第32話 いじめ

 灰本が私をはずした理由は、わかりきっている。私の妹の件と翼を重ね合わてれば、確実に、私が暴走すると思われたからだ。

 たしかに、その通りだ。今だってどうしようも怒りでどうにかなりそうになっている。いじめだけは、絶対に許せない。徹底的に調べあげて、後悔させてやりたい。

 だが、仕事を外されてしまった今、直接依頼人に会うこともできないし、詳細を知ることができない。ならば美波に聞いてみようかと、貰った名刺を手に取ってはみたが。はぁっとため息をついて、過った考えを吹き飛ばす。美波と灰本は親密な関係だ。私が美波に依頼内容を聞きに行ったら、灰本に知らせるだろう。

 そうなってしまえば、灰本は私に対して逐一目を光らせることになって、それ以上探ることはできなくなってしまう。

 灰本にはなるべく、気付かれないようにこの依頼を掘り下げたい。灰本以上に、深く。加害者のずっと奥深くの根底にある悪の部分まで徹底的に。

 私だって、サラシ屋だ。この機に灰本を認めさせてやる。

 

 

 アパートの自宅に戻り、ノートパソコンを立ち上げる。

 依頼人に直接話は聞けないから、とりあえずネットから情報を集めていくしかないわけだ。けれど、今わかっていることは、子供がいじめにあったということだけ。あまりに情報が少なすぎる。

 とりあえず、いじめというキーワードだけ入れて検索にかけてみることにする。


 いじめ過去最多というニュースがトップで出てきて、思わずそこをクリックしてしまう。

 子供はどんどん減っているというのに、いじめは増加の一途を辿り、その事案も巧妙化とあった。

 暗く濃い影が、差し込んでくる。その先に、苦し気に歪んだ妹の顔が浮かんで、胸がズキズキ痛み始める。


「陽菜……」

 静かな空間に呟いた名前が、木霊する。消えてしまった命。

 無意識にその名前を打ち込んでいた。

 平成最後の年。十一月二十三日。柴田陽菜。中学三年生。いじめ。

 意外にも検索結果は、無関係なものばかりだった。

 どうしてと、疑問が沸いたが、すぐにその理由はわかった。陽菜は被害者側で、親は何の情報も発信しなかったから、名前も伏せられたままだったのだろう。

 名前を消して、東京都だけ入れて再検索をかける。そこで、ヒットした。誰の意識にもひっかからない短いニュース。


『東京都の中学に通う三年生女子生徒が屋上から飛び降りた。自殺とみられる。遺書はなかった。学校に関して悩みがあったとみられるが、いじめの兆候はなかったという。学校側は、自殺の原因を調査中としている』

 調査中。よくいう。結局うやむやにするための都合のいい言葉だ。


 いじめはあった。私は知っている。

 陽菜が亡くなった後。ずっと書いていた日記帳を見つけ、そこにずっと隠していた真実が記されていたのをこの目で見ていた。

「金を出せとせがまれ断ったら、足を思い切り踏みつけられた。私が泣いていたら、人が寄ってきた。その途端、私の足を踏んだ奴は言った。『この子の足の上に、何か落ちたみたいで』そうみんなに説明して『大丈夫? 保健室行く?』と心底心配している顔を作り出していた。あまりの演技の上手さに、驚いて何も言えなかった。帰ってきて、見てみたら足の爪が変色していた。お姉ちゃんには、知られないようにしないと、心配される」

「今日は、先輩に呼び出され、トイレに閉じ込められた。授業に出られなくて、先生に怒られた。本当の事、言いたかったけれど、告げ口したらもっと酷いことをされる。だって、あいつは演技がとても上手で、先生に気に入られている。私のことなんか信じてくれない。お父さんやお母さんには、言えるかもしれないけど、結局おろおろするだけで、何も言ってはくれない。お姉ちゃんは学校に乗り込んできそうだ。やっぱり、誰にも言えない」

 その日記は、いじめが始まってからつけ始めたもののようだった。最初は、具体的にいじめられた内容が書かれていたが、時間が経つにつれて、短くなっていっていた。もう、嫌だ。早く、終わってほしい。学校なんて、消えろ。そして、命を絶つ直前に書かれた言葉は。

『みんな、大っ嫌い!』


 日記帳に記した素直な悲痛な叫びさえも、両親は苦しいといって封印してしまっていた。

 両親の黙る姿勢をいいことに、学校側も沈黙で蓋をして、そのまま終わっている。

 大人は狡い生き物だと、どうしようもなく思い知らされた。都合の悪い真実は、沈黙の中に埋めて、時間で風化させて終わらせる。汚い大人の常套手段。私はそんな風になりたくないと、どれだけ思ったことか。

 怒りに震えていたそんな私だったが、しばらくして私は気づいてしまった。

 最後に残された「みんな、大っ嫌い」という言葉。

 あの時は、いじめていた相手に向けられたものだとばかり思っていたけれど。それは、私に向けられていた言葉だったのかもしれないと。

 あの時無責任に放ってしまった言葉が、陽菜にとどめを刺したのかもしれないと。

 気付いた瞬間。遅れてやってきた後悔の大波は激しく、胸が張り裂けてしまいそうだった。

 あの痛みは、今も鮮明に胸に残っている。消してはいけないのだ。この痛みは、絶対に。

 

 開いてしまったページを閉じて、無理やり思考を元に戻す。

 今は、陽菜の話じゃない。目を閉じて、肺の中の酸素をすべて絞り出す。

 唐澤樹里の子供の話だ。息を吸って、言い聞かせる。美波から聞いた話を細かく思い出せ。

 たしか、樹里の子供は、都内の優秀な高校といっていた。都内の偏差値の高い高校を片っ端から選別して、いじめの単語を付け加えて検索にかけてみる。

 最近では、学校の評判を書き込む掲示板がある。色々な掲示板を近い日付で書き込みがあるものを中心に目を通していく。

 

 肩がこりかたまってしまうほど、パソコンに張り付いて、目が痛くなるほど読み漁る。そして、見つけた。

「あ!」

 思わず声が出た。


 名前は匿名。唐澤翼本人かもしれない。題名は『最低な学校』それを、クリックする。

『この学校に通う生徒です。クラスメイトとトラブルがあり悩まされています。担任は、知っているくせに、見て見ぬふりです。こんな最低な学校、生徒と一緒に消えればいい』

 日付は三ヶ月前だったが、更にそのコメントに返信がついていた。

 その日付の方が新しい。一ヶ月前だ。

 

『溺れたのは、これを書いた生徒で、今も意識不明の重体です。本当にただの事故だったのでしょうか?』

 文章の最後に、添付されているURL。それをクリックすると、新聞社の記事へ飛んだ。

『都内に通う高校生が、友人と海で釣りをしていたところ、足を踏み外して海へ落下した。病院へ運ばれたが、意識不明の重体。事件性はないとみられる』


 このニュースの日付は、追加されたコメントと同じ日付だった。つまり、事件が起きてすぐにここに書き込んだということになる。

 心臓から血の気が引く。

 全身から体温が奪われていく気がした。



 

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