三章 羅刹姫の恋④

 涼牙との話を終え、食事をするために部屋に戻った明彩に玄が駆け寄ってくる。

「主様のご用事とはなんだったのですか?」

「なんでも、故郷からお客様がいらっしゃるんですって。その間は、大人しくしているようにと」

 客、という単語に玄が両耳をぺたりと伏せた。不愉快と描写するのがぴったりな顔をして、ぐう、と短く唸っている。

「どうしたの?」

「いえ。おそらくその客が誰なのか玄は知っています。主様の判断は正しい。姫様は決して会わない方がいい」

「そんなに?」

 まさか玄までがそんなことを言うなんてと目を丸くすれば、玄はふんと大きく鼻を鳴らした。

「玄はあいつが嫌いです。我が儘でやかましい。そのくせ、同族という理由だけで主様を振り回して。どれだけ主様が袖にしても、やってきて我らを困らせるのですよ」

「まあ……」

 玄にここまで言わせるとは、どんな相手なのだろう。涼牙は詳しくは語らなかったが、鬼であることは間違いないようだ。

「どのような御方なの?」

「陽華と言う、やかましい女の鬼ですよ」

「え……」

 てっきり男性だと思い込んでいたこともあり、明彩は咄嗟に反応ができなかった。

「主様にべたべたと本当に目障りなやつです。いいですか、姫様。絶対に隙を見せてはなりませんよ!」

 ぐるぐると低く唸りながら訴えてくる玄の言葉をどこか遠くで聞きながら、明彩は呆然と立ち尽くしていた。

***

 客人が来るという知らせにどこか落ち着かない空気が漂う中、とうとうその日がやってきた。

 朝早く、屋敷の門前に大きな駕籠が横付けされる。駕籠を引くのは牛に似た大きな怪異で、角が四つも生えていた。物珍しさから集まっていた小さな怪異を鼻息で威嚇している。

 出迎える必要はないと言われていた明彩だったが、こっそりと集まった怪異たちに紛れてその光景を見ていた。

 駕籠の御簾が上がり、中からするりと人影が出てくる。

「……!」

 その場に百花が咲き乱れたような華やかな美女が、着物に似た真っ赤な衣服をはためかせながら地面へ降り立つ。赤銅色の長い髪、小さなかんばせ。乳白色の美しい肌。

 感情を抱かせない美貌は生き物というよりは人形のようで、明彩は知らず感嘆の吐息を漏らしてしまった。同時に、彼女に比べてなんと自分はみすぼらしいのかと、居心地の悪さに胸が苦しくなる。

「涼牙! 妾が来たぞ!」

 その外見からは想像できないような威勢のいい声を響かせた彼女は、両腕を組んで苦虫を噛みつぶしたような顔をしている涼牙の元へと駆け寄っていく。

「陽華。もうここへは来るなと言ったはずだ」

「そうつれないことを言うな涼牙よ。時間も経てば気も変わるだろう。妾のことが恋しかったであろうよ。のうのう、早う妾と里へ帰ろうぞ」

 赤く染めた唇が弧を描き、しなを作って陽華が涼牙に身体を寄せる。

「断る。何度も言っているが、俺は戻る気などない。さっさと帰れ」

 しなだれかかろうとする陽華の身体を煩わしそうに押しやった涼牙は、話は終わったとばかりに踵を返す。そのまま屋敷の中に入っていこうとする背中を陽華は追いかけていく。

「涼牙、待ちや!」

 まるで嵐のようだった。

 陽華を乗せてきた駕籠を引いていた牛の怪異は、陽華がいなくなったことを確かめるように首を振ると大きく一つ鳴いて、ためらいなく歩き去ってしまう。

 出迎えに来ていた怪異たちは慣れた様子でバラバラと自分の持ち場へと戻っていった。

 その場に取り残された明彩は、どうしてだかすぐに動き出せず、先ほど見た光景をぼんやりと思い返す。

 ──とても、お似合いだった。

 鬼とはなんと美しい生き物なのだろうか。涼牙と陽華が寄り添う姿は、まるで子どもの頃に見た絵巻物のような絢爛さがあった。明彩には決して入り込めない世界だ。彼らが物語の主役ならば、明彩は名前さえ付けてもらえぬ端役だろう。

 自分はなんと場違いなのだろうかという疎外感が胸を満たす。。涼牙は鬼で、明彩は治癒の力が使えるだけの人間。隣に立つことすらおこがましいと、気がついてしまった。

「姫様、中に戻りましょう」

 傍に控えていた峡の言葉に、明彩は静かに頷く。

 気落ちしたまま部屋へと続く縁側をゆるゆると進んでいると、先を歩いていた玄がふんと盛大に鼻を鳴らした。

「あの鬼、相変わらずうるさいやつだ。早く帰ればいいのに」

「彼女……陽華様は以前からよく来ていたのよね」

「様など付けずともよいのですよ! あれは招かれざる客です。来る度に屋敷を壊す迷惑千万なやつだ!」

 玄はぐるぐると唸り声を上げ、鞠のように床の上を跳ね回った。

「前も主様が仕事でいないから暇だと言って壁に穴を開けたのですよ! 直すのにどれだけ時間がかかったことか! 玄はあいつが嫌いです!」

 全身で怒りを表現する玄の姿が愛らしくて、明彩はつい笑ってしまう。先ほどまで胸を満たしていた重く冷たい気持ちが軽くなっていく気がした。

「姫様。決してこの玄や峡の傍から離れてはなりません。あの鬼は何をしでかすかわかりません」

「……わかったわ」

 言われなくても顔を合わせたいとは思えなかった。

 あんな美しい陽華を前にすると、地味な自分と比べてしまいそうで。

「少しの辛抱です。飽き性ですから、いつもすぐに帰るのですよ」

「そう……」

 庭へと視線を向ければ、今朝には満開だった百日紅の花がちょうどはらはらと散っている最中だった。庭の砂利が花びらで染まり、幻想的な光景を作り上げている。

 次はどんな花が咲くのだろうか。きっとそれもまた美しいに違いない。

 涼牙にもらった髪飾りに手を伸ばす。控えめで可愛らしいそれは、明彩に似合っているとみんなが褒めてくれた。

 自分の美醜など気にしたことはなかったのに、どうしてこんなに気になってしまうのだろうか。

 喉の奥からせり上がってくる熱く重いものをやり過ごすように、息を吐き出す。

 ──何ごともなければいいのだけれど。

 指先が水たまりに浸かってしまったような、居心地の悪さを感じながら、明彩はこれからの数日に思いを馳せたのだった。


 陽華が来て、早くも三日が過ぎた。

 怪異たちが気遣ってくれるおかげで、明彩はいまだに陽華と遭遇せずに済んでいる。

 涼牙の配慮なのか、治療の仕事も入ってきておらず、明彩はほとんどの時間を自室で読書や書の練習に費やしていた。

 明彩が与えられた部屋は屋敷の南側にあり、窓を開けておけば一日中あたたかな日差しと優しい風が流れ込んでくるため、こもっていても閉鎖感はないのが救いだ。

 それに小さな怪異たちが代わる代わる遊びに来てくれるため、寂しいと思う暇さえない。

 このまま、陽華が帰ってくれるまで静かな時間が過ぎてくれれば。

 そんな風に考えている矢先の出来事だった。

「あんたが涼牙の囲っている姫だね」

 縁側に腰掛け、玄を膝に乗せて明彩はぼんやりと庭を眺めていた。

 昼が近いということもあり、峡は阿貴の元に食事を取りに行ってくれている。

 このまま外で食事をとるのもいいかもしれないと考えているときだった。

 突然背後からかけられた声に驚いて振り返れば、両手を腰に当てて仁王立ちした陽華が真後ろに立っていた。

 琥珀色の瞳が、冷たい色を孕んで明彩を睨み付けている。

「妾は陽華。涼牙の許嫁じゃ」

 まさかの言葉、喉の奥から引き攣った音がこぼれた。

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