声が聞こえた。
「だれだ?」
背後に視線をやった俺の目の前にいたのは…
「水原か」
水原…、水原かえでは、大の箱入り娘だ。
身長は160cm後半くらい、成績は詳しくは分からないが、どうやら絵を描くのが好きらしく、漫画家へのデビューを目指しているらしい。
多くの場合、箱入り娘って言うのは大抵、過保護に育てられ、青少年が好むような知識は簡単には持ちえないはずだ。
だが、こいつは違った。
20世紀、どこの誰かは知らないが、随分頭の良いらしい人間が生み出した、インターネットという画期的な発明は、人類に多大な恩寵を授けたと同時にハイリスクな副作用を有するという側面も持ち併せていた。
と言うわけで、事の顛末を語るまでもなく、彼女の性知識は30代の成人男性が泣いて逃げだすレベルの耳年増へと仕上がっていた。
「そうそう、先輩、今度オカルト同好会の合宿で…」
「ああ、海と山、同時に行くって奴だろ?山には洞窟、海には入り江だかもあるとか」
「何で先に言うんですか…」
「俺は行かないよ」
「えっ、何で?」
「今までオカルト部にはちょいちょい顔出してたけど、そのせいか、ヤバい気配を感じる案件には何かの予感を感じるんだ」
「今回の合宿はヤバい、って事ですか?」
「まぁ、勘だけどね」
「写真で見たけど、綺麗な所ですよ、日本じゃ珍しく、セノーテがあるとか」
セノーテ、その言葉に、俺はつい食指が動いてしまった。セノーテってのは要するに自然が生み出した大きな水溜りの事だ。
水が澄んでいて、その色は鮮やかな青。
深く奥には神秘をたたえたサファイアブルー。
それを実際にこの目にしたことがない。
その事実が俺の方針を180度転換させた。
「へ、へぇー…、どんな写真だ?」
「これです」
写真に写っていたのは、確かに水を湛えた窪地の様だった。
「セノーテ、か…」
◇◇◇
「先輩、風がすごいですよ!」
電車の窓を全開にして上半身に風を受ける水原。
「ちょっと、うるさいんですけど」
それを聞いていた越ヶ谷がヤジを飛ばした。
「あ、すいません…」
こう言うところは水原は意外とちゃんとしているようだ。
「うーん」
開かれた窓からの風は、確かに心地よかった。
今回は、部員のメンバーに加えて、越ヶ谷を誘ってみた。
この手の事に興味がありそうだったからだ。芥川は都合が悪いらしく、誘いには乗ってくれなかった。
部員メンバーは、水原、幽霊部員の俺、部長の四宮、カメラの小澤だ。
そう、部って言うよりは、同好会だ。
そんなこんなで、目的地まで電車に揺られて1時間、はい到着…、
「って近いなミステリースポット!」
「灯台下暗しってやつだな」
部長の四宮が言った。
「は、はあ…、そんなもんですか」
神秘のセノーテがそんな近場にあるとは。
◇◇◇
「今回の取材は一日で全行程を済ませて、あとは日帰りってことになってる。というわけで早速だが、ここに居る連中、半分に別れて調べよう」
四宮部長がよく通る声で言った。
「まず、俺と小澤は山の洞窟から調べてみる。水原と円谷と、越ケ谷さんは入り江の方を調べてほしい」
急な立案に俺は戸惑った。その案が通ると、水原と越ケ谷と俺という絶妙に微妙すぎるメンバーで半日間つるむことになる。
体力的にも、精神力的にも、俺は湧き上がる不安を隠す事が出来なかった。
「ちょ、ちょっと待ってください、何かトラブルでもあったらどうするんですか?」
俺は情けない声でそう言った。
「何言ってんだ、俺も小澤も自分で言うのもなんだが、度重なるフィールドワークで体力には自信がある。ガタイはお前ほどじゃないが、それでも一般の高校生としては体は丈夫だ。だから道が過酷だと思われる山道を俺と小澤が行くことにしたというわけだ」
確かに、俺は体格にしては、体力がある方ではないが…
「って、そういう事じゃないですよ、男女の比率がおかしくないですか?もし何かあったら…」
「何かあるのか?」
俺は越ケ谷と水原の方をちらっと見た。
「いや、それは…」
「とにかく、俺らが山で、円谷たちが海だ。まあ、頑張ってくれ」
そういうと、部長は俺の肩をポンと叩いたと思いきや、荷物を背負って歩き始めた。
「行くぞ小澤!」
「ういっす…」
えっ、マジ…?
後には俺たち海メンバーが取り残された。
◇◇◇
「あの、先輩」
「ん?」
海へと続く道を歩いていると、水原が話しかけてきた。
「メンバーの比率って、男一人と女二人が何とかってやつですか?」
「ああ、聞いてたのか」
「それがですよ、おかしいんですよ」
「何が?」
「男三人、女二人、計五人のメンバーを二つに分けるってことですよね?」
「ああ」
「(男一人、女二人)+(男二人)がダメなら、(男二人、女一人)+(男一人、女一人)のグループにも分けられますよね」
「まあ、男と女を混ぜつつ、五人を2組に塩梅よく分けるならその二つ以外に分けようがない気がするな」
いかにも何かが起こり出しそうな怪しげな組分けだ。
数字だけで妙な雰囲気がする…。
「じゃあどうすりゃ”おかしくない”、正しい等分で組分けできるんです?」
「さあな」
俺に聞かれてもな…
「あ、分かりました。三等分すればいいんですよ!」
「いや違うだろ、二箇所の目的地を効率的に探検するために、二等分するんだよ、それも何かあった時のため、女子だけじゃなく、男も混ぜてだ」
一人に余ったやつ、どこに行けばいいんだよ、それ…。
◇◇◇
「ところでアンタ」
道を歩いている途中、そう言い出したのは越ヶ谷だ。
「わたし、前々から気になっていた事があったのよ」
「どう言う事だ?」
「深刻な話よ」
深刻な話?いったい何なんだ?こういうのって身構えるな。
「タバスコって、3年間熟成された物を販売しているらしいわ。この前、商品の瓶に貼られている説明紙に書いてあったのよ」
「ああ」
「これって、3年間醸造されたタバスコが世界から全てなくなったら、売るものがなくなったタバスコ社はいったいどうなってしまうのかしらね」
そう言うと、越ケ谷は不敵に笑った。
「別の代替商品を売り出すんじゃないか?…よくわからないが…」
「ふーん、あっそ」
えっ?
「もういいわ」
「今のが、深刻な話か?」
そう尋ねると、越ケ谷はツンとそっぽを向いてしまった。
「越ケ谷さん、話に聞く通り変わってますね」
今の会話を聴いていた水原がそう言った。
「ああ、あれはどうも俺よりも根が深い気がする」
「俺よりも?」
水原が首を傾げて思案している。
「ああ、実は俺も一年くらい前までは、あんな感じだったんだ」
水原は、しばらく考えたあと、ニコッと笑って、
「迫力すごそうっすね!」
と、だけ言った。俺はそのしばしの時間を用いて、熟慮され、彼女なりに軋轢を避けるべくと考え抜かれた当たり障りの無い言葉という物に、悪罵の形と言うものは、その姿をありのまま、裸の姿を晒して現れるとは限らないと知ったのだ。その
「ちょ、ちょっと、先輩!」
「…ん?」
「今なんかボーッとしてましたよ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。問題ないよ」
「プッ、あんた、体大きいものね。一体何センチあんのよ?」
と、越ケ谷。
「ああ、187cmだ」
俺は質問に、情けなく答えた。
「187cm…、ですか…」
「でかいわね」
「ま、まあ、先を急ごう」
俺は話の腰を折って、二人に先を急ぐように促した。
◇◇◇
そうして道を歩き続けていると、村人と思しき人が、俺たちに話しかけてきた。
「ん?あんたら、他所のもんか?」
ここは、愛想良くしておくのが定石だろう。
「いえ、怪しい者では。高校の部活の企画で、海にある入り江を目指してるんです」
その村人と思しき人は、顔をしかめると、
「あ、あそこに行くっちゅうんか、あんたら…」
と、言った。彼の反応の感触が、あまりにも芳しくないので、俺は、彼に質問をしてみた。
「あの入り江に何か曰くが?」
するとそれを聴いた村人は、
「わしゃ何も知らん」
と言った後、口をつぐんで黙り込んでしまった。
俺たちは顔を見合わせると、
「どうします?」
「どうって、何が?」
「行かない方がいいんじゃないですかね?入り江」
実際、俺も、嫌な予感がプンプンしてきたところだった。
「あの村人の反応を見る限り、明らかに何か曰く付きのようだが…」
「ですよね」
水原が相槌を打つ。
「だが、行こう。今回のロケーションに、俺は正直、かなり興味を引かれているらしい」
水原は少し驚いて、
「セノーテ、ですか」
と言った。
「ああ、お前もあの写真、見ただろ」
「うーん…」
思案する水原。
「越ケ谷はどう思う?」
「まあアンタがそこまで言うなら、私は別に構わないけど」
と、越ケ谷。
それを聞いた水原は少し俯いた後、
「仕方ないですね、私も行きましょう」
若干、不安そうにそう言った。
「まあ、一抹の不安が残るが、入り江を目指そう、きっと得る物も大きいぞ!」
「おー」×3人
◇◇◇
そうこうして、海沿いの道を歩いていると、俺たちはようやく目的の場所に辿り着いた。
海沿いの砂浜を歩いていてしばらくすると、その地形は突如として目前に現れた。やや控えめ位に屹立した岩肌が、日陰のような洞穴のような場所を作り出している。
確かに、実際に見ると凄い雰囲気の場所だ。
「こ、これが、例の入り江…」
「ああ。前情報よりも、もっと良いところじゃないか?」
早速、俺たちは入り江に足を踏み入れた。入り江の内部の広さは、15メートルくらい。洞窟の広さの相場は知らないが、実際にその場に来ると、自然の生み出す景色の力強さにただただ圧倒されるばかりだ。
洞窟内部の上部分を見上げる。割れた天井からは、日光が差し込まれ、真下、つまり今回の目的、セノーテへと降り注がれていた。今は時間にして午後5時。夏だからか、時刻に反してまだ日は差している。
「はっ…、これが」
「ああ」
例の写真と比べるとやや見劣りするが、今、目前にあるのは、深い青さを煌々と放つ、まさしく「セノーテ」だった。
「ここが、セノーテ…」
ようやく、俺たちは目的の場所へと辿り着いたと言うわけか。
俺たちは、少し高くなっている岩場に腰をかけ、
セノーテを見下ろしながら、ぽつりぽつりと、語りはじめていた。
普段陰キャな俺たちも、本心をありのままに語ってしまう、
これも大自然のなせる技だろうか?
「そういえば」
「ん?」
「円谷先輩、昔、変な喋り方してたって言ってましたよね?」
「ああ」
そ、その話か、しかも今になって。
「それ、どんな感じですか?」
「いや、どんなって言われてもな」
「聞かせてくださいよ」
「いや、いいだろ、正直照れる…、この話はもうやめにしないか?」
そうですか、と名残惜しそうに水原は言った。
「ところで先輩、ここってセノーテなんですかね?」
「ん、どう言うことだ?」
「セノーテっていうのは、ユカタン半島で俗に言う井戸や泉と言う意味の呼称らしいです、中に鍾乳洞がある…」
水原がスマホを片手にしながらそう言った。
「じゃあ、ここってなんなんだ?」
「ここですか?」
「めちゃくちゃ綺麗な水たまり…?」
三人、一瞬黙り込むと…、
「でも、綺麗ですよ」
と、水原が言った。
そう、俺もそう思った。
◇◇◇
俺たちがそんな風に談笑していると、
「ん?おー、お前ら…!?」
そこに、四宮部長と小澤がやってきた。
「な…、二人とも、なぜここに?」
「ああ、どうも山の洞窟とここ、中で繋がっているらしい」
「な、なるほど…」
すると部長は、ちょっと休ませてくれ、と言って、座るのに丁度良さそうな岩に腰を下ろした。
「折角だから、みんなで揃って記念撮影でもするか?綺麗な場所だしな」
と、小澤が言う。
「ん…。俺は写真に撮られるの苦手なんだが…」
と、俺は身構えた。
「まあまあ、今日は無礼講ってことで一つ。後ろの泉を背景にして、一枚撮ることにしないか?不満のあるやつ、挙手してくれ」
「…」
「ってことだ、ほら撮るぞ」
ということで、泉を背後にして、俺たち4人は写真に撮られることになった。それ以外にも、一人一人のスナップ写真も小澤は撮っていたみたいだ。
「よし、こんなもんだろう。撮った写真は、あとで人数分、それぞれプリントして配ることにするよ」
小澤はそう言って、カメラをカバンにしまった。
「しかし、凄いところだな」
「ですよね。みんなでまた来ましょうよ」
「だな」
そうやって、感無量、俺たちの今回の部活は幕を閉じたのだった。
◇◇◇
夏のとある日、オカルト部にて。
「今日、みんなに集まってもらったのには訳がある」
と、部長が重い口を開けて、こう言った。
「私、用があったんだけど…」
と、越ケ谷。本当に他に用があったのかは、正直疑わしかった。
「見て驚かないでくれ、これだ」
そういうと部長は、紙…、画像をプリントされた写真を俺たちの前で広げ始めた。
「!!!」
そこに有ったのは俺たちを被写体とした写真、いや、もとい、心霊写真だった。
「こ、これは…」
凍りつく、一同。
「お焚き上げ…、した方がいいんですかね?」
「いや、これデジタルカメラだぞ?一体どう祓うんだ…?」
「…」
そして俺たちは一同、静まり返ってしまった。
「この…、赤い色で写ってる、人の手みたいなのって…、確か警告か何かのメッセージですよね…?」
そう、水原は重い口を開いて、写真を指さしながら言った。
「えっ、じゃあ、こっちの青いのは…?」
「青は、なんだったかな…?すいません、分かりません…」
「…」
そうして、みんな黙り込んでしまった。
これが俺たちの今夏の、一番大きなニュースとなった。
ちなみに商魂逞しい俺たちは、写真をテレビ局に売り込むことにした。
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