第7話 タダシの歌う歌一首

 薬を飲んでしばらく経ったタダシの妻はだんだんと顔色が良くなってきていた。苦しそうにな様子もなくなり、夫と久しぶりの会話を楽しんでいる。


 以前までのヨロズハならば歌を作れと急かしているところだが、彼女は不思議とそういうことを言う気にはなれない。使命を忘れたわけではないが、少し心を穏やかに保てている。


「んだ。ヨロズハのために歌を作んねぇとな」


「ヨロズハさんはどんな歌がお望みなの?」


 ヨロズハは顎に手を当てて天井を仰いだ。暮らしがわかるような歌と言ってしまうのは簡単だが、真にそれがマンヨウ王の望むものなのか疑問だった。


 そんなことを考えていると、ふとマンヨウ王の言葉を思い出す。


「マンヨウ王は歌にはと仰った。私もそう思う。日々の暮らしの思いがわかるようなものを頼む」


 夫婦が今度は天井を仰いだ。二人にとって歌はあまり聞くものではないし、作るものでもない。しかしヨロズハはここで指導をすることはしない。なぜならそれでは人々の暮らしがわかる歌にはならない。ヨロズハの考えが入ってしまう。


 タダシ達にそれを伝える。彼はしばらく顔が赤くなるほど考え込んだ。しかし眉を八の字に曲げ、降参だというように手を上げる。


「コツ!コツだけでも教えてくんろ。ヨロズハはいつも歌を作る時どんなことを考えてるだ?」


「私はいつも……正直に作ってる」


「正直に?」


「心のままにだ。赤い花にでも青を感じたら青と言う。鳥が高く飛んでいても、掴めそうなら掴めそうと言う」


 妻の方は少し首を傾げたが、タダシはポンと手を叩き、何か思いついたような顔をした。


「自分で言うのもなんだけど、オイラ正直者とよく言われるだ。そんならいけるかもしんねぇべ」


「おお、心強い!では!」


 ヨロズハは筆と墨壺、木簡を袋から取り出した。そしてタダシにもそれらを食い込まんばかりに押し付けた。


 タダシは木簡と墨壺、筆をとると、一旦床の上に置いた。そして木簡を撫でるように触ってみる。彼にとっては木は生活のために使ったり売ったりするものだ。それに字をしたためるというのは不思議な感覚だ。


 ヨロズハはしばらく固まっているタダシを見つめた。しばらくして、彼は妻を見、ヨロズハを見た。そして一言つぶやく。笑いながら。


「オイラは木を切る民だ。筆で歌を書くのはなんか……くすぐったいべ」

 

 彼はそういうと、近くにあった袋の中からノミを取り出した。そしてノミに息を吹きかけ、木屑を吹き飛ばすと、意気揚々と木簡を削り始めた。ヨロズハは最初目を丸くした。だが彼がそれで字を刻んでいることがわかると、じっと見守る。


 ガリガリとノミで木簡に傷をつけていくのは、朱の髪一族としては目を顰める光景だ。しかしヨロズハはそれが彼の生き様をよく表していると思った。木と共に生き、木のおかげで生きながらえている彼そのものだった。


 数分間、木を削る音が響いた。正直に、彼らしく木簡に字を刻み切った彼は風呂上がりのようにさっぱりした顔をしていた。


 タダシは恭しく木簡を持ち、顔の前に掲げた。そしてこほんと咳払いをする。


「木を切るだ 木と共に生き 家族養う オイラの世界」


 歌い終えて、タダシは少し恥ずかしげに笑った。


「オイラの生き様だ。こんなもんでいいか?」


「あぁ、素晴らしかった!タダシの人となりもわかるし、どんな暮らしをしているかも分かった。そして妻を大事にしていることも」


 ヨロズハはタダシの妻に目をやる。彼女は手元に口をやり、くすくすと笑っていた。


「木に刻むっていうのが、アナタらしいわ」


「へへ。お偉いさんは怒るかもしらねぇが……オイラをよく表現できたべ」


 ヨロズハは木簡をタダシから受け取る。刻まれた字は丁寧で綺麗なものだった。木や工具を扱う彼の技量が見えた。まさに木と共に生きる民の歌である。


「マンヨウ王に渡せる歌が増えた。ありがとう二人とも」


「こちらこそありがとうだべ。妻のところまで、ヨロズハのおかげで来れただ」


 ヨロズハが木簡を袋の中に丁寧に仕舞い入れていると、奥の襖が開いた。そこにはシワが深く刻み込まれたは老婆が立っていた。


「お客さんかいえ?」


 その老婆はお盆に湯呑みをのせ、ヨロズハのことを目を細めて見つめた。そして彼女に接吻せんばかりに近づいた。ヨロズハは気圧されながら挨拶をする。


「わ、私はヨロズハ。マンヨウ王の命を受け、歌を集めている」


「ほぇぇ。お偉いさんかいえ。なら王様に伝えておくれ、山を超えたところ……えぇと、フタの村で暴れん坊の一族が幅を利かせてるのをどうにかしてほしいと」


 老婆はため息をついた。一度奥に引っ込むと、湯呑みをもう一つ持ってきて、ズズズと茶を啜る。そんな様子の老婆にタダシの妻は困ったように言う。


「母上、ヨロズハさんは私達の恩人なのよ。無理をもうしては……」


「んでも、事実だ」


 老婆の言葉にタダシと妻は黙り込んだ。ヨロズハは少しの間同じように黙っていたが、口をゆっくりと開いた。


「王に言う前に、私が行って原因なんかを調べてみる。暴れん坊の一族とやらを説得できるかもしれないし」


 ヨロズハは胸に手を当て、そう言った。


 

 



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