駄天使ちゃんは近づきたい
た〜にゃ
第一章
第1話
教会堂のステンドグラス越しに春の暖かな朝日が差し込んでいる。天使様はその光をご自身の翼で受け、まるで翼が輝いているようだ。天使様に神々しいという言葉を使って良いものか悩むが、その清廉な気配はまさに天からの御使いにふさわしいものだと感じる。天使様の前には幾人もの信者と、その信者一人一人に付き従う守護天使が居た。柔らかな落ち着いた声が集まった皆に呼びかけられた。
「おはようございます。早速ですがわが主からのお言葉をお伝えします。来週から瘴気の収集日が水曜日に変わります。朝8時半までに出すようにしてください。また、そろそろ花見の季節ということもあり、悪霊の出没が増えてきました。守護天使の皆さんは外出時は周りに気をつけるようお願いします」
天使様は天からの御使いで、我が主からのお言葉を伝えるのが大切な役割のひとつだ。日曜日の礼拝でそれは行われる。
我が主からのお言葉は日常的なことから説教まで様々だ。このように事務的な話もある。事務的なお言葉は大天使様や他の方が考えたお言葉をそのまま伝えていることも多い。
天使様は次々とわが主からのお言葉を皆に伝えていった。ぼくはそのお言葉を聞き逃さないよう注意しながらメモしていった。回覧板として聖堂共同体に回さねばいけないからだ。教会堂の清掃とこの回覧板作成が、日曜の朝のぼくの仕事となる。ぼくのような神父見習いはみんな通る道だ。
「最後になりましたが、私は転勤のためこの教会の担当から外れることとなりました。皆さんと共にした時間は大切な思い出です。長い間ありがとうございました」
戸惑いの声とともにぱちぱちと拍手がおこる。ぼくも初耳だった。子どもの頃からずっと同じ天使様が担当だったため、とても動揺してしまった。事前に言ってくれれば花束などの贈呈もできたかもしれないが、いかんせん天使様には物理的に近づけないため渡す手段が難しい。ぼくを除いて。
天使様には近づけない。これはこの世界に住んでいる人の常識だ。だいたい天使様から1メートル程度の距離に人間が近づこうとすると、見えない反発力が働き始める。大天使様やもっと上の天使様はさらに距離が離れるらしい。どうして近づけないのかはまだ定説はない。神学者たちの間ではいくつかの説が挙げられているらしい。
そんな中、ぼくは何故かみんなより天使様に近づくことができる。このような信者はごく稀に存在するらしい。どうして近づけるのかもまだ定説はないようだ。
とはいえ、ぼくもそこまで近づけるわけではない。試しに天使様とてのひら同士を近づけてその距離を測ったことがあるが、だいたい50cmくらいまで近づくことができた。当然触る前に反発力が働くため、花束を渡そうとすると空中で落として渡すような形になってしまうであろう。さすがにそれは不敬だ。
「
「はい」
「急な話になってすまないね。颯太君には早くに伝えられたら良かったのだが、私も大天使様から転勤が伝えられたのがついこの間だったのだよ」
「いえ、でもさびしいです。物心ついたときからずっと天使様がいらっしゃいましたから」
「私もだよ。君は私たち天使に近づけるからね。随分と仲良くさせてもらったね」
「天使様もお元気で。機会があればまた遊びに来てください」
「是非そうさせてもらうよ。さて、今日は君に紹介したい天使がいるんだ。次のこの教会の担当天使なんだが、少し訳ありでね。ほら、おいで」
すると、天使様のうしろから別の天使様?がおずおずと現れた。いつ来たんだろう。
「あとから話すが、颯太君にはお世話になることと思う。さあ、ご挨拶なさい」
「は、はひっ」
現れた天使様はぼくと同じくらいの年齡の女の子のようだが、なんだかこじんまりとしていた。ぼくも身長はそんなに高くないが、ぼくよりさらに低い。すっと通った鼻梁、金髪碧眼はさすが天使様の美しさがあるが、その目は若干曇り、目元には濃い隈が見える。ミディアムロングの髪も何故かかなりの癖っ毛だ。脚はその身長にしては長いが胸はない。顔は若干引きつっている。そして何故か翼が生えていない。
「わ、私は
随分と気弱に見える天使様だ。天使様の基本的な装いである白い標準服、その裾をいじいじして落ち着かない。
「彼女は免許とりたてでね。まだ研修だけで実際の勤務はしたことがないのだよ」
落ち着かないのはそのためか。誰でも最初は不安なものだよな。
「本当は私のようなものがOJTするべきなんだが、どうにも人手不足でね。とりあえず来年度だけはなんとか一人でやってもらうことになった」
思ったよりひどい労働環境だった。こわい。
「なるほど。ところで、翼無しというのは……」
「ああ、天使は翼が生えていない状態で生まれるんだよ。その状態を翼無しと呼ぶんだ。成長するに従い翼が生えていく」
「そうだったんですね。生まれた時から翼が生えているものだと思っていました」
「普通は免許をとるくらいに成長していれば翼が生えているのでそう思うだろうね。彼女は少し成長が遅いようだ。翼が生えていないので、彼女は地上ではまだ飛べない」
大丈夫なのだろうか。不安感しかない。
「もちろん、天界もサポートは十分に行う。だが、瘴気集めや見回り業務などはなかなか我々のサポートだけでは成り立たない。そこで君の出番というわけだ」
瘴気集めや見回り業務も大切な天使様のお仕事だ。人間では対処できない瘴気や悪霊などをみつけ除去、退治するのがそのお仕事の内容だ。
「天使に近づける君なら業務のサポートもしやすいだろう。なに、そんなに難しいことではない。ちょっとしたボランティア活動みたいなものだ。もちろん報酬は払う」
「正直、自信がありません。ぼくもまだ見習いですし」
「君は自信を持ったほうがいい。見習いとはいえ、子供の頃から私たちの業務を見て手伝ってきた君ならば十分に可能だろう」
「確かに、ぼくは天使様に近づけるのでお手伝いは可能ですが……」
「もしどうしても駄目ならばその時は改めて配置換えを考えることになっている。どうだろう、とりあえず3ヶ月くらいでも協力してもらえないだろうか」
「うーん……」
なんだろう、炎上プロジェクトの臭いがする。いや、やったことはないけど。
と、ふと新しい天使様の方を見ると、ふるふると震え瞳に涙を浮かべて泣きそうになっていた。これからのことが心配なのだろう。もしぼくがここで断れば他の教会に行くことになるのだろう。そこではぼくのような天使様に近づける人はおそらくおらず、一人で業務をすることになるのだろう。それは、あまりにかわいそうに思えた。ちくり、と心が痛む。
「わかりました。不安も大きいですが、まずはやってみます。とりあえず3ヶ月でいいんてすよね」
びくっ、と新しい天使様が震えた。俯き加減だがぼくの方を見てくる。ぼくのことをどう思ったのかはよくわからなかった。
「ありがとう、助かる。早速だが彼女も含めて引き継ぎをしよう」
「はい。よろしくお願いします、新しい天使様」
そう言うとぼくは新しい天使様に頭を下げた。新しい天使様はまだおどおどしていたが、涙は少し引いたようだった。
「ど、どうかよろしくお願いします。ふ、ふひ……」
彼女はそう言って弱々しく笑顔を見せるのだった。
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