第二章 アルレーン防衛戦編
第一話 暗雲
「宣戦布告とは、確かか」
「間違いありません。国境では既に戦闘が発生しています」
「父上、オルレンラント侯は何と」
「急ぎオルレンラントに戻り軍備を整えろとのことです」
「……。わかった、下がっていいぞ」
突然の事態に、誰も言葉を挟むことができませんでした。
アルレーンが侵攻されている?エンミュールの父と母は?領地の人々は?言葉にできない不安が頭の中をぐるぐると駆けめぐっていました。
「せっかくの祝勝会に水を差したな、すまん」
バスティアン様も極めて平静を装って言葉を紡ぎます。
「これから情報を整理して方針を固めるつもりだ。悪いがまた明朝、集まってくれ」
結局その場はそこで解散、となりましたが、当然そのまま寝付けるはずもなく。
「戦争かー。いつかは覚悟してたけど、このタイミングでとはねー」
「クリスは、どうするのです?」
「あたしはそもそも実家が嫌でここに来てるからねー、どうしてもってことがない限り学校に残るかなー」
「それもそう、ですよね」
クリスとお互い不安を慰めるように言葉を交わすうち、一睡もできないまま夜が明けてしまいました。
◇ ◇ ◇
翌朝。談話室に集まった寮生は、皆憔悴した顔をしていました。わたしと同じように、眠れていない学生も多いはずです。
バスティアン様とゲルトさん、ギドさんは徹夜で議論をしていたようで、机には大量の書類と地図が乱雑に広げられていました。
「おはようございます、マリア=アンヌ嬢」
学生の輪の中に、なぜかフランツさんの姿もありました。これも任務の一環、なのでしょうか。
「聞いてのとおり、我がアルレーンはリガリアの侵攻を受けている」
西方寮生が注視する中、バスティアン様が、悲痛な顔で演説を始めました。
「敵はエンミュール、フォルクランの両地域から侵攻中だ」
「--!」
息が、止まるのがわかりました。まさか、わたしの故郷が戦果に巻き込まれるなんて。
「俺たちには、領地を、国を守る使命と義務がある。敵の侵入を、帝都で黙って見ている訳にはいかない」
「俺とゲルトは西方都オルレンラントに戻りアルレーンの防衛に参加する。我も、と思うものは一緒に来い。強制はしない」
「出発は二時間後だ、付いて来たい者は寮門前に集まれ。以上だ」
しばらくの間、声をあげる者はいませんでした。あまりに重い決断を、この数時間で下さなければなりません。
静寂の中、輪の外から、散歩にでも行くような調子の声がします。
「そん
「キーレ、駄目です。あなたはまだーー」
まだ、何なのでしょう。わたしの従者だから?まだ幼いから?まだーー?
言葉に詰まっているわたしを尻目に、彼は言葉を続けます。
「
一瞬、皆がハッとした表情を浮かべました。静寂の後、その場の沈鬱な空気が一変したのがわかります。見回してみると、覚悟を決めた顔がちらほら見受けられました。
「私も、防衛軍に加わります!」
「俺もだ、ここで退いたら貴族の恥だ!」
恩に切る、とどこか満足そうに、どこか申し訳なさそうにバスティアン様は呟きました。
◇
わたしはと言うと、皆が旅支度に取り掛かる中、談話室でぼうっと立ち尽くしていました。
今まで流されるままに生きてきたこの身が、何の役に立つというのか。父や伯父上が戦っている中、のうのうと学校生活を送っていいのか。そもそも自分は、どうしてこんなところにいるのだろうか……。
「のう、大将どんが
キーレはもう身支度を終えたのか、行軍袋一つを担いでいます。いつもの丈の余った制服姿のまま、わたしに問いかけてきます。
「そう、ですか……」
「おんしは
「……」
「迷うちょるなら、ひっとべ。下手な思案は毒じゃ」
「ひっとべ……」
ひっとべられたら、どんなにいいでしょう。今すぐにでも、父と母のところへ飛んで行けたなら--。
◇
約束の時刻。西方寮の門の前には、十名ほどの学生と従者が荷物を持って並んでいます。出発する学生のためでしょうか、馬車も数台用意されていました。
「貴殿も同行すると聞いたが、事実か」
「はい。この事態を報告できる者が、現地にいるとは思えませんので」
「なるほど、ご苦労なことだ。道中手を借りることになるが、構わんな」
「もちろんです。お役にたって見せましょう」
学生たちの中心にいるバスティアン様はフランツさんと何か話していましたが、荷物を持ったわたしを見て、意外そうな顔をしました。
「マリアンヌ……! お前も、来るのか」
「決めました。自分の意思です」
「過酷な旅路になる。お前が耐えられるとは思えん」
「覚悟の上です。それに、魔法兵はいくらいても足りないのではないですか」
「それはそうだが……」
「そうです、行ってはいけません、姉さん。僕が代わりにーー」
話に割り込んできたヨーゼフを、バスティアン様が制します。
「いや、ヨーゼフ。お前こそ連れて行けない」
「どうしてですか! 若すぎるとでも言うんですか!」
「エンミュールの戦況次第では、万が一の場合、後継を立てねばならん。お前には生きててもらわねば、困る」
「ぐっ……」
ヨーゼフには残酷ですが、その通りでした。伯父上の安否が不明な中、もし彼の身にまで何かあれば、領主を失ったエンミュールの地は大混乱になってしまうに違いありません。そしてそれは、アルレーン地方そのものの危機に直結します。
「マリアンヌ。本当にいいんだな」
「はい。先ほど申し上げたとおりです」
「これから先、俺の指示には必ず従ってもらうぞ」
はい、と頷いた矢先、後ろからものすごい力で体を捕まれました。
「絶対だめ、ぜーったいだめ」
「でも、もう決めたことなのです、クリス」
「別にマリアンヌが行く必要はないじゃない、戦いだよ、戦いに行くんだよ?」
「そうです、姉さんが行くことじゃありません」
「わたしは、やるべきことをやるだけです」
「どうして、どうして……!」
両目に涙を浮かべながら駄々を捏ねるクリスを何とかなだめているうちに、他の者は荷物を荷馬車に積み込んでしまったようです。わたしも、急がなければなりません。
「クリス、わたしはエンミュール家の、エンミュールの民を守るためにここにいるのですよ」
「それは、そうかもしれないけど」
「来たるべき時が来た、それだけです。それが少し予想より早かっただけで」
「でもさ、でも」
「……家族に会える、最後の機会かもしれないのです」
「……!」
始まってしまった戦争は、もうどうしようもありません。恨むとすれば、こんな時代と場所に生まれた、運命を呪うほかないのではないでしょうか。
それならば、わたしは自分のやるべきこと、やりたいことをするだけです。例えそれがどのような結果になるとしても--。
「それでは、行って来ますね」
「姉さん……。どうか、ご無事で」
「あなたもね、ヨーゼフ。立派な貴族になるのですよ」
「……!」
「ぜったい、戻ってくるんだよ、約束だからね!」
「はい、約束です」
用意された馬に乗り、手綱を引きます。楽しかった学舎が、日常が、離れていきます。見送りは彼らの姿が見えなくなるまで続いていました。
昨日までの快晴が嘘のよう。降り始めた冷たい雨の中、わたしたち一行は西方都オルレンラントへと馬を向けるのでした。
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