第86話 一か八か

 チェルシーを見つめるショーナの視線は、そこからさらに前方にいる者たちへと向けられる。

 地面にうずくまるエミルとおぼしき黒髪の子供を守ってその上におおいかぶさる黒髪の若い男がいる。

 ショーナはその男の姿をまじまじと見つめた。


(ジュード……)


 まだジュードが13歳だった頃に別れて以来、初めて見る彼の姿は立派な青年に成長していた。

 その姿にショーナは複雑な思いを抱く。


(大人になったのね……ジュード)


 かつて少年だったジュードはもういない。

 きっと王国を離れて自由な暮らしを享受きょうじゅしていたのだろう。

 自分やチェルシーのいないところで幸せに生きていてくれればいいと思った。

 だというのに……。 


(ああ……チェルシー様にその存在を知られたのね。これで彼の運命は決まってしまった。でも……王国を離れて自由に暮らした10年と、王国で飼われるように過ごすもっと長い年月。どちらのほうが彼にとって幸せだったのかは、言うまでもないでしょうね)


 エミルを懸命に守り続けるジュードの顔を見てショーナはそう思った。

 きっと自分には出来ない顔を彼はしている。

 あれが自分で人生を選んだ者の顔なのだろう。 


 それでもジュードの命運は今日ここまでだ。

 この包囲網ほういもうから逃れるすべを彼らは持たない。

 ショーナは黒髪術者ダークネスとしての力を用いてジュードに語りかける。


『ジュード……。観念しなさい。もう逃げられない。でも、王国での拷問ごうもんに耐えることは無いわ。ワタシがあなたを逃がしたこと。最初から洗いざらい話しなさい。ワタシも王国にこれまで貢献し続けて、それなりの立場を得た。チェルシー様からの信頼もあると自負している。厳しい処罰は受けるでしょうけれど、命までは取られることはないでしょう』


 ショーナのその声を感じ取ったジュードが首を傾けてこちらを見る。

 その目が大きく見開かれた。

 ショーナが久しぶりにジュードを見ておどろいたように、彼も今、ショーナの姿におどろいているのだろう。

 

『ショーナ……』

『ジュード。ワタシがチェルシー様に掛け合うわ。あなたが服従の意思を見せるなら、命を取られないように……』

『いつから黒帯隊ダーク・ベルトはそんな甘い組織になったんだ? ジャイルズ王は裏切者を絶対に許さないだろう』


 そう言うジュードにショーナは苛立いらだった。


『じゃあこのままつかまって殺される運命を受け入れるっていうの?』

『いいや。俺は運命の流れに逆らうために王国から逃れたんだ。今さらもう一度その流れを受け入れることなんてない。せいぜい足掻あがいて見せるさ。最後の最後までな』

 

 そう言うとジュードはあろうことかショーナに笑って見せた。

 それが精一杯の強がりだと知るショーナは静かにジュードとのつながりを断ち切る。

 

(……ワタシは誰のことも動かせないのね。当然か。操り人形は操られる存在なんだから)


 すでに自分が王国という抜け出せない沼にどっぷりと腰までつかっていることをあらためて自覚し、ショーナは無力に立ち尽くすのだった。 


 ☆☆☆☆☆☆


 オニユリの射撃が続く。

 それを受け続けるジャスティーナの円盾えんたてはいよいよ表面がくだかれ始めた。

 ひとつ小さな傷が出来ると、そこに弾丸が当たってさらにくだけ、円盾えんたての傷口は広がっていく。

 弾丸を受け止めるごとに円盾えんたてくだけた破片が飛び散り、ジャスティーナの顔や首、足を傷つけていく。

 すでにジャスティーナはあちこち傷だらけだった。


(くそっ! あの女……円盾えんたてを集中的にねらってきやがる)


 ジャスティーナはくちびるみながら、前方で悠然ゆうぜんと拳銃による射撃を続けるオニユリを見た。

 まるで白髪の幽鬼のようなたたずまいのオニユリは、ニヤニヤとした表情で次々となまり弾を撃ち込んで来る。

 最初の頃はジャスティーナのすきを突こうと色々な軌道で弾丸を射出してきたオニユリだったが、今は円盾えんたての破壊をねらって射撃を集中させていた。

 そしてオニユリは左右の拳銃で合計12発の弾丸を撃ち終えるとすぐにすばやく次弾を装填そうてんする。


 その数秒のすきねらってジャスティーナは懸命に短弓で矢を放ったが、オニユリに向かうその矢はことごとく、後方の白髪の男の射撃によって撃ち落とされてしまう。

 すでにジャスティーナの矢筒に入っている残りの矢は6本まで減っていた。

 逆にオニユリは弾丸を惜しみなく放ってくる。

 手持ちの弾が足りなくなれば、すぐに後方にひかえている部下とおぼしき男たちが新たな弾丸を彼女に手渡すために小走りで向かって来るのだ。


(まずい……もう時間の問題だ)


 このままではやがて円盾えんたては使い物にならなくなる。

 そうなればジャスティーナはすぐに撃ち倒されてしまうだろう。

 ジャスティーナはいよいよ自分の命を持って道を切り開く時が来たのだと悟った。


(後方にはチェルシーがいるし、その部下の数も多い。一か八かになっちまうが押し進むなら……前だ!) 


 ジャスティーナは大きく息を吸い込むとすぐ背後でうずくまっているジュードとエミルに声をかけた。


「ジュード。エミル。このままではもう数分ともたないだろう。私が合図をしたら2人とも立ち上がってくれ。そして私が走り出したら、すぐに私の後について走ってくれ。全力でだ」


 立て続けに鳴り響く銃声の中で、その声を2人は確かに聞き取った。

 静かだが有無を言わせぬジャスティーナの声に、状況が相当に切迫していることを知り、ジュードはうなづいてエミルの肩をつかむ。

 少しの力を込めて。


「エミル。聞こえたね。ジャスティーナについていくぞ」

「……うん」


 エミルは緊張の面持おももちでうなづく。

 他人を守ることが出来ないなら、せめて自分を守ることに全力を尽くす。

 それが命懸けで自分を守ろうとしてくれている人達に対するせめてもの誠意だと思って。

 しかし……そんな彼の胸の内ではその思いとは裏腹に黒い波動が渦巻うずまき続けていた。

 ジュードもそれを感じ取っていて、気遣きづかわしげに声をかける。


「……エミル。大丈夫か?」

「……変なんだ。胸の中が苦しいんだ……」

「落ち着くんだ。ジャスティーナはこのくらいで死んだりしない。きっと皆で助かる。だから今は気持ちを落ち着かせるんだ。エミル」 


 ジュードの言葉に、それでも不安そうに顔を曇らせながらエミルは顔を上げる。

 ジャスティーナはすでに傷だらけで体のあちこちから血を流しながらも懸命にエミルたちを守ってくれていた。

 そして後方を見やると、そこではプリシラが必死にチェルシーの猛攻に耐えて戦っている。

 だが、姉は明らかに劣勢で、チェルシーになぐられて顔を赤くらし、そのくちびるには血がにじんでいる。 


(姉様……どうしよう姉様が……)


 エミルが不安に駆られる中、ジャスティーナの声が響き渡る。


「プリシラァ!」


 銃声にも負けぬその怒声が響き渡ると、後方でプリシラはハッとしてわずかにジャスティーナを見やる。

 その視線を受けたジャスティーナは口を開く。

 3人の仲間すべてに向けて号令を響かせるために。

 ちょうどその時、オニユリが再び弾丸の装填そうてん作業に入ったため、銃声が一時的に途切れた。


「行くぞ!」


 雷鳴のような声を上げると、ジャスティーナは勢いよく前方へと駆け出すのだった。

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