第74話 夜明けと共に訪れるもの

「くぅ〜。ここはまだ冬の気配が残っているな。セグ村で防寒具をもらっておいて良かった」


 ジュードはき火に当たりながら冷えた体を震わせた。

 標高が低いとはいえ、山の上なので平地よりも寒さは厳しい。

 日中はともかく、夜中となると空気の冷たさが肌を刺した。


 プリシラ、ジャスティーナに続いてジュードの見張りの番になると、ほどなくして徐々に空が青くなりつつある。

 このまま朝を迎えた後に皆を起こすのもジュードの役目だ。

 ジュードは黒髪術者ダークネスの力を展開し、周囲に気を配る。

 敵意や害意といったものは感じられない。

 ジュードはホッと息をつくとき火の前で椅子いす代わりに使っていた丸太に腰をかける。


「やることなくてひまだし、今のうちに朝食の準備でもしておくかな」


 そう言ってふくろの中から色々な食材を取り出して吟味ぎんみしながら、ジュードはこの奇妙な旅のことを思い返した。

 少し前までは、まさか自分がダニアの女王の娘や息子と旅をすることになるとは思わなかった。

 しかしこの短い旅ももうすぐ終わる。

 あの子供たちを無事に親元に送り届けてあげられそうだと思うと、大きな安堵あんどとほんの少しのさびしさがジュードの胸ににじんだ。


 これまでジャスティーナとの2人旅が長かった彼にとって、子供らとの旅は意外にも楽しいものだった。

 明るいプリシラと引っ込み思案なエミル。

 2人にもっと色々なことを教えてあげたかったし、自分の知らないダニアのことを聞かせてもらいたかった。

 おそらくジャスティーナも2人に何かを感じているはずだ。

 ジュードはジャスティーナの身の上を知っているから、なおのことそう思う。


「……いかんいかん。ちょっと感傷的になっているな」


 旅は出会いと別れの連続だ。

 縁があればまたどこかで出会うこともあるだろう。

 そう自戒しながらジュードはなべに水を張り、火にかけて煮立たせていく。

 そうこうしているうちに空が白み始めていた。


(夜明けだ)


 ジュードは冷えてり固まった体を伸ばす様にして立ち上がった。

 そして冷たい明け方の空気を吸い込む。

 その時だった。

 彼の頭の中に唐突に警鐘けいしょうが響き渡る。

 それは大勢の者がこの場所に向けて駆け上がって来る足音だった。


「……こ、これは」 


 それは耳で聞こえる音ではない。

 彼が黒髪術者ダークネスとしての力で感じ取ったものだ。

 その異様な感覚にジュードははじかれたようにきびすを返し、山小屋へと向かうのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 それは遠い記憶の夢だった。

 まだ若かりし頃の夢。

 顔を真っ赤に染めた赤子が弱々しく小さなくちびるを震わせている。

 まだ生まれて半年足らずの赤子だ。

 

 とうに泣く力も失せて、赤子は熱病で衰弱すいじゃくしていくばかりだった。

 必死に赤子の熱を下げようと、生ぬるい水にひたした手拭てぬぐいをその小さく赤いひたいに当てる。

 少しでも栄養や水分をらせるために乳を与える。

 そのどれもが徒労に終わった。


 せまろうの中で生まれた囚人しゅうじんの赤子であるがゆえに、医者に助けを求めることも出来ず、ただ弱っていくのを見ていることしか出来なかった。

 やがて……小さな体はぐったりと力を失い、その小さな命ははかなく天に召されていったのだった。


 ☆☆☆☆☆☆


 ジャスティーナはハッとして目を覚ました。

 そして今しがた見ていた夢を思い返し、深くため息をつく。


(……久々に見たな)


 彼女の若い頃の記憶だ。

 砂漠島で反逆者として捕らえられ、すぐとなり監獄かんごく島に放り込まれていた時の、彼女の人生で最悪な時期の悪夢だった。

 昔は毎晩のようにこの夢でうなされたが、ここ数年はまったく見ることが無かった夢だ。

 その夢が久々に彼女に鬱屈うっくつとした気分を与えていた。


(なぜ今更いまさら……)


 そう思いながらジャスティーナはすぐ横を見る。

 山小屋の中にはプリシラとエミルの姉弟が共に眠っていた。


(……理由は明白か。子供なんて相手にすることは今までなかったからな)


 かつてジャスティーナが生んだ赤子は女児だった。

 だからプリシラを見るうちに、すでにこの世にいない娘の成長した姿を重ね合わせていたのだろう。

 砂漠島でも先に子を産んだ女たちが言っていた。

 産む前と産んだ後では人生がまるで違うものになると。

 一度、母親という生き物になると二度と辞めることは出来ないのだと。


 その時はその意味が分からなかったが、今なら分かる。

 たった半年しか共にいられなかった娘。

 自分は今もその娘の母親なのだ。

 この先も命ある限りずっと、自分は母親という生き物なのだ。


(まったく……この子らに妙な刺激を受けちまったせいだね)


 そう自嘲じちょうしながらジャスティーナが身を起こそうとしたその時、駆け足の音がしてとびらが開く。

 ジュードが鬼気迫る表情でそこに立っていた。

 すぐに異変が起きたのだと悟るジャスティーナはすばやく立ち上がる。


「敵襲かい?」

「ああ。大勢の人間がこちらに向かって駆け上がってくる。プリシラ! エミル! 起きてくれ! 今すぐにここを立つぞ!」


 普段は穏やかな口調のジュードが発しためずらしく鋭い声に、ハッとして姉弟は身を起こした。


「敵襲? まさかあの白い髪の女……」

「かもしれない。そして敵には……黒神術者ダークネスがいる。間違いなく王国軍の手の者だ」


 その言葉に2人は息を飲む。

 そこでジャスティーナが怒声を上げた。


「話は後だ! まず動け! 水と軽食、最低限必要な荷物だけまとめてすぐに行くぞ! 邪魔になる毛布や食料は捨てな!」


 ジャスティーナの声に2人ははじかれたように動き出す。

 夜明けと共に訪れたのは、旅を簡単に終わらせまいとする危機だった。

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