第30話 天海2
はぁっと灰本が深々とため息をつく。
「で、本当は何をしに来たんだ? 美波の職場は、永田町だろ。サボって、こんなところほっつき歩いていたら、クビになるぞ」
「別にサボってるわけじゃないわ。上司から頼まれた書類を提出するために、こっちにきたから、そのついで。お願いするために寄ったのよ」
「お願い?」
「私の従姉――唐澤樹里にサラシ屋を紹介した。今日辺りに、連絡が来ると思う。依頼内容は、直接本人から話を聞いてあげて。依頼を弾くのは、厳禁だからね。誠一さん、面倒そうだとすぐ断るんだもの」
天真爛漫で、美人。しかも、永田町に努めているということは、かなりの秀才なのだろう。いちいち自分と比べる必要なんてないけれど、私とはあまりに違う。明るい雰囲気の中で、私はやっぱり邪魔者だ。
相変わらずテンポよくやり取りをしている二人の陰に隠れるように、私は自分の鞄から財布だけ取り出す。
「私、ちょっと出てきます。お客様用のお茶切らしていたので」
逃げるようにドアに手を掛けると、追いかけるようにして美波はいった。
「それなら、ついでに私も、もう行くわ。そこまで、一緒に行きましょう」
私はぎょっとしながら振り返ると、美波がキラッと目を輝かせていた。
灰本は、訝しむように目を薄くさせて美波へ「何考えてるんだ」と、声をかけていた。だが、それには答えることなく、美波はにっこり微笑むだけだった。
灰本へ手を振ると、私の真後ろにぴったりとくっついてくる。それは、それで気まずいのにと思いながらも、今更やっぱりやめましたなんて、取り消せるはずもなく。仕方なく、私と美波は、事務所を出た。
何か話題をと、頭を捻らせ絞り出す。
「天海さんって、永田町にお勤めなんですか?」
「親愛を込めて、美波って呼んで」
そういうと、美波はにっこり笑いながら、名刺を私へ差し出してくる。それを手に取り見やる。
「勤め先は、内閣府。秘書をしているの」
予想通りすぎて、当たり前の感想しか出ない。名刺までキラキラしていて眩しすぎて、そっと財布にしまい込んだ。
「やっぱり、優秀な方なんですね」
「全然。ただの非常勤だからね。アルバイトみたいなものよ」
さらっというと、今度は私に興味津々とばかりにキラキラとした黒目を向けてくる。
「そんなことよりも……柴田さんよ! 誠一さんから、あなたの話はよく聞いていたけど、想像と全然違っていて驚いたわ」
どんな想像をしていたのかと、聞こうとしたがやめる。惨めになりそうだ。そんな私に構うことなく、美波はいう。
「だって、獣みたいにどこでも突っ込んでいく人だっていうんだもの」
美波がクスクス笑っていた。どうせそんなことだろうと思っていたが、深いため息しか出ない。
「自分でも直さなきゃって思うんですけど、なかなか……」
やっぱり、人はそう簡単には変われないと、痛感している。
「あら。直す必要なんてないんじゃない」
これまでずっと軽い口調だった美波は、真剣な眼差しでそう言った。私は目を瞬かせる。あまりに、はっきりと、当たり前のように言うから、拍子抜けして目を瞬かせることしかできない。そんな私に、美波はまたきれいな笑顔を見せてくる。
「私は、いいなぁって思う。私も柴田さんのようになれたら、よかったのになって。嫉妬しちゃいそうよ」
「え……こんな私のどこがですか?」
私の方が美波に嫉妬しそうだと口を滑らせそうになって、慌てて口を噤む。そんな私に美波は目を細める。
「だって、誠一さんを、変えちゃえるほどのパワーを持っているんだもの」
身に覚えがなさ過ぎて、首を傾げることしかできない。
「兄が亡くなってから、定期的に報告会っていうのを、誠一さんとやってるの。その時は、真面目な話で終始するんだけど、ここ最近どう? あなたの話ばっかりよ。更には、彼が感情的になったりしてるところ、今まで一度も見たことなかったのに、焦ったり、怒ったり。誠一さんの変化には、本当に驚かせれっぱなしよ」
「それは、私がとんでもないことを仕出かすから、迷惑をかけているだけであって……別に変わったとかそういうんじゃなく、仕方なくというか……」
そんな私に美波は「なんか悔しいから、これ以上教えてあげない」一言だけ言って、きれいな唇を引き結んで、ぷいっと横を向いてしまっていた。
どうして私に悔しいなんていうのか。まったく理解できない。
美人で、性格もよくて、頭もいい美波だ。私なんか彼女が考えていることなんて理解できないのかもしれない。灰本さんとやはり、同じような凛としたオーラも放っているし。やっぱり、二人はお似合いだなと、思う。
しばらくの沈黙の後、美波は静かに息を吐いた。
「そういえば依頼のことなんだけど」
天真爛漫だった少女のような空気が引き締まって、大人の顔になっていた。私も気を引き締める。
「晒す相手が、未成年であっても、徹底的にやってほしいの」
「未成年?」
「樹里さんは、結婚していて、高校生の子供がいるのよ」
「じゃあ、今回の依頼は、お子さんがらみの案件ということですか?」
美波のがピリッとした冷たさを纏いながら、頷いていた。
「私もあったことあるんだけどね……。翼くんっていうの。都内の優秀な高校に通っていて、素直でいい子なの。だけど、今は入院していてね……意識がないの」
悲し気な顔をしてそういったところで、駅に到着していた。
私へ向き直った美波は、今度は仕事ができる女性になって、頭を下げていた。
「じゃあ、また。依頼のこと、よろしくお願いします」
「はい。心してお引き受けいたします」
私も深々と頭を下げると、また少女のような笑顔に戻して、彼女は改札の方へと消えていった。
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