<24・ムサベツ。>
石田絵里名が、最終的に何処へ消えたのかはわからない。
それこそ樹海のような探せない場所まで行って自殺したのか、あるいは本人が念入りに姿を隠したのか――場合によってはそれこそ、自ら異界へ向かってこの世界から消えてしまったのかもしれなかった。
事実なのは。彼女が本当はどうなったのか、生きているのかどうかさえセキエイにはわからなかったということだろう。そして。
「彼女が消えた原因だけがわかっていた。そのアニメのファンであり、彼女に嫉妬した何者かが……彼女を攻撃して追い詰めた、ということ」
「ええ。……でも、具体的に見えない向こう側にいる敵が、誰なのかまではわからなかったんでしょうね」
結友の言葉に、縁は頷く。
「ネットの怖いところの一つです。匿名で、自分は顔を隠したまま……一人の相手を寄ってたかって叩いたり、追い詰めたりすることができる。向こうは、こちらが誰であるのかさえわからないというのに」
それこそ、何かの事件の犯人だと目された人物が、インターネットで散々罵詈雑言を投げられるのと同じ現象だ。こいつは悪いことをやった、あるいはやったに違いないと決めつけて、みんなと一緒に石を投げるのである。恐ろしいことに、そうする人間の多くは悪意でさえない。己やっていることが、皆の想いの代弁であると信じてやまないのだ。自分は正義を執行している、だから罪悪感など感じない。そうして、行動はどこまでもエスカレートしていってしまうのである。
ひょっとしたら、石田絵里名がやった行動にも、なんらかの問題はあったのかもしれない。それこそ、最初につっかかってきた人間に対して、初期対応を間違えたということはあったのかもしれなかった。あるいは、彼女も彼女で誰かの悪口を言ってしまっていた可能性もあるだろう。
しかしだからといって、本人が自殺を考えるほど追いつめていい理由になるはずがないのである。
殺人予告も、本名と顔を特定するのも(特定されるような情報を絵里名が迂闊に出してしまっていたのだとしてもだ)、それを拡散して犯罪を煽るのも。ちょっとアニメの解釈で行き違ったから、有名人の恋人でムカついたから――なんて動機でやっていいことではないだろう。
「絵里名さんを探したい。同時に、彼女を追い詰めた犯人たちに罰を与えたい。でも、いくら有名なユーチューバーとはいえセキエイさんは特別な力を何も持たない一般人でした。だから、力を持つ人間を……その方法を知っているであろう人間を探していたのでしょう。そして、ジュリアン早智子、貴女に辿りついた」
すっと、眼を細める縁。
「貴女もまた、自分の持っている力を試したいと思っていた。自分の力と言葉で、人がどのように踊り、運命を歪めていくのか実験がしたかった。……まさに破れ鍋に綴蓋といったところでしょう。影響力のあるユーチューバーであり、己の力を希求する者。貴女の願いと、セキエイさんの望みはまさに一致していた」
「ふんふん、それで?」
「だから貴女は、彼の願いを叶える儀式を作り、与えたのでしょう。……でも昔と違って今は霊的脅威対処法があります。本当に危ない儀式だと分かっていて広めた人間は法の裁きが下ることになる。目的を叶えるまでは、セキエイさんとて捕まるわけにはいかなかったはず。だから、少々遠回りがしたかった。貴女はそれに賛同し、儀式を……別の人間を使って広めさせることにしたのでしょう。それがたまたま、貴女に相談しにきていた柴田伊知朗さんだったというわけです」
話が繋がっていく。まるで、パズルのピースをぴたり、ぴたりと嵌めていくかのように。
ああ、どうして気づかなかったのか、と結友は悔やむ。セキエイが怪しいと思われる材料など、最初から揃っていたではないか。少なくとも、わざわざ縁が“長く動画投稿を休んでいた理由”をセキエイに訊いた時点で、どうして自分は違和感を感じなかったのだろう。
ジュリアン早智子の能力のほどはともかく。これに近い推理になら、結友だって自分の力で至れたかもしれなかったというのに。
「……本来なら、そのまま柴田さんの力だけで儀式をじわじわ広めていきたかったのでしょうね。ほどほどのところで柴田さん本人もエレベーターの儀式を試すことで消せれば……死人に口なし、で自分に疑いがかかる可能性もそうそうなかったはず、と。ところがどっこい、ここで誤算が生じた。柴田さんが例のアニメをろくに知らなかったこと、ジュリアン早智子、貴女がそれを勘違いしたこと。そして、柴田さんが大型掲示板に書き込んだだけでは、大した人数を異界に引き込むことができなかったこと」
「だから、結局……その書き込みをセキエイさんが見たってことにして、セキエイさん自らが動画を作って広めようとしたわけですか」
「その通り。それは確実に功を奏して、非常に多くの人間に儀式を周知させ、爆発的に広めることに成功しました。まあ、その結果……本来掲示板を見た“だけ”のセキエイさんなら知る筈もない情報を口走ってしまって、僕に疑われる羽目になったわけですけどね」
彼の目的は、絵里名を殺したであろう人物に罰を与えることだったのだろう。
だが、その相手が誰なのかわからない。しかも一人ではない。わかっているのはただ、『悪役令嬢に転生したはずが、遠い国の双子の王子様に愛されまくって困っています』という作品の熱烈なファンであったこと。恋人を持っていて幸せそうな絵里名に嫉妬するほど、リアルでの悩みを抱えていた人物であること。そして、恐らくはその人間たちの多くが、セキエイのファンであっただろうということだけだった。
だからセキエイは。条件に一致する人間“すべて”を異界に連れ去り、惨たらしい罰を与えることにしたのだろう。
己の恋人を死に追いやった者達どころか、全く無関係な人間さえ全て巻き込んででも。
「なんで、そこまで……」
結論に辿りついた瞬間、結友は眩暈を覚えた。
「た、確かに……愛する人が追い詰められていって、殺されたかもしれなくて。それで、傷つくのはわかります。復讐したいと思う気持ちも。だからって、まったく関係ない人達も全部巻き込んで殺してしまえばいいなんて……どうしてそういう発想になるんですか!?」
それ以前に、何故。アニメの解釈でぶつかったから、二次創作でトラブルになったから、恋人がいてムカついたから――そんな理由で人を死ぬほど追いつめることができる人間がいるのかも理解できない。そりゃ、癪に障ると思う時もあるのだろう。でも、だからって犯罪に走っていい理由になどならないではないか。
刑事として。否、刑事になる前からも、人の闇なら見てきたつもりだった。それでも、こうして突きつけられると理解が追い付かなくなってしまうのである。
人間とは、なんだ。何故、“そんなこと”で、そこまで惨い真似ができてしまうのか。
「誰かを攻撃したって本当の意味で気持ちが晴れることもないし、死んだ人だって帰ってくるわけじゃないのに……」
「そうですね」
結友の言葉を、縁は静かに肯定する。
「そんなこと、みんなわかってるんでしょうよ。セキエイさんも、それ以外の人達も」
「え」
「でもね。わかっていても、他に想いが持っていきようがない時があるのが人なんです。死んだ人はそんなこと望んでないかもしれない?相手が消えたって自分の望む世界が手に入るわけではないかもしれない?そんなことわかりきっていても……復讐しかない、それ以外に寄る辺のない人がこの世にはいます。どれほど不毛でも、意味が無くても、己を破滅させるだけであっても。……理性だけで未来に向かえるほど、人は強い生き物ではないのだから」
何かを噛み締めるような、悟るような声。結友は何も言えなくなってしまった。彼もまた、けして裁けぬ相手を憎いと感じ、殺してやりたいと願ったことがあったのだろう。弟を奪った全てを、己を、全部壊れてしまえと叫んだことがあったのではないか。
その果てに今、刑事としてこの場所にいることを選んでいる。
犯罪者の気持ちや、どうしようもない悪意に溺れる気持ちが、どうしても想像できてしまうのかもしれなかった。
「……セキエイさんは、一度自分で儀式を試したのでしょう。そして帰還に成功した。だから、儀式の参加者以外、たまたまエレベーターに同乗しただけの人間は一緒に転移することなどないということを知っていたのでしょうね」
で、と縁は言葉を続ける。
「そうした目的の一つは、異界に石田絵里名さんがいたかもしれないと思っていたからなのでしょうが。実際そこは、どうなのです?」
「確かに、彼女もまたなんらかの儀式を試して異界へ行った可能性が高いわ。夜中に消えたとはいえ、痕跡がなさすぎるもの。自宅のマンションでなんらかの儀式を試してそのまま、ってことなんだとあたしも思ってるわよ。ただ」
「ただ?」
「何の儀式をしたかまではあたしにはわからなかったし、何処の異界に消えたのかまではちょっとね。あたしは一番近い異界へ行く方法を彼に指示したし、正しく現世へ帰還する方法も教えたけれど。だからって、その人が見つかる保証まではないわ。ちょっとズレた別の異界に行ってしまったのかもしれないし」
早智子は肩を竦めて、あっさりとのたまう。
「それでも、彼は何度もひそかに儀式を試して、彼女を探し続けるのでしょうね。動画がなくなっても、情報を拡散する方法はあるし……愛する人を追い詰めた者達を儀式で消し続けるのと同時並行で、本当にそこにいるかもわからない人を求め続ける。……いくら生きて帰って来られたとしても、何度も異界に踏み込めばそれだけで精神が侵される。心が人ではなくなってしまうというのにね」
結友はぞっとして言葉を失った。早智子の眼に宿っているのは、どこまでも楽しそうな色でしかない。彼女はそうやって、セキエイが破滅していくのがわかっていながら“力”を与えたのである。
そうやって、己の言葉によって人の運命が歪んでいくのを見るのが楽しいから。退屈凌ぎになるがゆえに。
「僕も狂ってますけどね。それでもまだ、貴女の行為がクソだってわかる時点で、まだ人間やれてんなと思いますよ」
縁が吐き捨てると、早智子は心底楽しそうに“それは最高の褒め言葉ね”と笑った。
「それで、どうするのかしら?もう銃弾は放たれてしまった。その一撃が砕けるまで止まることはないし、もはや数の多すぎるその銃弾すべての排除も不可能よね。銃を作って授けた、あたしという製作者の権限でももう止められない、止まらない。……あたしを逮捕したいというのなら、逮捕状でもなんでもお好きにどうぞ?でも、それで今回の事件が解決するわけじゃないのはわかってるでしょう?」
にいい、と。三日月型に、美しい老女は眼を、口を歪める。
「さてさてさあて?どうするのかしらね、貴方たち、正義の味方サンたちは」
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