第89話 邪悪な覚醒

 谷間の向こう岸から岩橋を渡り、3人の白髪の男たちが近付いて来る。

 ジュードは撃たれた左肩を手で押さえ、必死にエミルの前に立った。

 迫ってくる敵からエミルを守るために。

 相棒のジャスティーナはすでにいない。

 もうエミルを守るのは自分しかいないのだとジュードは歯を食いしばった。


「おとなしくしろ。抵抗しなければ、これ以上は傷付けない」


 前から歩み寄ってくる白髪の男3人は、狙撃そげき銃を構えたままそう言った。

 ジュードはそんな彼らに言う。

 無駄むだだと分かっていても。


「この子たちを見逃してくれ。俺の身柄みがらは自由にしてくれていい。俺は黒髪術者ダークネスだ。あんたたちの役に立てる」


 たが、そんなジュードの言葉を男たちは一笑に付した。


「馬鹿を言え。俺たちの主な目的はプリシラとエミルだ。むしろおまえはついでなんだよ。黒髪術者ダークネス


 そう言うと白髪の戦士たちは一気に間合いを詰めてくる。

 ジュードは短剣を突き出して先頭の男に攻撃を仕掛けるが、相手はきたえ上げられた戦士だ。

 ジュードの振るった短剣はあっさりとかわされ、腹をなぐられてあっという間に取り押さえられてしまった。


「ぐうぅ……」

「おとなしくしていろ。抵抗しても無駄むだだ」


 2人の男に押さえ込まれてジュードは成すすべもない。

 なぐられた衝撃で短剣も地面に落としてしまった。

 そして残った最後の1人がエミルの肩に手をかける。


「立て。小僧」


 その瞬間だった。

 エミルが身をひるがえしたかと思うと、突如として男が悲鳴を上げたのだ。


「ぎゃああああああっ!」


 白髪の男は大きくのけり、その場にくずれ落ちる。

 仲間の2人とジュードは何が起きたのか分からずに男を見た。

 すると……男は両目をつぶされて、眼窩がんかから血を流していた。


「なっ……」


 あまりのことに息を飲み、白髪の戦士2人はエミルを見やる。

 するとエミルは両手の人差し指を前に突き出していたのだ。

 その指が赤い血で染まっている。


「こ、このガキ……目を……俺の目を!」

 

 両目をつぶされた男がそう叫ぶのを聞き、エミルはニヤリと笑う。

 その顔を見たジュードはゾッとした。

 そこにいるのは彼の知るエミルではなかった。

 少年らしからぬ禍々まがまがしい笑み。

 そして何よりその小さな体から発せられる信じられないほど黒く邪悪な波動に、ジュードは身震いする。


「エ、エミル……」

「ヒャーッ!」


 ジュードの言葉にこたえず、エミルは奇声を発して両目をつぶされた男に襲いかかった。 

 その幼い腕が瞬間的に筋肉で異常に盛り上がる。

 そしてエミルの鋭い突きが男の鼻面はなづらとらえた。


「がはっ!」


 エミルに拳でなぐりつけられた男は鼻血を噴き出しながら仰向あおむけにひっくり返った。

 エミルは先ほどジュードが落とした短剣を拾い上げると、倒れた男の上にのしかかり、その短剣を振り上げる。

 ジュードはハッとして声を上げた。


「や、やめろ! エミル! やめるんだ!」

 

 だがエミルは満面の笑みを浮かべながら短剣を振り下ろし、容赦ようしゃなく白髪の男の胸に突き立てた。


「がはあっ!」

 

 血が噴き上がる。

 それを見たエミルは興奮したように短剣を引き抜くと、何度も何度も男の胸を刺した。

 楽しくてたまらないといったように笑い声を上げながら。


「うふふふ……あはははは!」


 幾度いくども胸を刺された男はもはや事切れており、動かなくなっている。

 エミルは返り血を顔に浴び、恍惚こうこつの表情を浮かべながらジュードを見た。

 そのくちびるの近くに付着した血を舌でめ取る様子にジュードは声を震わせる。


「お、おまえは……誰だ? エミルを……エミルを返せ!」


 そう叫ぶジュードは恐怖に身を震わせていた。

 そして幼い子供による悪魔のような凶行に唖然として動けなくなっていた2人の白髪の戦士らが、恐慌きょうこう面持おももちを浮かべてエミルを取り押さえにかかる。


「こ、このガキがぁぁぁぁ!」


 だがエミルは信じられないほど速く動き、手にした短剣で男2人の首をり裂いた。  

 男たちが白目をいて、その場にくずれ落ちる。

 彼らが息絶えたのを見て、エミルは満足げな表情を浮かべた。

 その顔は子供の体に乗り移った黒き悪魔のようだった。


 ☆☆☆☆☆☆


「なっ……」


 プリシラを押さえ込んでいたチェルシーは、エミルの信じられない変貌へんぼう呆然ぼうぜんとしていた。

 そして彼女に押さえ込まれているプリシラはさらに驚愕きょうがくの表情を浮かべて声をしぼり出す。


「エ、エミル……」


 プリシラは眼前で起きていることがとても信じられなかった。

 あの優しくて気の弱い弟が、嬉々ききとした表情で返り血を浴びながら3人の敵を殺した。

 目の前で繰り広げられる惨劇はプリシラにとってまるで現実味のない悪夢のようだ。

 そんなプリシラを押さえつけているチェルシーもうめくように言葉をしぼり出す。


「な、何なの……あの力は。ダニアの男にあんな力はないはず。一体あなたたちはエミルにどんな訓連をほどこしたの?」


 プリシラはそれには答えなかった。

 あまりのことに言葉が出なかったのだ。


 屈強くっきょうな女ばかりの一族であるダニアにも男は生まれる。

 だが、彼らは女たちのように体も大きくならなければ力も強くならない。

 それは女王の血を引くエミルもそうだった。

 エミルは幼い頃から体も小さく、運動も苦手だったのだ。


(訓連? 武術の訓連どころか基礎体力の訓連すらロクに出来ないほどエミルは体が弱いのに……どうなっているの?)


 赤子の頃から見てきた弟が、今はまるで別人だった。

 プリシラはこの状況に理解が追い付かない。

 そして3人の男たちをほうむったエミルはプリシラに目を向ける。

 プリシラはエミルから向けられるその眼差まなざしに、奇妙な恐ろしさを感じた。


(違う……あの目はエミルじゃない)


 エミルの体の中に別の誰かがいる。

 そう感じられるほど、エミルの目付きは変わっていた。

 だが不思議ふしぎと自分に対する敵意は感じなかった。

 しかしそれでもプリシラはエミルのことが恐ろしかった。

 それは……山中で危険なけものと出くわした時とよく似ている。


「エミル! どうしちゃったのよ!」


 プリシラはたまらずに声を上げていた。

 だがエミルはそれには答えない。

 代わりに目をギラつかせたまま、飛びかかって来るのだった。

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