第25話 紫陽花
6月のある日、芙蓉は紫陽花を見るために枇杷亭の庭にある四阿に居た。
ククとシュンは楽しそうだが、カカは険しい顔をしている。
芙蓉のお腹が目立つようになってきたころから、若様は外出どころか芙蓉が枇杷亭の庭に出ることすら許さなくなった。
以前までは若様が一緒ならいつでも庭に出られたのに。
芙蓉からすればまだ出産まで2ヶ月もあるのだからずっと屋敷に籠っていられない。
しかし、珍しくというよりも初めて若様は折れてくれなかった。
どんなになだめすかしてもダメだった。
芙蓉は面白くない。
若様が留守の隙に、庭に出ようとしたら鶴のばあやに見つかった。
「紫竜の雄はそういう生き物ですのでご辛抱ください。」
「私だって妊娠中に外の空気を吸って日の光を浴びたい生き物です。お庭だけならいいでしょう?私には空を飛ぶ翼はないんですから。」
「・・・若様にはご内密にしてくださいませ。それとばあやも付き添うことをお許しください。」
「やった!さすがカカさん。もちろん秘密です。」
鶴の婆やは厳しいが、自由に空を飛べないという言葉に弱いことを芙蓉は知っている。
紫陽花は小さな池を取り囲むように見事に咲き誇っている。
「さすが
そういえば、執務室の扉は紫陽花だけど若様がお好きなの?」
「若様に花の区別がつくと思われますか?」
ククの返答に芙蓉は苦笑いした。
「カカさんなら何かご存知かもしれませんよ。」
シュンが鶴のばあやを見る。
「若様のおじい様がお好きでした。この枇杷亭の前の主人です。」
「え!?おじい様というと若様を可愛がっておられたという?」
確か孔雀の奥様との結婚を勧めたお館様のお父上だ。
「はい、若様のおかげでお館様が族長になったと溺愛されておりました。・・・この枇杷亭を含む全財産を若様お一人に相続させるほどに。」
「ああ、熊と竜帆様が大騒ぎされたそうですね。」
ククが悪い顔で笑う。
「りゅうほ様?」
どこかで聞いたかな?
芙蓉は思い出せない。
「熊とお館様のご長女、龍栄様の姉です。」
ククが教えてくれた。
「若様以外の孫には何も残されなかったの?」
いくら何でも極端すぎないだろうか?
芙蓉の祖父だって、兄の4分の1だったが、芙蓉にお金を残してくれた。
「はい。全て若様に残すとの御遺言でした。ご生前より、熊の実家から支援を受ける異母兄弟と比べて若様が不自由しないようにとたくさんの支援をされていました。」
「・・・息子であるお館様には何も残されなかったの?」
族長になった自慢の息子ではなかったか?
「孔雀の奥様への結納金をご用意されたのは若様のおじい様でした。それなのに、熊の奥様に気持ちを戻したお館様に激怒されておりました。」
『うわ~』
芙蓉は思わず半目になる。
なんと複雑な家族関係だろうか。
「孔雀の奥様には?」
「おじい様が亡くなられたのは若様がまだ5歳の時でしたから、亡くなる数日前に遺産の管理を孔雀の奥様に頼まれました。」
「そんな子どもに屋敷を残したの?」
「はい。紫竜の雄は成獣になると親の巣を出て独立しますので、屋敷は喜ばれます。若様が成獣になるまでは他の竜に貸しておられました。」
『さすが商人。』
芙蓉は感心してしまった。
「ふふ、ご子息がお生まれになれば、若様と奥様は本家に移られて、こちらはご子息にお譲りになるかもしれませんね。」
ククが芙蓉に微笑みかける。
「息子が産まれたら本家に行くの?」
「はい。若様が次期族長に指名されるはずですから。」
ククの言葉に芙蓉は無言になる。
『期待が重すぎる・・・』
「大丈夫ですわ。奥様。お一人目がお嬢様でも、すぐにお二人目ができますわ。族長にもお姉様がいらっしゃいますし。」
シュンはフォローになっていない。
と、穏がこちらに走ってきた。
「若様がもうすぐお帰りに!」
「すぐ戻るわ。」
芙蓉は慌てて立ち上がる。
お腹が大きくなってきて走るのはきつい。
「このままお風呂に!匂いで気づかれます。」
カカも焦っている。
「私は少しだけ時間稼ぎ致しますので・・・奥様、お足もとにお気を付けください。」
穏はそう言って門に向かって走っていった。
~枇杷亭~
「芙蓉。昼間から風呂とは珍しいな?」
帰ってきた若様は、お風呂の前の廊下で待っていた。
怪訝な顔をしている若様に芙蓉は黙って微笑んだ。
下手に嘘をつくとぼろが出る。
「若様。ククたちが庭の紫陽花がきれいだと教えてくれました。私の部屋にいくつか持ってきてほしいので穏さんに頼んでくださいませんか?」
「アジサイってなんだ?まあいい。疾風、穏に伝えてこい。」
「はい。」
疾風はすぐに庭に向かった。
「穏さんに特別手当をあげてくださいね。」
「ん?わかった。カカに用意させるよ。」
「ありがとうございます。若様、お仕事お疲れ様でした。一緒におやつでも食べましょう。」
「ああ、何が食べたい?」
「果物がいいです。いろんな種類を少しずつ。」
カカは食堂に向かっていった。
芙蓉がこう言えば、延さんは2人で食べきれる量の果物を少しずつ盛り付けて、残った果物は屋敷の使用人のおやつにするはずだ。
『隠しごとに巻き込んだお詫びはしておかないとね。』
芙蓉は若様の腕に手を回すと一緒に執務室に入っていった。
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