第46話 作戦決行

 暗闇に飲み込まれていく空に雲が覆って、さらに暗さが増していく。それとは真逆に、新宿の繁華街は煌々と明かりが灯り始める。土日は、様々な年齢層であふれかえっていて、特に活気があった。

 その中に紛れながら、いつものバッグを肩にかけ、ティシャツジーンズ姿で歩いていく。百貨店のショウウインドウには、ブランド物のバッグが展示されていた。たかがバッグだというのに、あまりに堂々としていて、存在感がすごい。思わず立ち止まって魅入ってしまう。値段を見れば、浮世離れしすぎて、緊張感さえもすっ飛ばしてくれる。今は、それくらいがちょうどいいと思った。

 変な気負いもなく、純粋にウインドウショッピングを楽しめてしまえる。

 次に、目に入ってきたのはアクセサリー。先ほどのバッグの存在感を超越していた。ダイヤモンドがただのガラス玉なのではないかと勘違いしていしまうほど散りばめられていて、バチバチ輝いて目が眩みそうになる。下にこじんまりと書かれている値段のゼロの数を数えてみる。

「うわぁ、私のアパートの全室貸切っても一生住めるわ」

 自動的にアパートの家賃と比較してしまったが、そもそも比較対象が間違っているではないだろうという、突っ込みを自分で入れて苦笑いを浮かべる。傍に灰本がいなくてよかった。絶対に馬鹿されてる。それは、それで楽しいかもしれないけれど。

 そんなどうでもいいことを考えながら、歩みを進めていく。

 

 時刻は二十時を回ったところ。

 百貨店が立ち並ぶ大通り。信号待ちをしていると、人がどんどん溜まっていく。ここで、何か起こればみんなの注目の的になることは間違いないだろうが、せめてもう少し人込みを抜けた場所にしてほしい。せめて、あと少し。この交差点を渡って、数分歩いたところは、人が少ない。そこで遭遇するのが、一番手っ取り早い。

 信号が、赤から青に変わる。人の流れは、進行方向へ一気に流れていく。私もその流れに乗ろうと、一歩踏み出そうとした。

 その時。進行方向とは、逆方向に私の腕が強く引っ張られた。ちっと舌打ちする。やっぱり、人込みのど真ん中で来るか。

 横断歩道を渡ろうとする人々からは、逆流する異物扱いされ、二度、三度見られて睨まれる。喫茶店で受けた嫌悪と同じ類だったみたいだが、今はそっちよりも、腕の方が断然不愉快だった。

 力任せにその場に留まるように、抑えられている。振り払おうとしても、ガキのくせに、力が強くて、外れない。諦めて仕方なく、私を拘束している手から腕をたどって、顔を睨む。

 

「お姉さん、こんにちは」

 真っ暗な空の下、街明かりで照らされて薄い唇が不気味に動く。喫茶店で会った時よりも白く不健康に見えたが、切れ長の双眸、細身の体格の割に高身長は変わりない。

 もうちょっと、後にしてほしかったといいたいのを、ぐっとこらえる代わりに、大げさに目を見開いてやった。

「富永君……?」

 相手が入念に描いてきたであろうシナリオ通りの台詞をとりあえず、吐いてやる。相手は明らかに満足そうな笑みを浮かべていた。私、女優に向いているかもしれないなんて、場違いなことを思う。

「お姉さんと話がしたくて、ずっと機会を伺っていたんだ」

「それなら、こんな突然現れなくても、呼び出してくれれば、よかったんじゃないの?」

「連絡を取り合っても、相手にしてくれないと思ってさ。それに、待ち合わせするとこの前みたいな喫茶店とかになっちゃうでしょう? それじゃあ、観客が少なすぎる。ここの方が目立つし、証人は大勢いる」

 周囲を一度見回す。信号がカチカチ点滅して、また人が溜まっていく。その中の細く眼付きの悪い視線が、一点で止まった。私の後ろの方を見て、薄く笑って頷いている。

 私も振り返って、視線を追いかける。不自然に立ち止まっている薄ら笑いを浮かべている男が二名見えた。人が多すぎて、すぐ埋もれてしまうが、残りの二人もお揃いということだろう。それに関しては、好都合ではある。再度、翔太の方へ顔を戻そうとしたとき、灰本の影が見えた。あんまり、じっとは見られないけれど、言いたいことはだいたいわかる。

 さぁ、どうするつもりだ? そんな風に、呆れた表情を浮かべていることだろう。

 気付かれない程度に、小さくため息をついて、ポケットに忍ばせている堅い感触を撫でる。


 相手が求めている環境は、大勢の人がいる場所。一方、こちらの条件は、人気のない場所。

 どうやって、こちら側の条件に寄せるかだ。

 いちいち、茶番劇に付き合う余裕はない。いい加減、富永呼びするのも面倒になってきた。

「ねぇ、庵野翔太くん」

 

 フルネームで名前を呼ぶと、今までの余裕の笑みが明らかに強張った。

「あなたまだ、十三歳の中学二年なんですってね。十三歳はどんなことをしても、刑事事件には問われない。日本の法律で、強固に守られている存在。そんな入れ知恵を、優秀なお兄さんからされたんでしょう? それを念頭に、あの日私の前に現れた。愛する兄から、自分の代わりに行ってくれと頼まれたのか、自ら立候補したのかは知らないけれど」

 感情を殺して、説明してやる。翔太の細い瞳が据わっていた。計画通りにならないと、キレるタイプか。未だに、私の腕を掴んでいる手に更に力が入った。いくら冷静にとはいわれていても、さすがに不愉快がすぎる。

 思い切り腕を振り上げて、つかまれている手を引き切る。やっと外れたが、ずきずき痛い。腕にくっきりと赤く手の跡が残っている。信号がまた青になる。人の流れは、立ち止まっている私たちの肩を、わざとぶつけてくる。

 何もかもがいちいち、煩わしくなってきた。

 

「ねぇ。いくらなんでも、人の流れに逆らいすぎて、邪魔すぎるわ。あなたのお兄さんたちも、そこにいるんでしょ? 面倒くさいからみんなで、話しましょう」

 促すと、案外素直に言うことを聞いていた。人の流れを逆流しながら、私の前を歩く。細長い背中を見ながら、頭をフル回転させる。

 こんな状態で、どうやって私を中心として、半径三メートル以内にターゲット以外の人間を五分間も入れないようにすればいいのか。昨晩は、大丈夫と軽々と返事をしてみたが、実際の状況を目の当たりにすると、溜息しか出ない。


 ポケットの中の硬い感触にふれる。昨晩、リビングで作戦を練っていた時のことを思い出した。

 灰本が、手のひらに収まるくらいの銀色の四角いキーホルダーを自慢気に見せてきた。真ん中にスイッチのようなものがくっついていて、それをまじまじと見つめていると、灰本が説明を加えてきていた。

「そのスイッチを押すと、半径三メートル以内の電子機器にウイルスを感染させることができる。感染所要時間は、五分。これに感染するとデーターが、俺のパソコンに自動転送されてくるようになる」

「そんな優れものあったんだったら、最初から出してくださいよ。 ちょちょいっと依頼完了できたのに」

 あの喫茶店でこれがあったら、一瞬で解決だったのに。ぶすっと睨んでやると、灰本はそんな簡単にいくかと、一蹴していた。

「ウイルス感染させる五分間は、ターゲット以外半径三メートル以内に誰も入れないことが絶対条件。その条件を作るのには、かなり骨が折れるんだ」

 あぁ、なるほど。半径三メートルは結構広い。喫茶店を含めた飲食店では、隣の席との距離と一メートルも離れてない。使えないということか。

「その五分間の途中で、人が入ってきたら、どうなるんです?」

「最初からやり直しどころか、数倍の時間が必要になる」

「えー……不良品じゃないですか……」

 不満の声を上げたら、灰本から思い切り睨まれた。その後、ウイルス作成のために、どれだけの苦労があったのか切々と語られて後悔することとなった。普段は、冷静沈着で淡々としているくせに、変なところでねちっこい。面倒くさくて、早々に切り上げることにした。

「ともかく、GPSを使って、三人を誘い出し、このウイルスを仕込むってことですね。わかりました。任せてください」

 ぐっとキーホルダーを握りしめて、鼻息荒くそういうと、明らかに灰本の顔は不安しかないと言いたげに、眉間の皴と半眼をよこしていた。そして、しばらく黙り込み、ほかに作戦はないか、全力で模索しているようだった。

 私が現場に行くのではなく、灰本自身行くことができないかとか、そんなことを考えているのだろう。だが、さすがにそれは無理な話だと思う。そもそもGPSを持っているのが灰本だと知れたら、怪しまれるに決まっているし、逃げるのは目に見えている。そうなってしまえば、こちらとしては、逃げる前に力ずくで、ねじ伏せるという策をとらざるを得なくなる。

 そうなってしまえば、相手を追い詰めるどころか、逆にこちらが逮捕されるという事態になりかねない。ともかく、相手は未成年だ。圧倒的に、あちら側の方が有利な立場にある。法という強固な盾で、守られてしまっているのだから。

 となれば、どう考えても、選択肢は一つ。私が出るしかない。

 

「灰本さんは、もうちょっと楽観的になった方がいいですよ。いつも、考えすぎて、そのうち眉間の皴が消えなくなっちゃいますよ?」

 それを想像してみたが、この端正な顔は、皴くらいじゃ劣化しないだろうなと、思ったりする。悪態をついたつもりが、そうじゃなくなっている訳のわからない状況に失笑してしまう。そんな呑気な私に、灰本は、恨みがましそうな顔をして私をまた睨んでいた。

「お前は、考えなさすぎな上に、迂闊なんだよ」

 眉間だけでなく、高い鼻にも皺ができている。本当に難儀な性格をしていると思う。楽に生きたら、もう少し楽しくなりそうなのに。

「今回は、単独行動じゃなく、ちゃんと灰本さんも近くで見守ってくれてるんでしょ? だったら、何の問題もないじゃないですか」

 ね? と、安心させるように、ニッコリ笑って見せる。しかし、そんな効き目はなかったようで、それはそうなんだが……と、灰本はずっと待てをされた犬のように唸っていた。それは、今朝からもずっとそうで、家を出る直前もそんな感じだった。

 その度に、大丈夫ですって! ポンポン灰本の肩を叩いてはみたが。

 

 人込みをかき分けるながら、思う。

 たしかに、少々楽観が過ぎたのかもしれない。

 

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