地図には硝子、約束を花とする

月井 忠

地図に描かれた絵

「では、小テストを始める」

 教壇に立つシミセンはそう言うと、前列にプリントを配り始めた。


「ええ~」

 勇気ある男子生徒の一人が不満を口にする。


「うるさい」

 プリントを配り終えたシミセンこと清水先生は一喝した。


 シミセンは昭和の時代から頑なに変わろうとしない、いかついおじさんだ。

 今の時代、珍しい教師だと思う。


 パワハラという言葉もたぶん理解してないような先生なので、当然生徒からの人気も低い。


 もしかしたら、こういう抜き打ちテストの多さも原因かな。

 そう思いながら、前列から後ろに回されていくプリントを見つめた。


 前にいる男子が背中を向けたまま無言でプリントを渡してくる。

 受け取ると上から一枚取って、更に後ろに渡す。


 シミセンは世界史の担当だ。

 なので、テストの内容はもちろん世界史。


 プリントの端には少し大きめの世界地図があった。

 いくつか記号が振ってあって、それが問題になっているのだと予想する。


 ふと太平洋のど真ん中に不思議なものを見つけた。


 タコだ。


 おっきなタコが波間から顔を出して、こっちに手を振っていた。


 見るからに落書き。

 でも、誰かがプリントにペンで書いたものじゃなくて、タコは印刷されていた。


 落書きの謎は気になったけど、テストを空白のまま提出するわけにも行かず、先に空欄を埋める。


 テストの内容自体はそれほど難しくなくて、あっさり終わってしまった。


 残ったのはタコの謎。


 タコがプリントされているということは、シミセンが地図を印刷するときには、このタコは太平洋にいたことになる。


 シミセンはそれを見逃して、こうして配ってしまった。


 どうして?


 頭を捻ったところで、この謎は解けない。

 間違いなく、このテストで一番難しい問題だ。


 私はなんとなく、そのタコの横に泳ぐ人の姿を描いた。


 なんだか平和な世界だ。


「そこまで!」

 シミセンが声を張った。


 思わずびくっとしてしまう。

 昭和のおっさんは無駄に声が大きい。


 腹から声が出てる感じ?

 とにかく、うるさい。


 プリントは後ろから前に送られ、回収されていく。


 その後も授業は続いたけど、ずっとタコの謎が頭に引っかかっていた。


「ねえ、さっきの小テスト」

「うん。タコいたよね?」

 授業が終わるとすぐに友達のシホとカナエが、私の席にやってきた。


「やっぱり、そうだよね~」

 これで私のテストだけにタコがいたわけじゃないことが証明された。


「でも、どうしてだろ?」

 私は二人に聞いた。


「シミセンの所、男の子いなかった? 多分、子供が描いた落書きに気づかないまま印刷しちゃったんだよ」

 さすがはシホ。


 シミセンの家庭状況まで把握しているとは。


「でも、それにしては絵が上手くなかった? むしろ、シミセンが子供のために描いた絵を消し忘れたんじゃない?」

 すかさず推理を展開するカナエ。


 彼女にかかるとタコの謎はミステリーに変わってしまう。


「とはいえ、シミセン本人に聞くわけにもいかないし、謎は謎のまま終わりそうだね~」

 私は正直な所を口にする。


「まあね」

「うん」

 二人もそこには納得の様子だった。


「私、タコの横に泳ぐ人、描いちゃった」

「え、そうなの? 私はおんなじタコを描いたよ。手を繋ぐみたいに」

「私は沈没船描いた」


「え? タコが船を沈めたってこと?」

「シホ残酷!」


 休憩時間は、ずっとそんな感じだった。


 二人が私と同じようにタコの絵につられて、落書きをしていたことが嬉しかった。


 シミセンの意外な家庭像が想像できた。


 そんな日だった。

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