風に、乗る
まじかの
第1話 風が運ぶ子供
今日一人目の客が来たのは、昼過ぎだった。
俺はすでに、午前中で、タバコを10本は吸っていた。
客はもう来ないと思っていた、朝から会社からは配車の連絡はなかった。
だから一人、客が回ってくるという連絡があった俺は、その時、野原で寝ていた。
寝ていて魔ステ、
それはネットとメールと電話の手段を合わせもつ、この世界の魔法道具のようなものだが、
それを開かなかった俺には、すぐに会社からはけたたましい電話が鳴った。
その電話で俺は起きた。
俺の会社はこの世界でタクシー業をしていた。
俺はそのイチ従業員。
給料は高くはないが、生きていくには、まあ何とか、足りるくらいだ。
意気込んで仕事をしているわけでも、全てどうでもいいと思っているわけでもない、その中間にいる。
人生も同じように考えている。昔はもっと、熱かったかもしれない。
タクシーの仕事は、平日の午前中は、特に少ない。
夕方に向かって増えていく。
休日前は特に。
この日は平日で、例外なく客は少なかった。
「タクシーをお願いしたものですが、こちらで間違いないですか?」
この日の客は、一人の女性だった。
20歳中盤くらいの年齢に見えたかな。
「あぁ、そうだよ、荷物はある?」
俺がそう言うと、女性は俺を訝しげに見た。
俺の口調や格好から、本当にタクシー業なのか疑わしくなったのだろう。
俺は丁寧でもないし、いつも不愛想で、顔もいかつい。
髪も長く垂れ、右目が隠れるほどだ。
そして、いつもタバコを咥えているので、『そっちの筋の人間』だと思う人の方が多いのではなかろうか。
ちなみに俺はそう思われることには、すっかり慣れている。
「荷物はこれだけです」
女性から渡されたのは大きな1つのキャリーケースだった。
俺がそれを持つと、軽かった。
「あの、なんとお呼びすれば?」
「……ん?」
俺は女性が言った意味が良く分からなかったので、沈黙していると、女性は「あの、お名前です」と女性は続けた。
俺はそれで、俺自身の名前を聞きたいことを理解した。
荷物を右手で持ちながら、俺は答えた。
「俺の名前ね。風花(ふうか)だよ」
正直、名前を言うのは少し、気が引けた。
それは毎回そうだ。
「あら……キレイな名前ですね」
女性はにこやかな顔でそう言った。
女性が言った言葉は、大体、俺の予想通りのものだった。
「女みたいな名前って、思ったろ?」
俺は無表情で、そう返した。
女性は、ああ、いえ、と答えたが、大体、いつもこんな感じではぐらかされる。
しかし、皆、思っていることは一緒だ。女っぽい名前だと。
名前を名乗る時が、仕事で一番、気が乗らないタイミングだ。
「ほい、じゃあ、これがタクシーね」
俺はそう言うと、空に右手を翳した。
俺の右手が緑色に光ると、目の前には、半透明だが、濃い緑色の四角が浮き上がった。
「あぁ、濃いですね」
女性は驚いたような顔で言った。
「こんなに濃いタクシーを見るのは初めてです。
では、安心ですね」
「そりゃ、どうも」
俺は愛想の無い声で答えると、
女性を後部座席にエスコートし、その横に荷物を置いた。
そして、俺は前方に乗り込むと、女性に聞いた。
「んでは、どこまで?」
俺は存在しない背もたれに左腕を乗せつつ、女性に尋ねた。
「ウォトスまでお願いします」
「あいよ。40分くらいかな」
女性の声に俺は機械的に答えると、
右手に魔力を込め、タクシーを発進させた。
タクシーはすぐにふわっと浮き、1秒につき4mは上昇した。
果てが無い、この世界では、タクシーは実在しない。
なんでも魔法でできている世界だ。
タクシーも魔法の力で、操縦者が発進前に、『生む』。
魔法の力が強い者ほど、強靭な、頑丈なタクシーを生める。
頑丈なタクシーほど、強い魔力を帯びるので、色が濃くなる。
色が濃いタクシーほど、対外からの衝撃に強く、乗っている者にとっては安心で、乗り手は安心するのだ。
この世界において、タクシーの信頼性はタクシーの色で決まっていた。
ウォトスまでは、かかる時間にて、ざっと40分というところだった。
俺は発進後、すぐに右手で空中を触り、メーターを回した。
ヴン、という音とともに、俺の頭の左上あたりに、メーターが具現化する。
女性はタクシーが発進すると、すぐに、あの、と声をかけてきた。
俺は操縦しつつ、
魔ステをいじって魔報を設定しているところだった。
魔報というのは、この世界で言うラジオのことだ。
ラジオ局を設定しながら、なに、と答える。
「あの、タバコなんですが、実は、私、身籠ってましてー」
女性が言うところ、俺が今吸っているタバコをやめて欲しいのだろう。
タバコの煙は身籠っている子供に良くない。
「あぁ、これは失礼。
ただ、俺のタバコ、これは風の力で全部、外へ漏らしてるんだ。
安心していい」
「そうなんですか……それは失礼しました」
「いや、これも、慣れてるのでね」
相変わらず、無感情な俺に女性は少し緊張している様子だった。
普通のタクシー乗りならば、愛想よく話しかけるところだろうが、俺はそういう心構えがなかった。
後部にいる女性は、どことなく、そわそわしながら、景色を見ていた。
タクシーがいるのは地上50m上で、眼下には緑の生い茂る山と、たまに色鮮やかな山村が見えた。
景色はいいはずだが、どうも女性が見ているのは、景色ではなさそうだった。
「変なことを聞きますが、
外の世界まで、タクシーは行ったりしますか?」
女性は突然、変なことを聞いてきた。
俺はその質問に、ん、とつぶやくと、尋ねた。
「外の世界というと、この大陸の外、ということかい?」
「そうです、ね」
「ちなみに、どこ?」
「例えば、ここから北の台地とか」
外の世界というのは、この国の外のことだ。
この魔法の国は、自国の事情こそ分かっているが、他の世界、つまり外の国のことはほとんど分からず仕舞だ。
この世界は他の世界のことにあまり干渉しない。
外の世界からもあまり干渉を受けない。
昔は、外の世界から、使者が来たり、この国に戦いを挑んでくる者がいたりもしたのだが、
あまりいいことはなかったらしい。
魔法戦争になったこともあった。
とは言っても、魔法を使うのはこちらの国ばかりで、他の国は魔法を使っていた、という記録はない。
電気などという不明な文明を駆使して、戦いを挑んできた国もあったようだ。
そう言った経緯から、この国は、基本的に外の国と交流がない。
外にどういう国があるかすら、把握していない。
だから、外国の地図なんてものもないし、外国へのルートというのも、そもそもない。
行ってはいけないわけではなく、行ってもいいが何があっても知らないよ、というのがこの国のスタンスだ。
「まあ、場所さえ分かれば、送っていくけど、高いよ?」
「ああ、いえ、行けるのかどうか、気になっただけですのでー」
「ふうん」
外の国の話は、それで終わった。
俺は今まで、外の国までタクシーをしたことはなかった。
頭の中で、『北の台地までならいくらくらい稼げるだろうな?』と計算していた。
ざっと、150万ユム、くらいにはないかな、と推測した。
そのくらい稼いだら、一月は休暇にしてもいいんじゃないか、と思った。
俺はぜひ、後ろの女性に北の台地まで、と言って欲しいなと心の中でつぶやいた。
ウォトスの街には、大体時間通り、40分で着いた。
ウォトスは海沿いにある、比較的、商業の盛んな街で、賑わいがある交易地だ。
ここから、色々な都市へ船が出る。
ちなみに、船乗りと、タクシー乗りはよく顔見知りになる。
お互いタクシー業みたいなものだからだ。使っている魔法も、船なら水、タクシーなら風、と相性も悪くない。
操縦者同士、情報交換もよく行っている。
俺は女性を言われた裏路地へ降ろした。
メーターを止めた俺は、
「1万4000ユムね」
と女性に代金を請求した。
女性は、右手で魔ステを開くと、ハイ、と言い俺に代金を支払った。
俺は自分の魔ステを開くと、振り込みを確認し、まいど、と愛想悪くつぶやいた。
そして、女性にキャリーバッグを渡す。
「では」
というと、女性は、バッグを転がし、きょろきょろと周りを見つつ、多少緊張感のある顔つきで俺のタクシーを離れて行こうとした。
その背に、俺は、おい、と声をかけると、女性は多少びくっと身体を震わせ
はい?と振り返った。
「北の台地に行くなら、俺はしばらく街のギルドにいるから、言ってくれ」
俺はタバコを咥えつつ、相変わらず表情のない顔つきで言った。
「はい、あの、ありがとうございます」
女性はぺこ、とおじぎすると、せこせことその場を去った。
女性は、それから、そわそわしつつ、日常で必要なものを買うだけ買っていた。
保存がきく食料品や、ミルクになる材料、そして食器類や、子供用の服まど、キャリーケースには詰め込めないほどの荷物になっていたが、女性はもう1つ、カバンを買い、それに詰めた。
そして、女性は、街の通りを歩きながら、思った。
「これから食事をして、またタクシーを拾おうか」
急ぎ足で、女性は歩を進めようとー
した時だ。
左手に持つ、キャリーバッグが何かに引っ張られるのを感じた。
女性はびくっと身体を硬直させ、バッグを押さえた何かを見ようとした。
しかしそれはできなかった。
女性は後ろから、口を誰かに押さえられた。
とっさのことで、女性は声もでなかった。
そして次の瞬間には、バッグを引っ張った人物が目の前に迫っていた。
ごつく、目に光がない、中年男の顔がそこにあった。
「声を上げたら、子供は死ぬよ」
女性が涙目になりながら下を向くと、腹にナイフが押し当てられているのが見えた。
そして、同時に、女性の右手と左手も、それぞれ別の男性に固められていた。
「人気のないところまで行ってもらおう。
うん、海岸沿いの公園にするか。
声を出したら、子供は死ぬ」
それから、女性は全ての拘束から解放されたが、女性の全ては縛られていた。
女性の周りは4人の男が固め、女性は海岸の公園まで歩いた。
女性は、従う他なかった。
身体はガクガクと震えていた。
女性は小声で、目に光がともっていない男に言った。
「100万ユムあります。これで逃がしていただけませんか?」
それを聞いた男はにやにやとした顔つきで答えた。
「俺のいる世界では、裏切りが一番の罪だ。
100万どころか、1000万でも乗れない話だよ」
周りの3人の男がそれを聞き、はははと笑った。
その話を聞いた女性の目から、光が消えた。
海岸の公園は、断崖絶壁で、ただし、柵があって、落ちることはなかった。
女性と4人以外にも、カップルや家族連れなどもおり、閑散とした公園ではなかった。
しかし、女性が窮地に立っていることを知るものは誰一人いなかった。
「俺達4人の中に一人、魔導士がいる。治癒魔法が使える」
光のない男は唐突に話を始めた。
「まず、お前の手足を切り落とす。手足がなくても、依頼主の依頼は達成できる。
俺達を雇ったのは、娼館の主だ。
主は、お前が生きていればいいとだけ言った。
子供も別に死んでてもいいと」
「子供だけは、やめてください!」
女性は叫びに似た声で、男に話しかけた。
「お前が暴れなければ、子供は助かるかもな。
保障はしないがー」
男はそう言うと、他の3人に、やれ、と目配せし、命じた。
女性はひ、と声を上げる。
しかしそこで
3人の内、一人の男性が別の一人の身体を指さして言った。
「お前、身体についているそれ、なんだ?」
指を刺された男は、ん、と自分の身体を見ると、そこには緑色の薄い帯がぐるぐると回っていた。
「なんだこれ……?」
そう言う男の台詞に呼応するように、
場に突風が舞った。
その突風は、3人の男を風でぐるぐる巻きにして、
上空に突如、現れた竜巻に巻き込んだ。
魔導士は、咄嗟に、その風を防ごうと、魔法障壁を6重に張ったが、
その重ね着したバリアは一瞬で、パリンと6枚割れ、魔導士も同じく、竜巻の一部となる。
「どうなってる!」
竜巻でぐるぐる巻きにされながら、
光がない男性が叫んだ。
女性はあっけに取られていた。
周囲には台風の何倍も強い風が渦巻いていて、
4人の男だけではなく、公園にいたカップルや家族連れ、30人はいるはずの全員が
強烈な風に動けなくなり、地に臥せていた。
女性だけが、何の影響も受けていなかった。
しかし、次の瞬間、女性の身体がふわっと何かで浮き、
そして、背後の崖から落とされていく。
女性は、急速に落ちていく自分を見た。
「あああ」
女性は頭に手をあて、自分の終わりを予感した。
しかし、もうすぐ激突するかという時、
女性の身体はゆっくりと減速していった。
風が、女性を守っていた。
その風の柔らかさは
まるで、生まれたての赤ん坊を抱くような優しさを持っていた。
そのまま、女性は減速し、
やがて、誰かの両腕にふわっと収まった。
「おお、あんた、また会ったな」
それは風のタクシー運転手のフウカだった。
「え」
女性はなぜここにその人がいるのか、分からなかった。
だから、単純なその質問を口にした。
「フウカさん、ど、どうしてここに?」
フウカはタクシーを運転していた時と全く同じテンションで、タバコを咥えつつ言った。
「海が見たくなってね。
海岸にきた。
そしたら、あんたが落ちてきたからさ。
ああ、びっくりしたよ」
まるでびっくりしていないその顔に女性は違和感を覚えたが、
それ以上に、何が起きたのかさっぱり分からない女性は、
そうですか、としか反応できなかった。
ぽかーんとする女性をフウカは、
女性を横に抱いたまま、すぐそばにタクシーを生み出した。
そして、女性を助手席にそっと乗せると、言った。
「料金はタダでいいから、乗っておいて」
「あの、でも、私の荷物が」
女性がそう言うと、フウカは、タバコを右手でつまみ、煙をふう、と吐くと、左手で後部座席を指刺した。
そこには女性の2つのキャリーバッグがあった。
女性が、え、と大きな声で驚くのと同時に、フウカは口を開いた。
「なんか、荷物も落ちてきたから、拾っておいたよ。
中身は無事だと思うよ」
またも何が起きたか分からない女性をよそに
フウカは、「んでは」というと、タクシーを発車した。
その緑の透明なタクシーは海岸線沿いを走り、
少し先の無人の浜辺に向かった。
「いきなりこんなことを頼むのは気が引けるのですが、
北の台地まで行ってもらえませんか?」
女性が口を開いたのは、無人の浜辺で俺と2人で
夕風を見ていた時だった。
「ああ、いいよ」
俺は特に無感動な声ですぐに返事をした。
タバコの煙を女性のいない方へ、ふーっと吐く。
「でも、おそらく持ち合わせでは、足りないのです」
そう言い、女性が顔を俯くと、俺はそれにすぐ返事を返した。
「今、メーター、壊れててな。ツケでいい……。50年後に返してくれ」
「ええ!
あの、それではさすがに」
女性は申し訳なさそうにそう言い淀んでいた。
さすがにタダでは、気が引けるのだろう。
だが、どうやってお礼をすべきか、分からない様子に見えた。
なので、俺は女性の話を終わらせるべく、話をした。
「金には困っていないんだ。
だから、50年後に、北の台地の思い出話を聞かせてくれるか?」
「はい、わかりました」
そう答えた女性の目にはうっすら涙が浮かんでいた。
タクシーに乗り込んだ俺は、
助手席に乗ろうとする女性に、それと、と声をかけた。
「あんた、こっからは少し、長くかかるから、名前を教えてくれるかい?」
そう言われた女性は、しまったというように両手を口にあてた。
「申し訳ありません!名前をまだ言っていませんでした……。
私はシュシュ、と言います」
それを聞いて俺は煙を外に追い出しつつ、
そうか、シュシュね、とつぶやいた後、短くなったタバコを消し、
白い息で、話を続けた。
「あんたさ、ギルドで、賞金首になってたよ」
それを聞いたシュシュは、目を下に向け、
それは、分かっています、と答え、
小さい声で話を始めた。
「私は、娼館で働いていましたが、あるお客と恋仲になり、身籠ってしまいました。
子供を身籠った娼婦など、使い物になりません。
夫はというと、すぐに逃げてしまいました。
私も、逃げる他ありませんでした。
しかし、この世界、どこに逃げたらいいのでしょう?
逃げ場などありません。
あの……
あなたもさっきの4人のように、私を売るのですか?」
「いや、売らないよ。
というか、あんた、死んだことになってたよ」
俺のその返事に、シュシュは、え?と驚きの声を出した。
「賞金首は、崖から落ちて、死んだらしい。
まあ、俺にはどうでもいいけどね」
そう言いつつ、俺はタクシーを発進させていた。
夕風が吹いてくる元、北へ進路を取る。
隣では、女性が目を手で覆い、ああ、とつぶやいていた。
そのまま2秒ほど、沈黙した後、女性はしゃべった。
「あの、フウカさん。
フウカさんは、風の精霊と仲がいいんですよね?」
それを聞いた俺は、まあ、飲み仲間くらいにはね、と軽く答えた。
「風の精霊に伝えておいてください。
この恩は50年後に返します、と」
その問いに俺は、すぐには答えなかった。
新たなタバコを取り出していたからだ。
そして火を探しながら、言っとく言っとく、
とてきとうな返事をした。
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