第10話 忠告


「灰本さん、そんなにお節介なタイプじゃないでしょ」

「俺だって、わざわざそんな忠告するだけのために、来たくなかったさ。だが、お前のせいで、クレームが入ったんだよ」

「クレーム?」

「大久保聡。お前の大学の同級生」

「大久保から、連絡がきたの?」

「柴田が何かを企んでいるようだ。変なことを柴田へ吹き込んだのか。このままだと、取り返しのつかないことになりそうな雰囲気がある。やめるように説得してほしい。もし止めることに成功したら、報酬はいくらでも払う。しかし、このメールを無視して、彼女を放置したら、一生あなたを許しません。地の果てまで追いかけます。そんな粘着質な内容だ」

 大久保がそんなことを。意外過ぎて、声が出なかった。

 灰本は、射抜くように睨んできた。


「返り討ちに合うからやめろと、俺は言ったはずだ」

 首元にナイフを突きつけられているような鋭利さを含んだ声だった。灰本の素が前面に出ている。

 だが、私は怯まない。

 

「誰かがやらなかったら、犯人はずっと捕まらない。この先も人を傷つけ続ける。やりたい放題。傷ついた人は、一生消えない傷を抱え続けなきゃいけないっていうのに、危害を加えた相手は、毎日普通に楽しく暮らしている。そんなこと許されていいの? 私は絶対に許せない。そんな理不尽な世の中で、あっていいはずがない。情報は、時間が経てばすぐに消えてしまう。警察犬と一緒。犯人の痕跡がまだ残っている今ならば、そいつに辿り着けるかもしれない。私は、このチャンスをどうしても逃したくないの」

 灰本の暗く冷たい視線だ。それが、ずっと胸の奥底に封印していた暗い影を疼かせる。

 それに感付いたのか。灰本は更に刺激するように尋ねてきた。


「この事件は、自分自身被害を被ったわけではない。お前の友人の話だろう? 他人のためにどうして、そこまでする?」

 灰本は、ピクリとも睫毛を動かすことはなかった。ただじっと、こちらを見据えているだけだ。

 何も読み取れない瞳の前で、こんな話したくもないのに、どうしても溢れた。

 

「五年前。私は、妹を亡くしました。自殺でした」

 一度決壊してしまった堤防から、どんどん流れてくる。もう止まらなかった。

「自殺の原因は、いじめでした。私は、妹から一度相談を受けていました。『実は今学校で、嫌なことがあるんだ』当時、妹は中学三年生。中学卒業まで、半年を切っていた。だから、私は言いました『あと少しで卒業して、新しい学校へ行けるようになる。環境変わるんだから。がんばれ』と。それから、一週間後。妹は自殺しました」

 手が震えて、心臓が痛くなる。声が震えそうになるのを、必死に押し殺す。

 灰本は、やはり無表情のまま。なんの感情も見えなかった。

 

「いじめていた奴らは、後悔なんて微塵もしていなかった。大人から責められることさえも、なかった。ずっと、何事もなかったように笑って、卒業していきました。私は、そいつらも、大人たちも、自分自身も、許せませんでした。あの時、妹が縋ってきた手を、しっかりと握ってやっていたら。あと少しだから我慢しろなんて言わず、その場で立ち上がって、いじめていた奴らのところに乗り込んでいたら。きっと、こんな取り返しのつかないことには、なっていなかった」

 あの日、うんざりする程感じた、全身焼けるような痛みが、全身を覆っていく。 世の中平等なんて、誰が言った。理不尽だらけじゃないか。真面目に、善良に生きていても、ある日突然現れた悪を前に、泣き寝入りしかできないなんて。そんなこと、あってはならなかったはずだ。

「家族と絶縁したっていうのは、妹の自殺が原因か」

「両親は、加害者に何も言いませんでした。もう何を言っても遅いと言って、あきらめた。両親は、自分たちが受けた傷なめ合って生きていこうと決めたようです。私は、そんな二人のようになりたくない。あの時のような過ちを、二度と犯したくないんです。繰り返しては、いけない」

 宵闇に流れる重苦しい沈黙を、灰本は鼻で笑っていた。

 その態度は、意外でもなんでもなかった。予想通りといってもいい。

 私の指先、心臓、髪の毛までも冷えてきっていた。

「それで、暴走か。前に、ストッパーのない瞬間湯沸かし器だといったが、名前を変えよう。ただの暴走列車だ」

「何とでも、どうぞ。私は、止まる気はありません」

「自分がどうなろうが、犯人さえ捕まえられれば、それでいい。それが、妹への償いとでも思っているのか。阿保すぎて、話にならない」

 そんな挑発に私は、乗らない。固く口を引き結ぶ。

 

「暴走列車は、乗客を巻き込む。暴走した列車の車体であるお前はいいだろう。それが本望だからな。十分、自己満足感に浸れるだろう。だがな、その乗客と、見ている人間にまで、被害が及ぶ。それが、わからないのか?」

 灰本の鋭い声で、絶対に止まらないと決めていた一直線のレールが、いきなりカーブし始める。

 でも。それでも、私はスピードを緩めない。

 緩めるつもりなんかないのに。

 目の前がぼんやりして見えなくなる。


「俺に連絡してきた大久保は、サラシ屋を紹介しなければよかったと、思い続けるだろう。被害に合った亜由美という子は、自分のせいで、お前まで傷つけてしまったと、泣きっ面に蜂状態。それだけじゃない。大学の友人の松本春香もそう。情報をお前にやってしまったせいで、こんなことになってしまったと、お前と同じような後悔を一生背負うことになる。さっきの店長もそうだ。お前が無駄に流した血は、周りの人間へ返り血となって飛び散り、呪いにかかる。その呪いは、一生消えることはない。お前が受けた同じような痛みを、味わうことになる。お前は、それでいいのか?」

 灰本は、淡々という。

 

 目の奥が細い針で、深く刺されたように鋭い痛みが走った。

 そこから、みんなの悲しい顔が浮かんで、水が湧き上がってくる。

 あの日の痛みが甦る。妹がなくなった日、涙が枯れるほど泣いた。もう一生分の涙を使い果たしたと思えるほどだったのに。水がどんどん、眼の淵にたまって、零れ落ちていく。


 自分の嗚咽が他人の物のように聞こえた。周囲に響く情けない声が、胸を掻きむしるほど頭にくる。

 それでも私は、止まるわけにはいかない。

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