第19話 《side:ニコラス王子②》

 ニコラス王子は困惑していた。


 聖女テレネシアを暗殺するため、S級暗殺ギルドのボスであるボロスを送り込んだのまでは良かった。



 それなのに、なぜかボロスがテレネシアを殺さずに戻ってきた。

 しかもそれだけでなく、ボロスはニコラス王子を拘束したのだ。


 椅子いすしばり付けられたニコラス王子は、配下であったはずのボロスをにらみつける。



「なぜだボロス、なぜオレを裏切った!?」


「ニコラス王子はテレネシア様を目にしたことがありますか? あんなに美しい方はこの世でテレネシア様お一人だけです。俺は愛しいあの方のためなら、死すら怖くはありません」



 ──ボロスは何を言っているんだ?


 たしかにテレネシアはかなり上物じょうものの女だ。

 王都にいるどの美女よりも、飛びぬけて美しい。

 テレネシアをうらむニコラスですら、あの可憐な聖女を自分の手で汚すことができればどれだけ楽しいだろうと妄想したことがある。


 だがさすがに、これほどまでに無条件でれることはない。

 S級暗殺ギルドのボスとして大陸を戦慄せんりつさせたボロスが、女に落とされこうも腑抜ふぬけてしまうなんて。


 何かがおかしい。

 きっとテレネシアに、卑怯ひきょうなことをされたに違いない。



「ボロス、あの女に何を吹き込まれた? 正気に戻れ!」


「俺は正気ですよニコラス王子。なぜならテレネシア様を愛しているのですから!」


 ボロスの目は、初恋を知った少年のようにかがやいていた。

 いや、初めて信仰を知った敬虔けいけんな信徒のようでもある。



「まるでサキュバスに精を抜かれたみたいだ。テレネシアは聖女でなく、魔性ましょうの女だったか」


 ニコラスはあきれたようにボロスを眺める。

 だが、このままではいけない。


 なぜならニコラスは、ボロスに捕まっているのだから。



「ボロス、オレをどうするつもりだ?」


「もちろんテレネシア様の元にお連れするのです。我が愛しのテレネシア様に手をてを掛けようとしたニコラス様には、同情どうじょう余地よちはございませんから」



 ──つまり、教会に連れて行って、オレを殺すのだ。


 このままでは、テレネシアに殺されてしまう。

 暗殺しようとしたら、まさか暗殺し返されるなんて思いもしなかった。


 そもそも、テレネシアはいったい、どうやってボロスの魔の手から逃れたのだろう。

 さすがにボロス以上の実力を持っているとは思えない。


 となると、ボロスは色仕掛いろじかけにやられたのだ。


 寡黙な男だと思っていたのに、まさかこれほど簡単に女に惚れてしまうとは。

 だが、テレネシアはそれほどまで美しいのも事実。


 こうなるとわかっていたら、女の暗殺者を使えば良かったと後悔してしまう。




「さあ、ニコラス様。一緒に教会に行って、テレネシア様の素晴らしさを感じましょう」


 ニコラスがボロスによって、椅子ごと運ばれそうになった瞬間。


 どこからか、声がした。



「お困りのようですね」



 床の影から、何かがふくれれ上がってくる。

 その影は、人の形のようなものに変化した。



「なんだお前は……なぜオレの部屋に? いったい何者だ!」


「ククク、ちんは溶魔王フェルムイジュルク」


「魔王? まさか1000年前に封印されたあの魔王か!?」


「いかにも。テレネシアと一緒に、封印から目覚めた、しがない魔王でございますよ」




 突然のことに、ニコラスは頭が正常に働かなかった。


 なぜ魔王が生きているのか。

 なぜ魔王がオレの部屋にいるのか。

 なぜ魔王がオレに話しかけてくるのか。


 皆目見当かいもくけんとうがつかない。



「見たところ、殺される手前といったところですか。困っているなら、朕が力を貸てしんぜよう」


「な、なにを言っている?」


「朕が助けてやろうと言っているのですよ」



 魔王がニコラスに手を伸ばす。

 その時だった。


 ボロスが、魔王に斬りかかったのだ。



「俺とテレネシア様の愛をはばむものは、たとえ魔王だとしても許せぬ!」


「テレネシアへの愛…………その暴言、取り消してもらおうか。朕以上に、あの女のことを愛している者などいない!」



 ボロスの短剣が、魔王を突き刺す。

 そう思ったが、短剣は魔王の肌を傷つけることなく弾かれた。



「朕の邪魔をするなら、容赦ようしゃしません。ヘルハウンド!」



 魔王の影から、犬のモンスターが現れた。

 ヘルハウンドと呼ばれるそのモンスターは、ボロスに襲い掛かる。



「これで少しは時間が稼げるでしょう。さあニコラス王子、朕と手を組みませんか?」


「な、なぜオレの名前を知っている!?」


「朕はなんでも知っているのですよ。この二週間、城に住まう影として生きながらえてきたのですから」



 魔王がオレを拘束していた縄を解いた。

 ほどけた縄は、なぜか溶けたようにぐにゃりとしている。



「そこのボロスという男は、テレネシアの《魅了チャーム》にかかっているのです。そのせいで、あの女に忠実な部下となったのですよ」


「《魅了チャーム》? まるでサキュバスのような女だな」


「テレネシアはサキュバスよりもさらに高貴な存在ですよ。なぜなら朕の伴侶はんりょとなる女なのだから」



 まさか魔王も、テレネシアのことが好きなのか……?


 1000年前の伝承によると、勇者が魔王城に着いた時には、すでに魔王と聖女は一騎打ちをしていたという。

 だが、なぜ聖女が単独で魔王と戦っていたのかは、長年謎に包まれていた。


 それなのに、真実はこれだ。

 『封印の聖女』の伝説の真相を知ったことで、ニコラスは胸の鼓動が抑えられない。

 傾国の美女とは、まさにテレネシアのためにあるような言葉だったのだ。



「テレネシアに復讐ふくしゅうしたいのだろう? 朕はあの女が欲しいのだ。ゆえに、お前に力を貸そう」



 魔王と手を組む。

 それは、国を裏切るのと同意だ。


 いくらニコラスとはいえ、それはできない。

 王族として、そして次期国王としての矜持きょうじがあるのだから。



「朕は知っている。テレネシアが教会にいる第一王子ドルネディアスの呪いを解けば、国王は次期国王に第一王子ドルネディアスを指名すると」


「……それは本当か!?」


「本当だとも。いまは力を失っているが、朕は闇に生きる魔王。この城のことは隅々すみずみまで把握はあく済みだ」



 それが本当なら、このままではニコラスの未来はない。

 ただでさえ暗殺が失敗して、テレネシアに殺されそうになっているのだ。

 これ以上、ちるわけにはいかない。



「お前はこのまま、テレネシアに殺されるだろう。なぜならテレネシアは最強の吸血姫。数々の魔族を血に染めて来た、恐るべきヴァンパイアなのだから」



 ──ヴァンパイア?

 

 テレネシアが、最強の吸血姫だって!?


 だが、納得もできる。

 あれほどの強さは、たとえ聖女だろうとおかしいと思った。

 でも相手が人間の女ではなく、ヴァンパイアであるのなら、理解できる。

 ボロスにかけられた《魅了チャーム》も、ヴァンパイア特有の能力なのだろう。


 けれども、それが本当ならニコラスではテレネシアには何があっても勝てない。

 それこそ、転生者でもなければ打ち勝つことはできないだろう。



「教えてくれ。俺はいったい、どうすればいい?」


「朕を受け入れろ。さすれば、力を与えよう」


「…………このままあの女に殺されるのも、王位をドルネディアスに奪われるのもごめんだ」


 ニコラスは腹をくくった。


 次期国王になるためには、障害となるテレネシアを抹殺しなければならない。

 テレネシアさえいなくなれば、ドルネディアスの呪いはそのままだ。

 そうなれば、ニコラスは次の国王になれる。



「力が欲しい……あの女を殺せる力を!」



 テレネシアを殺せば、すべてが上手くいく。

 そのためなら、魔王にも魂を売ろう。



「その言葉を待っていた。ではニコラス、これを食べるのです」



 魔王は、オレンジ色の小さな塊をニコラスに差し出す。


 それは、心臓のように脈打っている謎の鉱石だった。

 ドクンドクンと動きながら、鼓動している。



「これを食えば、オレはテレネシアを殺せるんだな?」


「誰にも負けない力が、あなたに開花します。それこそ、転生者のように」



 ニコラスは迷わなかった。


 オレンジ色の鉱石を、丸呑まるのみする。


 その直後、心臓が弾けるような感覚におちいった。

 自分の心臓と、オレンジ色の鉱石が、混ざり合う。



 ニコラスの体が変化していく頃には、すでに理性は消え去っていた。



 禍々まがまがしい邪悪な姿となったニコラスを見ながら、魔王は不敵な笑みを浮かべる。



「愛するテレネシアよ、待っていなさい。すぐに朕が迎えにいくのですよ」




 ────────────────────────

【あとがき】


 いつもお読みいただきありがとうございます。


 今回はニコラス王子視点のお話でした。

 ついに魔王も登場です!


 ちょっと癖のある魔王ですが、1000年前にテレネシアに退治されたのはこういうことをしていたからでした。

 二人の因縁の再会まで、もうすぐです。

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