第二章⑨

 三十分後、よれよれになった朝比奈さんが戻ってきた。うわぁ、本物のウサギみたいに目が赤いやあ、なんて言ってる場合じゃないな。あわてて俺はゆずり、朝比奈さんはいつかみたいにテーブルにして形のいいけんこうこつを揺らし始めた。える気力もないらしい。背中が半ば以上も開いてるから目のやり場に困る。俺はブレザーを脱いでふるえる白い背にかけてやった。めそめそ泣く少女とノーリアクションの読書好き、こんわくするこしろう(俺のこった)がふん最悪の一室で無言のまますごす時間……。遠くで鳴ってるブラバンの下手くそなラッパと野球部のめいりようり声がやけによく聞こえた。

 俺が今日の晩飯は何だろうなとかどうでもいいようなことを考え出したころになって、ようやくハルヒが勇ましくかんした。第一声、

「腹立つーっ! なんなの、あのバカ教師ども、じやなのよ、邪魔っ!」

 バニー姿でおこっていた。だいたい何が起こったのかわかる気もするが、一応いてみよう。

「何か問題でもあったのか」

「問題外よ! まだ半分しかビラまいてないのに教師が走ってきて、やめろとか言うのよ! 何様よ!」

 お前がな。バニーガールが二人して学校の門でチラシ配ってたら教師じゃなくとも飛んでくるってーの。

「みくるちゃんはワンワン泣き出すし、あたしは生活指導室に連行されるし、ハンドボールバカの岡部も来るし」

 生活指導担当の教師も岡部担任もさぞかし目が泳いでいたことだろう。

「とにかく腹が立つ! 今日はこれで終わり、しゆうりよう!」

 やおらウサミミをむしり取ったハルヒはそれを床にたたきつけると、バニーの制服をごうとし、俺は走って部室を後にした。

「いつまで泣いてんの! ほら、ちゃっちゃと立って着替える!」

 ろうかべにもたれて二人の着替えが終わるのを待つ。しゆつきようというわけではなく、ハルヒは自分たちのはん姿が男にどういうえいきようあたえるかがまったく理解出来ていないのだろう。バニーガールのコスプレもせんじよう的なところに着目したからではなくて、単に目立つからにちがいない。

 まともなれんあいが出来ないはずである。

 少しは男の、少なくとも俺の目くらいは気にかけて欲しいものだ。づかれすることこの上ない。朝比奈さんのためにも、そう願わずにはいられない。それにしても……長門も少しは何か言ってくれよ。

 やがて部室から出てきた朝比奈さんはすべり止めにすら引っかからずすべての受験に失敗した直後の三ろう生のような顔になっていた。かける言葉が見つからないので黙っていたら、

「キョンくん……」

 深海にしずんだごう客船から発せられるぼうれいのような声が、

「……わたしがおよめに行けなくなるようなことになったら、もらってくれますか……?」

 何と言うべきか。て言うか、あなたも俺をその名で呼ぶのですか。

 朝比奈さんは油の切れたロボットの動きで俺にブレザーを返した。胸に飛び込んで泣いてくれたりするのかなとらちなことをいつしゆん考えたのだが、彼女は古くなった青菜のようにひしゃげきったおもちで歩き去った。

 ちょっと残念。


 次の日、朝比奈さんは学校を休んだ。



 すでに校内にとどろいてた涼宮ハルヒの名は、バニーさわぎのおかげで有名をちようえつして全校生徒の常識にまでなっていた。それは構わない。ハルヒのこうが全校に知れわたろうがどうしようが俺の知ったことではない。

 問題は涼宮ハルヒのオプションとして朝比奈みくるという名前がささやかれることになったことと、周囲の奇異を見る目が俺にまで向いているような気がすることである。

「キョンよぉ……いよいよもって、お前は涼宮とかいな仲間たちの一員になっちまったんだな……」

 休み時間、谷口があわれみすら感じさせる口調で言った。

「涼宮にまさか仲間が出来るとはな……。やっぱ世間は広いや」

 うるさいな。

「ほんと、昨日はビックリしたよ。帰りぎわにバニーガールに会うなんて、夢でも見てるのかと思う前に自分の正気を疑ったもんね」

 こちらは国木田。見覚えのあるわらばんをヒラヒラさせて、

「このSOS団って何なの? 何するとこ、それ」

 ハルヒに訊いてくれ。俺は知らん。知りたくもない。仮に知ってたとしても言いたくない。

「不思議なことを教えろって書いてあるけど、具体的に何を指すの? そんでつうじゃダメって、よく解らないんだけど」

 朝倉涼子までがやって来た。

おもしろいことしてるみたいね、あなたたち。でも、こうじよりようぞくに反することはやめておいたほうがいいよ。あれはちょっとやりすぎだと思うな」

 俺も休めばよかった。



 ハルヒはまだ怒っていた。ビラ配りをちゆうで邪魔された怒りもさることながら、今日の放課後になってもまるっきりSOS団あてのメールが届かなかったからである。一つ二つは悪戯いたずらメールが来るんじゃないかと思っていたのだが世間は思いのほか常識的であった。おおかたみな、ハルヒにかかわるとめんどうくさいことになりそうだと考えたに違いない。

 空っぽのメールボックスをまゆを寄せてにらみながらハルヒは光学マウスをり回した。

「なんで一つも来ないのよ!」

「まあ昨日の今日だし。人に話すのもためらうほどのすげえなぞ体験なのかもしれんし、こんなさんくさい団を信用する気になれないだけかもしれん」

 俺は気休めを言ってやる。本当はだな、

 何か不思議な謎ありませんか。はい、あります。おお素晴らしい、私に教えてください。わかりました、実は……

 なんてことになるわけないだろう。いいか、ハルヒ。そんなもんはマンガか小説の物語の中にしかないんだ。現実はもっとシビアでシリアスなんだよ。県立高校の一角で世界が終わってしまうようないんぼうが進行中とか、人間外の生命体がかんせいな住宅地をはいかいしてるとか、裏山に宇宙船がまってるとか、ないないない、絶対ないって。解るよな? お前も本当は理解してるんだろう? ただもやもやしたやり場のない若さゆえのイラダチがお前をけた行動に導いているだけだよな。いい加減に目を覚まして、だれか格好のいい男でもつかまえていつしよに下校したり日曜に映画行ったりしてろよ。それか運動部にでも入って思い切り暴れてろよ。お前ならそくレギュラーでかつやく出来るさ。

 ……と、もっともらしく説いてやりたいのだが多分五行くらい話したあたりでてつけんが飛んでくるような予感がしたのでやめておいた。

「みくるちゃんは今日休み?」

「もう二度と来ないかもな。可哀かわいそうに、トラウマにならなければいいのだが」

「せっかく新しい衣装を用意したのに」

「自分で着ろよ」

「もちろんあたしも着るわよ。でも、みくるちゃんがいないとつまんない」

 長門有希は例によってはくな存在感とともにテーブルと一体化していた。別に朝比奈さんにこだわらず長門をえ人形にすればいいのに。ってのもあまりよくないが、それでも泣き虫の朝比奈さんとちがって長門は言われたとおりにたんたんとバニーガールの衣装を身につけるような気がするし、それはそれで見てみたいような気もする。

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