Ⅲ 鬼獣・ハザード

第172話 鬼獣・ハザード ①

 午後、隆嗣りゅうじと葉月は動物園を巡ってから、すでに二時間が経っていた。レッサーパンダに始まり、ライオン、虎、アライグマ、キリン、ワニ、チンパンジー、雉、コアラ、ダチョウ、熊、ナマケモノ、鹿、さらにはカバまで――さまざまな動物を見て回った。


 本日は休日で天気も良く、動物園には多くの来園者が詰めかけていた。人気の動物の展示前では列ができるほど混雑していたが、特別に近くで見る必要がない場合は、二人は遠くから通路越しに眺めていた。


 しかし、昼食をとっていた時から、葉月の表情には曇りがあった。何かを考え込んでいるようで、顔つきが固い。隆嗣はあまり深く詮索せず、話題を変えようと頑張ったが、葉月の反応は鈍く、愛想笑いすらどこか作り物めいていた。

 動物園内を回っても、その違和感は消えない。二人の会話は続くものの、心が交わる気配はない。動物を眺めながら話すことはあっても、それはまるで空気を繋ぐためのものに過ぎなかった。

 さらに隆嗣は、入園してからというもの、誰かに見られている気配を何度も感じていた。視線の主は、どれも私服姿の男女。明らかに敵意ある目つきで、こちらを睨んでくる。


(あいつら……誰だ?どこに行ってもついてくる。葉月ちゃんの親が雇ったボディガードか? でも午前中はそんな素振りはなかったし……。この刺すような視線、まさか葉月ちゃんが誰かに狙われているのか? 呑気にデートどころじゃないか……だけど、ギフトもまた葉月さんに渡していない、この所で終わるのがなんか、中途半端な気分だし……次の場所に行こうか)


「葉月さん、ペンギン館に行こうか?」


タイミングを見て、隆嗣が提案する。葉月は頷いて、彼のリードに従った。


「ええ、冷房も効いているし、少し涼むにはいいですね。美波さんがここのペンギン、すごく可愛いって言ってましたし、私も見たかったんです」

「じゃあ、行こう」


一方、その様子を遠くから見つめる園内スタッフの制服を着た女性がいた。帽子を目深に被りながら、口元には薄く冷たい笑みが浮かぶ。


「ふふ、神宮寺優月、ここがお前のお墓場となる」


そう呟きながら、彼女はイヤリングのスイッチを押し、通信で命令を送った。

「テスティングを開始してください。配布済みの注射器、すべて使用を」

「了解」


別のエリアでは、髪をオールバックにまとめた男がスコープ付きの眼鏡を調整しながら、低く返答する。

「こちらも実行に移す」


女性は関係者以外立ち入り禁止区域に入り、飼育員を装って動物に接近していた。彼女の目の前には、数匹のワニが潜む池。

ジャケットの内側から取り出したのは、紫色の液体が揺れる連発式の麻酔銃。銃口をワニの一頭に向けて、彼女は冷たく呟く。


「恨まないでね。これは、人類生存のための聖戦。あなたの体、借りるわよ」


注射器が空気を裂いて飛び、ワニの頭に命中。瞬間、ワニの体がビクンと跳ねた。他の四頭にも同様に射ち込まれる。


「変異を終えたら、貴方たちを閉じ込めた人間どもに復讐しなさい」


そう言った彼女は踵を返し静かに去った。


注射されたワニたちの体が膨れ上がり、牙がサメのように三重に生え、背から尻尾にかけて鋭い棘が伸びていく。

やがて、ひときわ大きな一頭が、まだ変異していない個体を貪り喰らい、凶暴な咆哮を上げながら、分厚いガラス窓を突き破って池から這い出した――



一方、ペンギン館では、隆嗣と葉月が可愛らしいペンギンたちに癒されていた。


「お母さん、あのペンギン……なんか変だよ?」

「えっ?」


言葉の通り、一羽のペンギンが急激に巨大化し、全身から異様なトゲが生え、目が赤く光っていた。観客たちはすぐに騒然となる。


「な、なにあれ……ヤバくない!?」

「ペンギンが、仲間を食べてる……!? 嘘だろ!?」


観覧室の強化ガラスに巨大ペンギンのトゲが突き刺さる。ひびが走り、ついには大きな穴が空く。


「逃げろ〜〜〜ッ!!」


阿鼻叫喚のなか、隆嗣は葉月の手を掴み、叫ぶ。


「ペンギンが、いきなり巨大化してる……?なんだ、これは……!」


 隆嗣が目を疑うように呟いた。その横で、葉月が異形と化したペンギンの首元を指差す。

「見てください、あれ……注射器が刺さってます」


「やっぱりか……悪の組織の実験、ってわけか?」


 心の底から恐怖を感じながらも、葉月はか細い声で呟く。


「これは……まさか、お姉さんが言っていた、鬼人グルートを作るあの謎の組織の仕業なのでは……」


 隆嗣はすぐに判断を下した。


「葉月さん、外へ逃げるんだ!」


 そう言って彼女の手を握り、非常口へ向かって走り出す。


だが、ペンギン館だけではなかった。彼らが館外に出ると、耳に飛び込んできたのは群衆のどよめき。どこを見ても人々は恐怖と混乱の表情を浮かべ、どこに逃げるべきか分からず右往左往している。

 その向こうから野獣の唸り声が轟いた。崩れ落ちた檻と、ねじ曲がった鉄製フェンス。ひっくり返ったフードカートからはポップコーンの材料がまき散らされ、焦げた匂いが漂う。


 そこでは、鬼の因子によって突変したチンパンジーが、倍以上に巨大化したライオンと激しい死闘を繰り広げていた。もはや二頭とも、かつての動物とは別物――常軌を逸した異形へと変貌し、鬼の遺伝子に侵された【獣鬼グールビースト】と呼ぶべき存在と化していた。


 園内は完全なパニック状態。隆嗣は凄まじい光景に目を見開き、唇をかすかに震わせながら呟く。


「なんだこれ……動物園ハザードってレベルじゃねぇ……」


 そのとき、逃げ惑う人々の波に押されて、握っていた葉月の手が離れた。


「葉月さん!?」

「隆嗣くんっ!!」


 人混みに呑まれ、葉月の姿が視界から消えた。


「くそっ……なんてこった!!」


 焦って怒る顔をした隆嗣は葉月が消えたその方向へ探して行った。


*  *  *


その約五分前。


 亮と優月が到着したエリアでは、レッサーパンダが異形の姿に変貌していた。背中や額に角が生え、異常に長くなった爪で、猛虎すらも一撃で仕留める。


「レッサーパンダがトラを……!? あれは、まさか、あの女の仕業か」


「何て酷いことを……」


「俺が止めてみせる!」


 亮の瞳に怒りが宿る。ポケットからメダル型のキーを取り出し、素早く回してスーツの鍵穴に差し込む。


 一瞬にして装着されたのは、導力スーツ、それとオカス・ソリス。左手にはコンパウンドボウ。背中のクイーバーからは六本の合金製ドリル矢がせり上がった。


 人を襲うつもりレッサーパンダを見ている亮は矢を番え、

 素早く構え、狙い撃つ。

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