第22話 花見会

~紫竜本家~

「枇杷亭の若様、奥様。お待ちしておりました。」

ワシ族の執事、だんが深々とお辞儀をする。

この日、芙蓉は若様に連れられて初めて紫竜一族の本家に来ていた。

枇杷亭から空飛ぶ馬車で10分ほどの場所だった。


芙蓉のお腹はまだ大きくなっていないが、着物の帯は苦しいので、ピンクのゆったりとした丈の長いドレスにした。

ダイヤモンドのネックレス、イヤリングをし、左手薬指には結婚指輪をはめている。

黒髪はポニーテールにしてダイヤモンドの髪留めをつけた。

ククは意外と器用で芙蓉の髪をきれいに結ってくれる。


若様は赤紫色の和装だ。左手薬指に結婚指輪をはめ、芙蓉に合わせてダイヤモンドの飾りがついた金色のひもで濃い紫の髪をきれいに束ねている。



「花見会の前にお館様がお会いになりたいとのことです。どうぞこちらへ。」

「熊の奥様も一緒か?」

若様が尋ねる。

熊の奥様といえば族長の1人目の妻、若様からしたら継母にあたる獣人らしい。


「いいえ、族長お一人です。」

ワシの返事に若様はほっとした顔になっている。



~族長執務室~

「失礼します。」

龍希は妻の肩を抱いて一緒に族長執務室に入った。

「ああ、よく来た。座りなさい。」

族長が笑顔で迎える。

珍しく上機嫌だ。


「なんの御用ですか?」

「・・・お前はまだ妻を連れて儂のところに結婚の挨拶にきておらんかったろう?」

族長は呆れた顔で龍希を見る。

「ああ、忘れてました。妻の芙蓉です。」


「初めまして。お館様。」


妻は笑顔で挨拶する。


いつものことながら作り笑顔を崩さない肝のすわりっぷりに惚れ惚れしてしまう。


「初めまして。龍希には苦労しているだろう。ククとシュンが守ってくれるだろうが、どうにも困る時には竜湖か儂に遠慮なく言いなさい。」

「余計なお世話です!」

龍希は族長を睨んだ。


「今日は桜の花は用意できなかったが、竜湖が桜茶というのを仕入れてきてな。もし嫌いでなければこの後の食事に用意させよう。」

「まあ、お気遣いありがとうございます。是非いただきたいです。」

妻は笑顔で返事する。


これは本物の笑顔だ。

俺には滅多に見せてくれないのに・・・

龍希は拗ねた。


「なんですかそれ?」

「桜の花から作った人族のお茶らしい。お前も飲んでみるか?」

族長はニヤリと笑って龍希を見る。

「・・・俺は酒だけで結構です。」


扉をノックする音が聞こえ、族長の犬の執事が入ってきた。

「龍栄様がご到着されました。」

「おう。クース、龍栄が着席するころに龍希たちを案内してくれ。」

族長は執事に命じる。


「え!?待ってください。龍栄殿が先ですか?」


龍希は慌てた。

「当然だろう。クース説明してやってくれ。」

族長はまた呆れた顔をする。

「一族の皆様には序列がございまして、下座から先に着席する決まりです。今回、奥様のご懐妊により龍栄様と若様の序列が入れ替わりました。」


最悪だ。

だからあの熊がこの場にいないのだ。

てか妊娠しただけで序列代わるの!?



「枇杷亭の若様、奥様。ご案内いたします。」

クースに促され、廊下に出る。

龍希はすでに帰りたいが、花見会の参加は妻の希望だ。龍希は逆らえない。


「こちらが本日の会場である大広間でございます。その隣にあるオレンジの札がかかったお部屋が枇杷亭の奥様専用の休憩室でございます。気分が優れない時はこちらでご休憩ください。

最優先されるのは奥様のご体調でございます。」

クースが妻に念押しする。

「ありがとうございます。承知いたしました。」

「奥様。せん越ながら使用人にその言葉は・・・」

「分かったわ。」


妻は本当に理解が早い。

龍希は賢い妻が愛おしくて仕方ない。


「行こうか。」

龍希は妻の手を握って微笑みかけると、大広間に入った。



~紫竜本家 大広間~

『え!?まさかあそこに座るの?』


芙蓉は顔が引きつりそうになった。

奥の一段高い席が族長の席だろう。その左側手前の席だけがあいている。

その後方、壁側に疾風、クク、シュンが控えていた。


その向かいには、若様より少しだけ明るい紫色の髪をした青年と着物を着た熊の獣人が座っていた。

おそらくあれが龍栄様とその母である熊の奥様かな?


芙蓉は会場をそっと見渡して思わず吐きそうになった。人そっくりの姿をした紫髪の男女が何人も・・・若様の親族だろう。

そして紫髪の男の隣には着飾った獣人たちが座っている。

取引先から嫁いできた妻たちだ。


『あれは見た目だけ。人じゃない・・・』


そう思っても獣人と並んで座っている場面を見ると気持ち悪くて仕方ない。

まるで人と獣人の夫婦のようだ。


「大丈夫か?芙蓉」

若様が心配そうに顔を覗き込む。

「大丈夫です。少し緊張してしまって。」

芙蓉は慌てて笑顔を作る。

芙蓉のせいで若様に恥をかかせてはいけない。


「はーい。龍希、芙蓉ちゃん」


空席の隣には豪華な着物を着て、紫色の髪を頭の上で結い上げた竜湖が座っていた。

若様はあからさまに嫌そうな顔をしながら、芙蓉を先に竜湖の隣に座らせ、自分も座ると芙蓉の肩に手をまわして竜湖から離すように引き寄せた。


「あら、怖い顔。何もしないわよ。」


竜湖は肩をすくめて若様を見る。

驚くべきことに席次にしたがえば若様は竜湖より上の序列ということになる。

「じゃあ、俺の芙蓉に話しかけないで下さいね。」

「いいの?そしたら龍峰が芙蓉ちゃんと話すことになるけど。」

竜湖がニヤリと笑い、若様は忌々しそうに舌打ちした。


『リュウホウって誰だろう?リュウがつくから若様の一族だよね!?』

芙蓉は紫竜一族のことがほとんど分からない。

リュウホウは初めて聞く名前だ。


「芙蓉ちゃん、この匂い大丈夫?気分が悪くなったらすぐに休憩室に行きましょうね。あなたが倒れでもしたら一族中大騒ぎになっちゃうから。」

竜湖は珍しく真剣な表情で芙蓉を見る。


『いや・・・まあ臭いですよ。これだけ獣人が居ますもん。』

つわりが終わっていてよかった。


「まだ大丈夫です。お気遣いありがとうございます。」

芙蓉は作り笑顔で返事した。

この女に隙など見せられない。


「すごいわねえ・・・初めてくる奥様は大体真っ青になって5分以内に倒れちゃうのに。」

「え?私は獣人ほど鼻が利かないからですかね。」

芙蓉は反応に困って苦笑いする。

そんなに臭い?


「・・・そう? って、もう!龍希、あんた怖い顔しすぎ。それじゃ誰も近づけないじゃない。」

竜湖が呆れた顔で若様を見る。


「近づけさせませんよ。」


なぜか若様は眉間にしわを寄せて険しい顔をしている。


「まあ、あんたが妊娠中の妻を巣の外に連れてきただけでもよしとしましょう。」


竜湖は苦笑いするしかない。

独占欲の強い紫竜の雄は妻を自分の巣から出したがらない。

ましてや妻が妊娠中だと防衛本能も強まるので、まあ、龍希の抵抗は凄かった。一族でも力の強い龍希は例え族長でもそう簡単に従わせることができない。

だけど、雄竜の弱点はいつだってその妻なのだ。

妻に執着すればするほど、妻には逆らえなくなる。

ククを通して人族の妻に根回ししたら、龍希は驚くほどあっさり折れた。

あの龍希がなんでこんなに執着しているのかは分からないが、懐妊もしたことだし、人族妻は消すよりも利用するほうが良さそうだ。


竜湖がそんなことを思っていると、作り笑顔の龍希の妻が何かに視線を向けた。



『ん?』

水色の着物を着た蛇の獣人が会場を出て行った。芙蓉は思わず目で追う。

「あー龍灯りゅうとうの妻ね。今日は気絶する前に退室できたのね。」

「龍灯は妻に付き添わないのか?」

若様はそう言って、怪訝な顔で30代くらいの紫髪の男を見ている。

彼がそのリュウトウらしい。


「みたいね。そうそう、あの子は龍希派になったわよ。」

竜湖がにやりと笑う。

「勝手に俺の名前を使わないで下さい。」

若様は心底嫌そうな顔だ。

「勝手じゃないわ。孔雀の奥様に許可をもらったもの。あんたも母上がいいならいいって言ってたじゃない。」

「何年前の話ですか?覚えてないです。」

「あんたが5歳の時。」

若様は呆れている。


「・・・あの蛇の奥様はどうされたのですか?」

芙蓉は気になって仕方ない。

「紫竜の匂いにやられたのよ。夫で耐性ができるとはいえ、獣人は本来的には紫竜の匂いを恐れるから。芙蓉ちゃんはほんとに大丈夫なの?」

竜湖は心配そうに芙蓉の顔を覗き込む。


「紫竜の匂い・・・ですか?」


芙蓉は困った。

獣人の臭いがきつくて紫竜の臭いがどんなものか分からない。

若様から獣臭さを感じたことはなかった。



「揃ったな。」


威厳のある声が響いた。

族長が入ってきて龍栄たちの後を通って席に着いた。

人のルールと同じなら、若様の席次は族長の次に高いことになる。


『だからさっきあんなに慌ててたのかしら?』


妻が妊娠しただけで長男と次男の席次が入れ替わるなんて人の世界では絶対にあり得ないことだ。



使用人がお盆に食事を乗せて運んできたが、どうやら間違いないようだ。

族長の次に若様に配膳されている。若様と芙蓉の後に向かいの龍栄と熊、それから竜湖と・・・使用人たちは手際よく配膳していく。


「さ、芙蓉ちゃんも食べて。」

竜湖が促す。

「え?でもまだ・・・」

配膳の途中だ。食事が届いていない人・・・じゃない列席者?も多い。

「じゃないと私が食べられないの。」

竜湖がウインクする。


理解した芙蓉は桜茶が入った茶碗を両手で持ち上げて口をつけた。温度も塩加減もちょうどいい。

ここでも毒見役がいるのだろう。


「どう?それ。」

竜湖がワインを飲みながら尋ねる。

「美味しいです。塩加減もちょうどよくて。竜湖様がご手配下さったとお聞きしました。ありがとうございます。」

「いいのよう。龍希は気が利かないから。伯母さんになんでも言ってね。」

「いえ、若様はとても気にかけてくださいますよ。」

芙蓉は笑顔を作る。


「それはよかったです。それにしても見事なダイヤモンドですね。他にも宝石をお持ちでしょう?今日それをお選びになったのは何か理由が?」


竜湖はワイングラスを置いた。

急に口調が変わり、真面目な顔になっている。


どうやら始まったらしい。


「4月の誕生石ですから。竜湖様。とても素晴らしい刺繡のお着物ですね。もしや・・・ケイツですか?」

芙蓉は茶碗を置いて、背筋を伸ばすと作り笑顔のまま答える。

「さすがですね。」

竜湖は嬉しそうに笑う。


『一体どんな手を使ったの?』


芙蓉はぞっとした。

菊の刺繍を許されているのはケイツの職人だけ。

そのケイツの刺繡を入手できるのは人間の貴族だけ・・・のはずだった。


「奥様のご実家でも扱っていらしたの?」

「まさか。・・・呉服屋ではありませんでしたから。刺繍は学校の知識だけです。」


『実家が下級商人とは言わない方がいいんだろうな。』


「ガッコウって何です?」


竜湖が首を傾げている。

想定外の回答だったらしい。

「あ、えっと人族の子どもが集まって商人の勉強をする場所のことです。」

「人族の親は子の教育をしないのですか?」

「しますよ。親の店を手伝いながら学びます。ただ商人の親は忙しいので基礎的なことは学校で教えるのです。」

竜湖は目をぱちくりさせている。

「商人の勉強って刺繡のほかにはどんなことをなさるの?」

「人族が扱う商品は一通り。あとは人族と取引のある種族とその商品を覚えます。」

竜湖はぽかんと口をあける。

「人族って数が多いじゃない・・・ですか?商品とか種族を分担して覚えたりはしないのですか?」

「しないというよりできないのです。人はすぐ死にますから。人が欠けても商売に影響がでないように最低限の知識を子どものころから覚えさせられるのです。」

「最低限?・・・竜紗りゅうさ、いらっしゃい。」

竜湖に呼ばれて、下座から赤い着物を着た紫髪の中年女性がやってきた。


「竜紗と申します。」

両手を床について挨拶する。

「このかんざしはどこの種族産かおわかりになる?」

竜湖が竜紗の頭のかんざしを指差す。

「・・・人族のものではないので確証はございませんが、本体はゾウ族の象牙、オレンジの花の装飾は鴨族の石細工、蝶は・・・熊族のガラス加工品ですか?」

芙蓉は昔の記憶を引っ張り出しながら答える。


「お見事でございます。奥様のご実家でもお取扱いが?」


竜紗も驚いている。

「いいえ。実物は初めて見ました。」

人族の大商人出身と勘違いされてはたまらない。

というか・・・


『まさかこの場にいる全員とクイズをさせられるの?』


さすがに芙蓉の顔が引きつりそうになった時だった。

「もういいでしょう?というかやりすぎです。」

若様が不愉快そうに竜紗を手で追い払う。

竜紗は頭を下げると足早に席に戻っていった。


「休もう。おいで。」


若様は芙蓉の手を取って立たせると休憩室に連れて行った。



熊族のエイナは呆然と人族の娘を見ていた。

「龍栄・・・枇杷亭の奥様はおいくつ?」

「今年で21よ。」

向かいに座る竜湖が答える。


エイナは人族の知識がある。

エイナの武器は大商人の実家からもたらされる情報だ。

牙も爪も鱗も翼も持たぬ弱々しい生き物。力だけでいえば家畜以下だ。だが、人族は高度な知能と他の獣人には決してまねできぬ技術力の高さで獣人の一種族に位置付けられている。

繊細な金銀細工や刺繍、高い効能を持つ薬、仕組みが全く理解できない写真や自動計算器などの機械・・・人族の商品は希少で高価だ。

てっきり拾うか買ってきた娘だと思っていた・・・だが違う。

あれほどの知識に作り笑顔とあの立ち振る舞い。

間違いなく高度な教育を受けた商人の娘だろう。


一体どうやって?


あの人族が紫竜一族に妻を差し出すなんて絶対にありえない。


「母上。お顔が・・・」

龍栄が小声で話しかける。

エイナは慌てて笑顔を作った。

驚きのあまり恐ろしい顔になっていたようだ。


エイナは腹立たしいことこの上ない。

なぜあんな孔雀の息子に有能なものばかり集まるのか?

わがままで傍若無人な問題児。紫竜の傲慢さを体現しているような奴なのに・・・

夫はかつて最古参のカカを孔雀妻の侍女として与え、カカは孔雀の死後、その息子の侍女となることを選んだ。

その上、今度はその人族妻の侍女として執事長タートの娘とシュシュ医師の長女を与えた。


2人の妻とその息子たちは平等に扱う?


冗談ではない。夫が孔雀の息子を贔屓するからエイナは実家に自分の息子の支援を頼むのだ。

また息子の妻を変えた方がよさそうだ。最初の白鳥と違い、実家の力がない娘を選んだのに・・・とんだ見込み違いだった。


あの人族の娘は胎の子をどうするのだろうか?


エイナはほくそ笑んだ。

決まっている。

人族が最も憎むのは異種族なのだから。

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