第14話 歌い主、贈り主
ヨロズハとアイイロは一つの小さな指輪と袋にはいった塩と引き換えに一週間宿をとった。部屋の中は寒かった。冷たい石の床に藁で編まれた簡素な敷物。泥で固められた壁。アイイロは少し愚痴ったが、ヨロズハはそれどころではなかった。
部屋に入るなり正座をし、恋文の書かれたホタテの貝殻を食い入るように見つめた。
「恋文もらっただけでそれって……ヨロズハってモテないの?」
「私はマンヨウ王が好きだから、他の男は……」
初めて口にした言葉。ヨロズハはぴたりと止まった。彼女はマンヨウ王が好きだが、男性として好きなのかという疑問が浮かんだ。ヨロズハは体が傾くほど首を傾げる。
そもそもヨロズハは自分のような身分がマンヨウ王に恋をしていいのかという疑問も持った。それ以前にマンヨウ王に恋をしているのか。
ヨロズハは巌のように硬くなり、口を真一文字に結ぶ。一方でアイイロは面白がって鈴のように笑った。
「私はヨロズハに男が寄ってきてもおかしくないと思うわよ。赤い髪も瞳も、可愛らしい顔も素敵よ。その貝殻の送り主に返歌しなくていいの?あるんでしょ、そう言う決まり」
ヨロズハはあっと声を漏らした。この貝殻は人から人に贈られた歌である。宴会で歌われるタイプのものとは違う。ヨロズハにとってこの歌は返歌の対象であった。
「この貝殻を渡してきた子供は主人からと言ってたな」
「そうね。何かしらの有力者かしら」
ヨロズハは文字列をじっと見た。穴が開くほど見た後、ため息をついた。
「歌からは全くわからない。普遍的だ」
例えばヨロズハの歌う王の讃美歌ならば、ソレを見れば王の家臣やその一族が歌ったものだと分かる。だが今回ヨロズハの受け取った歌はそういう類の情報がなかった。
その日の夜になるまで、ヨロズハは考えていた。月明かりが差し込み、彼女の頬を照らす頃になって、やっと立ち上がる。流石に足が痺れて少しよろけた。ヨロズハの手をとっさにアイイロが掴んだ。
「しっかりしなさいよ。で、何か分かったの?」
「ありがとう。何もわからない。だから探してくる!」
ヨロズハは木簡の入った布袋さえも置いて、部屋の戸を開けた。ちょうど夕食を運んできた女性をかわして、ヨロズハは宿を出る。あたりは影に包まれ、窓灯りと道に等間隔に置かれた松明があたりをほんのりと照らす。
ヨロズハは日中にアイイロとパフォーマンスを行った場所へと向かう。港から帰る人々とすれ違う。彼らに逆走して、ヨロズハは港の方へ。港と街を繋ぐ大きな道で彼女は道端で歌うことによる初めての報酬得た。
その場所に着くと、釣り竿や網を持った漁師たちがガヤガヤ笑いながら歩いていた。彼らの脇を抜ける。そしてあたりをキョロキョロと見渡す。しかし暗いのもあって何も見えない。ちょうどよく近くの松明は火が消えていた。
「……慌てて出て来すぎたな」
彼女は松明も持っていない。代わりに月明かりで白い一枚のホタテの貝殻が見える。ヨロズハはそこに書かれた文字列を指先でなぞった。達筆。そんな感情と共にヨロズハの胸の内がざらついた。何か熱が込み上げて来るような感触。少し息が浅くなった。
「……一旦帰るか」
ヨロズハが諦めてクルリと踵を返す。その刹那彼女は分厚い壁のようなものにぶつかって尻餅をついた。腰をさすりながら彼女が目の前を見ると、松明を持った禿頭の大柄な男と細身の男が立っていた。
「すまない」
ヨロズハは謝った。言下、ゴシチとシチゴが金切り声をあげて彼女の袍から飛び出し、二人の男に体当たりをした。二体に実態はないためすり抜けるが、ヨロズハは事態を理解した。ゴシチとシチゴが警戒している。つまり目の前の男たち危険だ。
ヨロズハは二体と共にそこから弾かれるように逃げ出した。しかしすぐに細身の男の方に腕を掴まれてしまう。ヨロズハが身を捩ってもびくともしなかった。
「兄貴、こいつですぜ。昼歌ってた朱の髪のガキです」
禿頭の大柄な男は顎に手を当てて、値踏みするようにヨロズハの肢体を見渡した。
「今後に期待って感じだが、歌を歌えるんだ。いい値段になるだろ。よし、持っていこう」
ヨロズハは背筋に氷柱を差し込まれたような心地がした。目の前の男はなんと言ったか。持っていこうである。人を人と思わぬ言動に彼女は身震いした。
「離せっ!宿に私は帰るんだ!」
ヨロズハはアイイロよろしく足を男の脛にぶち当てた。しかし大木を蹴ったかのよう。
男は舌打ちをし、ヨロズハを睨んだ後に手を振り上げた。弓を弾いた時のような、バチっという音と共にヨロズハの頬が叩かれる。
細身の男の腕から離れ、ヨロズハは地面に打ち付けられた。頬が熱かった。無数の針に刺されたような痛みを感じる。
ヨロズハは息が浅くなった。先ほどのような胸の熱さを伴うものではなかった。ただ恐怖だった。
男たちの手が彼女に伸ばされる。ヨロズハはギュッと目を瞑った。しかし彼らの手が彼女に触れることはなかった。
ヨロズハが目を開けると、今にも消え入りそうな雰囲気の白い髪の青年が立っていた。彼は男たちの間に立って、二人の腕を押さえている。
「女の子一人に男二人……恥を知るべきだと思う」
男二人の顔が引き攣った。ヨロズハが見ると、彼らの腕は白い髪の青年の手に握り潰される手前だった。
まるで万力のような力を込められ、ゴキという鈍い音とともに男二人が悲鳴を上げた。
「てめぇ!ガキャァ!何しやがる」
「もう片方もいっとくかい?」
禿頭の男は汗で額を濡らし、青年を睨む。そして舌打ちをすると泡を吹いている細身の方を引っ張って夜の闇に消えていく。
青年は彼らの背中が見えなくなると、その場に崩れた。そして背中を丸め、痰が絡むような咳を何度も吐き出した。
ヨロズハは一瞬何が起こったのか分からなかった。しかし自分の恩人が苦しんでいることだけは理解して彼に駆け寄った。
「だ、大丈夫か!」
ザラついた声で彼は笑った。
「はは、カッコつけられないや。呪術の反動が流石にね」
ヨロズハが月で照らされた彼の腕を見ると、万力の刺青が入っていた。類感の呪術の一種だった。似ているものから連想される事象を引き起こす。彼は折れそうな細い腕に万力の刺青を入れ、呪力を込めることで力を強めることができる。
しかしヨロズハはそれ以上のことを知っていた。体が弱い人が使う呪術の一種なのだ。力が強く入れられない人が、握力を担保するのがこの呪術の主流な使い方だ。
現に青年の腕は骨が浮き出ており、枝のようだった。そんな人が他人の腕をへし折るほどに呪力を込めれば反動は必然だ。
青年は深く息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。ヨロズハはふらつく彼の体を支える。異様に軽かった。
「助けてくれてありがとう!でも無理するな!」
ヨロズハがその言葉を発するや否や、青年は顔を彼女に向けた。彼の片目には傷があった。彼は口をゆっくりと開く。
「君の声……まさか……昼にこの道で歌ってたかい?」
ヨロズハは虚を突かれた。しどろもどろになりながら答える。
「あ、あぁ。踊りを舞う友人と共に……」
「そうか……無礼を働いてすまなかった。ホタテの歌を送ったのは僕だ」
青年はすっかり健全な息を取り戻していた。一方でヨロズハの呼吸が心なしか早くなった。
「あ、貴方があの歌を?」
「そうだ。僕が君に……」
青年は頬を赤らめた。暗がりでもわかるほど赤くなっていた。
「恋文を送った」
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