桜並木でお狐と

南部りんご

2024年、12月

第1話 ビルの間を滑走デート

 12月の平日、午前0時、霞が関。

 公僕の神部かんべ千歳ちとせは、今日も15時間働いて、職場の門を出た。


「あー、疲れた! 頑張った!!」


 千歳は足早に駅に向かう。終電間近は電車が混むのだ。おまけに、コートから出た足はストッキング一枚で、防御力は皆無だ。めちゃ寒い。

 うつむき加減で速歩すると目的地が見えてくる。地下鉄の入り口だ。

 その近くに、見知った姿を見つけた。

 見事な金髪に、ジーパンとボアジャケット。オフィス街よりも繁華街が似合う風貌の青年が、千歳を見つけて顔を綻ばせる。


「千歳。お帰り」

よう? どうしたの?」

「迎えに来た。一緒に帰ろう」


 葉から差し出された手を、千歳は少し躊躇ってからとる。どうせもう、人通りはほとんどない。

 そのまま地下鉄に入るかと思ったら、葉は手を繋いで歩き出す。


「混んでいる電車で帰ることはないな。跳んで行こう」


 葉が楽しそうに言う。

 千歳は聞き間違いだと思って聞き返した。


「え、何て?」


 しかし葉は応えず、千歳をビルの影に連れていった。次の瞬間、千歳は大きな獣の背に乗せられ、ビルの上に飛び上がっていた。

 ゆうに15メートルはあろう、金色の毛並みを持つ獣。

 その毛並みは、夜景の光を受けて輝いている。


「葉!!」


 千歳は体の下にいる獣に向かって叫び、必死にしがみつく。


「心眼の濁った人間には見えないさ。ちゃんと掴まれよ」


 言われなくても、そうするとも。

 獣は、ビルの上を跳んでいく。

 不夜城と呼ばれる官庁のビル、硬く冷たい城のような国会議事堂、終電を逃した会社員を待ち構えるタクシーの赤いテールランプの群れ。

 それらがどんどん遠くなって、光の洪水に埋もれていく。ものすごい勢いなはずなのに、何故か風はほとんどない。

 15連勤でハイになっていた千歳は、それを見て笑ってしまった。


「すごいね、葉。速い! アトラクションみたい!」

 

 終わらない仕事も、まだ残っているだろう上司も、今はみんな足元だ。爽快な気分だった。

 獣は、大きな口を吊り上げた。葉が微笑んでいるのだと分かった。


「新妻との逢瀬にぴったりだろう?」


 千歳は訂正する。


「まだ結婚してないでしょ」

「『まだ』、だろ」


 間髪をいれず言い返されて、千歳はぐうの音も出ない。

 この狐——葉が、押し掛け女房よろしく家に居着いて、もうすぐ一年。

 一年前は、こんなキテレツな日々が待っていると思いもしなかった。


 「……ごはんが美味しすぎるんだよなぁ」


 千歳がぼやくと、葉は喉の奥をぐぅっ、と鳴らした。機嫌がいいときにやるのだ。

 千歳は、葉の毛並みに顔を埋めた。

 金色の毛は柔らかく、ぬくもりを持っていて、なんだか眠くなってくる。千歳はこっそり欠伸をした。

 

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