第20話 贈り物
「奥様。お待たせしました。こちらは毒見済みで安全なものでございます。」
堕胎剤騒動から1週間後、ククが笑顔で持ってきたのは、芙蓉が食べたがったあの3つだ。
毒見って誰が?
と言いかけて芙蓉は黙る。
芙蓉のことを知って獣人に協力する人間が居るはずない・・・十中八九、人の奴隷を使ったのだろう。
「ありがとう。さっそく食べたいから、延さんに味のついていないおかゆと湯豆腐を頼んでくれる?
あと、このゼリーは流水で30分ほど冷やしてほしいの。」
シュンとククはすぐに部屋を出て行った。
芙蓉にはもったいないほどの働き者だ。
芙蓉はおかゆに梅干しを入れ、湯豆腐にしょうゆをかけて食べた。
懐かしさと美味しさで目が潤んだ。
芙蓉がゼリーまで完食したのを見てシュンとククは泣いて喜んでいた。
~枇杷亭 執務室~
「本当にあんなものを奥様に差し上げてよろしかったのですか?」
執務室に戻るなり、カカが龍希を睨んで問いかける。
「妻がほしいと言うんだから間違いない。弱っている時には食べ慣れているものがよいとお前も言ってたじゃないか。」
「そうですが・・・若様はお召し上がりになったのですか?」
「食えなかった・・・どうしても」
龍希は苦笑いする。
妻が欲しがった食べ物からは、海と陸と・・・得体のしれないものがまじりあった匂いがした。
気持ち悪くて口に入れることすらできなかった。
カカたち獣人も同じようで、使用人たちは匂いを嗅いだ瞬間に嫌悪感をあらわにしていた。
「あのまま、ろくに食べられない方が心配だろ。」
龍希がそう言うとカカは唸る。
「そうですが・・・あまり奥様を信用なさっては・・・」
龍希ににらまれカカは黙った。
「もう下れ。死にたくないだろ?」
「はい。申し訳ございません。」
カカは一礼して執務室を出て行った。
龍希は一人になった執務室で舌打ちした。
カカの言いたいことは分かる。10何年も一族に子どもが産まれてないのは偶然じゃない。一族の妻たちの悪意によるケースも全部とはいわないが確かに存在するのだ。
龍希だって頭では分かっている。
のに・・・目の前で妻を悪く言われると、怒りのあまり相手を殺しそうになる。
それが腹心の執事や鶴の婆やでもだ。
龍希は気分を変えようとキセルを手に取って、すぐに離した。
カカによればキセルの煙は人族の妻と子には有害らしい。
龍希はキセルを真っ二つに折って捨てた。
成獣祝いに一族の誰かからもらったものだった気がするが、今の龍希にとっては妻より優先するものはない。
「仕事するか。」
龍希はシリュウ香を作ることにした。
~リュウカの部屋~
4月のある日、本家に行っていた若様が帰ってきて、リュウカの部屋に入ってきた。
「芙蓉。ただいま。体調はどうだ?」
「おかえりなさいませ。今日も調子がいいです。お昼ご飯も食べられました。」
4月に入るころには芙蓉のつわりは終わっていた。
「そうか。」
若様は笑顔になる。
「父上から芙蓉に贈り物だそうだ。」
タタが花瓶を抱えて入ってきた。
「桜!」
芙蓉は思わず歓声をあげる。
ソメイヨシノだ。
何本もの枝に薄ピンクの花がついている。
枇杷亭の庭には多種多様な木が生えているが桜はなかった。
芙蓉が桜に見入っているのを見て、若様は眉をひそめる。
「これはそんなに嬉しいものなのか?」
「はい。まさかもう一度見られるとは・・・思っておりませんでしたので、つい。」
若様の不機嫌そうな顔をみて芙蓉は次第に声を小さくする。
「若様!」
シュンとククが睨む。
「あ、いや。ちょっと意外だっただけで・・・頭を冷やしてくる」
そう言って若様が部屋を出ようとするのを疾風が遮った。
「若様。大事な御用をお忘れです。」
「ん?何・・・ああ、そうだ!族長が今月末に花見会を開くから芙蓉も一緒にと言うんだが、妊娠中だし嫌だよな?」
若様の表情は断りたいと言っている。
「・・・。若様がお嫌でなければ、ご一緒したいです。」
芙蓉だって行きたくはないが、若様にはこう返事しろと事前に侍女たちから頼まれていた。
「え!?あ・・・うん。芙蓉がそういうなら。」
若様はなんともいえない表情をして部屋を出て行った。
『不思議・・・』
どう考えたって力関係は若様の方が上のはずなのに。
なぜだか若様は芙蓉のお願いには逆らえないらしい。
やはり芙蓉には理解できない生き物だ。
「ふふふ・・・ようございました。花見会でもお館様は奥様がお喜びになるものをご用意なさいますよ。あのぼんくらと違って。」
シュンは相変わらずである。
若様の悪口が止まらない。
「桜のお礼はどうしたらいいのかしら?」
「花見会で直接、若様がなさるはずですから、奥様は見張っておいてくださいませ。」
ククが笑顔で答えるけど、
「・・・。本当に私が出席してもいいの?
場違いでは・・・」
「何を仰います!花見なんて奥様にお会いする口実でございますよ。」
シュンとククは慌てているが、芙蓉は不安で仕方ない。
芙蓉が妊娠しなければ、妊娠しても若様の一族が10年以上子が産まれていないという非常事態でなければ、芙蓉が妻になることなんてなかったのでは?
若様は変わらず芙蓉に優しいけど、内心は芙蓉なんかと結婚する羽目になって不満なのでは?
とずっと思っている。
若様には怖くてきけないけど・・・
互いに言葉の足りない2人は相変わらずすれ違っていた。
「でも、ほかの奥様は取引先の獣・・・お嬢様たちなのでしょう?」
芙蓉は言葉を選びながら侍女たちに問いかけたのだが、
「はい。結納金目当てに売られた哀れなお嬢様たちです。例外は、今はもう熊の奥様だけになりましたね。」
ククが薄ら笑いを浮かべる。
芙蓉は苦笑いした。ククも口が悪い。
「熊の奥様?」
「熊族の大商人の娘です。熊の族長息子とご結婚される予定でしたが、ご本人の希望でお館様に嫁がれたと聞いております。」
「お館様というのは・・・」
「はい、族長です。よろしければ詳しくお話いたしましょうか?」
「お願い。」
熊の奥様はお館様に嫁ぎ、娘の
龍栄様は大変な難産で熊の奥様はもう子を産めなくなりましたが、前族長の後継候補はみな一人しか息子がおらず後継者が決まらない状態で、お館様のお父上が孔雀の奥様とのご再婚を提案されたのです。
これに激怒した熊の奥様は実家に戻られ、1年近くの別居でお館様の執着はかなり薄れて、孔雀の奥様をお迎えになりました。翌年に若様がお生まれになったことでお館様は族長となり、本家に移られました。
ところが、その後、熊の奥様がお戻りになり、お館様の執着が再燃しましたが、孔雀の奥様はご実家と疎遠になっておられましたので特例が設けられました。これをご提案されたのもお館様の父上です。
若様を溺愛されておりました。若様のおかげで息子が族長になったと、御父上は候補者にすらなれなかった前族長の兄でしたから。
『うわあ・・・』
若様の母親が夫を嫌っていたはずだ。
義父の提案がなければ若様の母親はもう用なしと離婚されていたということだろう。
でも・・・
「どうして孔雀の奥様はご実家と疎遠に?」
「前の夫が亡くなるなり、ご実家に連れ戻され、お館様との縁談をすすめられたそうです。侍女をしていたカカが詳しいですが、孔雀の奥様の恨みは相当なもので、若様には決して実家とかかわるなと言い聞かせ、若様は孔雀たちと顔を合わせたことすらないと伺っております。」
そんなことで実家を毛嫌いする?
獣人が死んだ夫に操をたてるなんて聞いたことない。
それに最初のククの言い方が気になる。
「・・・熊の奥様はご実家と仲が良いの?」
「さすが奥様でございます。」
ククは嬉しそうだが、芙蓉はため息をついた。
やはり竜湖の元侍女だ。また試されたらしい。
孔雀の奥様も【例外】だったのだ。
夫の一族が妻の実家の介入を嫌がるのは人の世界だけではないらしい。
熊の奥様に反感を抱く一派に取り入るために実家を捨てたしたたかな孔雀は、家族に売られた哀れなお嬢様では終わらなかったわけだ。
私が実家とは絶縁と分かったから若様は私を買ったのかな?
今夜、きいてみようかな?
やめておこ。
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