第12話 アイイロの舞う芸術一首
あと三十分もすれば日は沈む。空の端が紫色に染まっているなか、フタ村の人々の視線は空の下の物見櫓に集まっていた。
太い木材を格子状に組み合わせた物見櫓の屋根は雪国の家の屋根みたいな急な坂のようになっている。そんな屋根の上で一人の少女が立っていた。
「おいアイイロ!お前捕まってたはずだろ!降りてこい!何してるんだ」
藍髪の一族の面々が怪訝そうな顔をして彼女を見つめる。彼らの脚力、腕力をすれば強引にアイイロを連れ戻すことは簡単だ。しかしそれはしたくなかった。
なぜなら彼女の纏う衣装が藍髪の一族の踊りで使う衣装とよく似たものだった。衣装を損壊させるようなことはしたくない。衣装の違うところと言えば、衣装の上下が分かれており、アイイロの線のくっきり浮き出た腹筋が見えている。肌をむやみに出すやり方を藍髪の一族はあまりしない。その上彼女の衣装のあちらこちらから糸が飛び出ている。
アイイロは物見櫓の下に集まる藍髪の一族にニコリと笑いかけ、視線を少し先に向ける。そこには家の影にいるが、しっかりと彼女に視線を向けるヨロズハ。
ヨロズハは赤い髪を隠している。しかしアイイロと視線が合うと、ゆっくりと公衆の面前に姿を見せた。そして頭巾を外す。彼女が朱の髪一族であるとわかると、すぐさま何人かが彼女を捕まえんとしたが、ヨロズハは構わず叫んだ。
「やってやれ!舞えアイイロ!」
その音圧に圧倒された藍髪の一団。彼らはヨロズハの向く方向に目線を向けた。そこには手を挙げたアイイロがいる。声を発さない鶴の一声。その手の先に皆の視線が集まり、時間が止まった。
アイイロは手を斜め下へと振り下ろす。遅れて衣装の大きなひらめく袖が空に弧を描く。
もう片方の腕は振り上げる。天に昇る龍のように袖がひらめいた。始まった踊りにすでに皆は視線が釘付けだった。
不安定な物見櫓の屋根で彼女は小刻みにステップを踏む。そう思うと大きく反閇のようなダイナミックな動きも見せる。
一度大きく開いた背中を見せて、その背筋の躍動に皆の視線を奪うと、アイイロは妖艶な笑いを見せて再びくるりと回る。
蝶のはためきのように優しく袖を振り、嵐のように体幹を捻り、舞う。
周囲の藍髪の一族にはアイイロよりも踊りが巧みな者もいる。だがそんな彼らでさえ、アイイロの踊りを口を開けて見ている。よだれが垂れるのも気がつかないほどに。
そんな血眼に応えるようにアイイロは踊りを加速させる。真横から夕暮れが彼女を差す。光と影の部分が、明暗としてくっきりと現れる。腕が闇に消えたと思うと、猛獣のような勢いで光の下に現れる。彼女が旋回すると、その明暗が一層際立つ。
アイイロが足を振り上げる。腰布がしなり、円を描く。足は力強く振り下ろされるが、湖畔に波もなく降り立つかのように優しく接地する。
圧倒的に舞う。そして藍髪の一族らは驚愕した。彼女の衣装から不自然に飛び出た糸の意味に気がついたのだ。
絹の糸。柔らかく、陽光をうけてキラリと光る。皆は思い出した。糸も踊りを成す要素の一部であると。
さらに彼らは再認識した。アイイロの衣装には布の余るところと少ないところが極端だ。アイイロのしなやかに伸びる手足が隠れたり、現れたりする。皆は思い出した。衣装も踊りの一部であると。
藍髪の一族はいやがおうにも目に刻みつけられた。踊りがいかに多くに支えられて、認められているのか。
アイイロは踊りつつ目下の人々を見た。彼らは泣いている。だから彼女は笑った。
「気がつくのが遅いわよ。踊りってこんなにすごいのに」
誰にも気がつかれないほどの小さな声で呟くアイイロ。彼女の汗が飛び散るが、もうほぼ輝かない。日はほとんど沈んでいた。黒い影のようにしか彼女は皆に見えていない。
いくつもの角度に円を描くように腕や足を振る。連動する体の影はこの世の何よりも美しい視覚的美術のようにヨロズハには思えた。
最後にアイイロは強めに屋根を踏みつけた。気付のように大きな音だった。そこで集まった藍髪の一族は初めて涙を流していることに気がついた。皆が目に手をやり、涙を拭う。一瞬視界が塞がった。
そしてバキバキという音と共に、アイイロは物見櫓の上から消える。皆はあたりを見渡した。しかしアイイロの姿はどこにもなかった。
その夜、藍髪の一族は少し気が落ち込んだような顔をして街の集会所へと向かっていく。そんな様子をヨロズハは横目に、物見櫓から離れていく。藍髪の一族がこれから何を話し合うのか、予想ができた。
だからというわけではないが、この村のほぼ決まった行く末よりもアイイロの方が気になった。
ヨロズハはフタの村を歩く。牛や豚の寝息を聞きながら彼女は川沿いの草むらに向かった。
「ここにいると思った」
「あらヨロズハ。いい夜ね」
「いい夜にしたのはアイイロだろう」
草むらでアイイロはすでに着替えており、薄い青の服に戻っていた。もうあたりが真っ暗だった。なのでヨロズハはあまりアイイロの顔が見えない。しかし彼女の声色は明るかった。
「みんなの顔!踊りがいいものだって思い出して、誇りを取り戻しそうな顔をしてた」
アイイロはガサリと草を倒して寝転がった。ヨロズハも真似する。群青色の空に砂糖をまぶしたように星が散らばっていた。
「はい、コレ。ヨロズハにあげる」
アイイロは寝ながらヨロズハに木の板を手渡した。ヨロズハは首を傾げた。アイイロから板を渡される心当たりがない。
「私、手足の先に墨を付けて踊ったのよ。物見櫓の屋根の板一枚の上で踊るの大変だったんだから。暗くて今は見えないだろうけど」
「な、なんでそんなことを……」
「ヨロズハはこのフタ村をなんとかするのと、歌を集めたいんでしょ。でも私が表現できるのはコレだけ」
ゴシチとシチゴがヨロズハの袍の中から出てくる。紫色の二体の光に照らされて、木の板が視認できるようになった。ヨロズハはそれを見て目を丸くした。
そこに描かれていたのは文字ではなかった。踊りの際に手足の先につけた墨が木の板を擦った軌跡であった。そのため赤子が書いた文字のようになっている。
だがヨロズハは文句の一つも出てこない。コレは完全に踊りを愛する者の歌だと思えた。踊り手たるアイイロにしかできない表現だ。彼女が木簡に記すのはコレがぴったりだとヨロズハには思えた。
「ありがとう。アイイロ……コレは確かに君の芸術だ」
ヨロズハは優しくその木の板を他の木簡と共に仕舞い込んだ。マンヨウ王に歌を見せる時なんて弁明しようか、なんてことは考えなかった。むしろ彼女は胸を張ってコレを提出できそうな気がした。
「なぁ、アイイロ。私は君のことがもっと知りたい」
「私も」
二人はクスリと微笑んだ。そして夜がかけるまで語り合うことにする。二人の眼前に広がる星空はだんだんとその姿を見せなくなった。空が白んでくるころには、二人は数回意識を失いつつも互いのことをかなり知っていた。
太陽が出てくる数分前、アイイロはむくりと草むらから起き上がった。
「ねぇヨロズハ。藍髪の一族は踊りの誇りを取り戻せると思うわ。でも……私思ったのよ。みんなの夢中な顔を見て……もっと皆んなの心に踊りを届けたい。あなたの歌集めの旅に連れて行ってくれない?」
ヨロズハは少し頬を緩めた。彼女も起き上がる。少しのだるさがあったが、彼女は歯を見せた。
「マンヨウ王の尊さを伝えるためには、聴覚情報だけじゃなくて視覚情報も必要かもな。しょうがない、連れて行ってやる」
「いいわよ。あなたの歌に合わせて踊ってあげる」
日が顔を出す。ヨロズハは本当にアイイロの指先が墨染まっていることを視認した。
「これから頼む。アイイロ」
「よろしく、ヨロズハ」
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