第2話 思いやりと気遣いと
「本当に、申し訳なかった」
「いや、もういいですって……」
この日何度目かの謝罪に、俺はいい加減うんざりした気持ちで応じた。
「むしろ迷惑かけたのは俺の方ですし」
そう、この赤毛の男、俺の折れた足をみるや、すぐに手当てをしてくれたのだ。
添え木を当ててもらったときは涙が出るほど痛かったが、馬鹿犬を抱きしめてなんとかこらえた。
「おかげで助かりました。どうもありがとうございます」
「なに、たいしたことではない。役に立ててよかった」
男は気さくに笑い、ギルベルトと名乗った。
「ギルと呼んでくれ」
あらためて見るとこの赤毛、けっこうな男前だった。年は俺より二つ三つ上だろうか。背も高いし育ちも良さそうだし、きっと女受けも相当いいんだろう。
……なんか、適当な呪いでもかけてやろうかな。足の小指を扉に挟むとか、地味に嫌なやつ……などと恩知らずなことを考えながら、俺も名乗り返した。
「ノアです」
偽名じゃない。魔王なんてものになる前は、そう呼ばれていた。できればまったく違う名を告げた方がよかったんだろうが、ぱっと思いつかなかったのだから仕方ない。
まあエリアス以外なら何でもいいだろう。幸い、城を出るときにあの仰々しい魔王の衣装――本当は動きにくいから着たくないのだが、フィルが毎朝いそいそ持ってくるので断れない――も脱ぎ捨ててきたし。
どうでもいいが、あのとき服を脱げと言ってきたバラーシュに「あらやだ、俺ってば貞操の危機?」と返したことについては、さすがに悪ふざけが過ぎたと反省している。
でもバラーシュも、あんなゴミでも見るような目を向けなくてもいいのに。俺なりに緊迫した空気をやわらげようと思っただけなんだから。
おまけに、まさかおまえがこれ着て身代わりになるつもりかと尋ねたら「そんなわけないでしょう。そもそも寸法が合いませんよ。特に丈が」なんて鼻で笑いやがって。前から思っていたんだが、あいつにはもっと思いやりというか、気遣いというものを学んでほしい。
「ノアか。いい名だな」
うちの参謀とは正反対に、ギルベルトは思いやりの塊のような感想を述べてくれた。
「べつに、普通ですよ」
「そんなことはない」
ギルベルトは笑ってそう言った。
「いい名だ。たしか、救いとか、希望という意味だったと思うが」
――あなたは我らの希望。
まずい。なんでこんなときに思い出すんだ。初めてバラーシュに会ったとき、あいつが膝をついて告げた言葉を。
鼻の奥がツンとして、俺はとっさにうつむいた。
「どうした。やはり傷が……」
「や、大丈夫です」
まずい。これはかなりまずい。
早く一人にならなければ。こいつに無様な顔をさらす前に。
「俺もう大丈夫なんで。どうもお世話になりました」
だからさっさとどっかへ行ってくれ。ほら、バルトだっけ? ワン公も返すから。
「このお礼はいつか必ず……」
「そんなことはどうでもいい」
ギルベルトは心外そうに眉根を寄せる。
「せめて家まで送らせてくれ。きみ、住まいは? ご家族は一緒なのか?」
家。家族。
あ、と思った時には遅かった。
ぼろりと熱いものが頬にこぼれ、ぎょっと目を見開いた男の顔がみるみるぼやけていく。
家は、俺たちが住んでいた城はなくなった。少しでも敵の足止めになるよう俺が潰した。
家族は、皆の行方はわからない。バラーシュ、ゲイル、トール、フィル。みんなばらばらだ。なあフィル坊、おまえ今頃泣いてないだろうな?
「きみ、だいじょう……」
うるさい。大丈夫なわけないだろう。
ああ最悪だ。まったくもって最悪だ。なんだって俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。こんなところで、独りで――
不意に、温かいものが頬に触れた。
目の前の男が指を伸ばして俺の頬をぬぐう。次の瞬間、俺はそいつの腕に抱き寄せられた。
「悪かった」
いやほんとだよ。あんたさっきから何してくれてんだ? おかげで俺は怒ったり泣いたり、もうぐちゃぐちゃだぞ。
責任とれ。とってしばらく黙ってろ。俺の気がすむまで胸も腕も貸しやがれ。
ギルベルトの肩に顔を押しつける俺の横で、バルトがくうんと鼻を鳴らした。俺を心配するように、慰めるように。
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