第6話【角仙鬼】
◆第六章
およそ千年前、この辺には
角仙鬼の
当時は妖将官という職業もなく、角仙鬼に抵抗する手立てなんてなかったから、一種の災害だね。
でも村人と角仙鬼は、いつしか折り合いをつけていった。
半年に一度、村人は一定の作物と家畜、そして妙齢の娘を一人。角仙鬼に差し出す取り決めになったんだ。そのかわりに角仙鬼も、半年に一度しか村に下りてこないことを約束したんだ。
それからしばらくは、共存できていたみたいだよ。
でももちろん不作の年もあれば、家畜がうまく育たない年もあった。それに子どもが生まれても、栄養失調や疫病ですぐに死んでしまうような時代だった。だからそれらを角仙鬼に差し出すことで、村人の生活はひどく圧迫されていたんだ。まあ、そのおかげで角仙鬼の脅威に怯えることはなくなったわけだけどね。
村人たちは角仙鬼を根絶やしにできないかと、画策するようになった。当然といえば、当然の思考だね。
そして何十年もかけて、角仙鬼を死に至らしめる毒の開発に成功したんだ。
しかしその毒は、作物や家畜に仕込むことはできなかった。それらはその毒に耐えられず、すぐにダメになってしまうからね。
どうしたと思う?
そう。ご明察。
その毒は、妙齢の娘に仕込むことになったんだ。
ぞっとする話だよね。
でも一昔前は、どの地方にも
そしてその日はやってきた。
妙齢の美しい娘は、作物や家畜とともに角仙鬼に奪われていった。
結果として半年後、角仙鬼は村に訪れなかった。
その半年後も、またその後も。
紅娘山を棲家としていた角仙鬼は全滅したのかも知れない。村人がそう考えるのは必然だった。
そして村人は、いよいよ紅娘山に足を踏み入れることにしたんだ。
紅娘山の角仙鬼の棲家とされていた場所には、一体の鬼もいなかったそうだよ。
そこには角仙鬼だったものの残骸が、ぽつぽつあるだけだった。
でもそこには、あの娘がいたんだよ。
毒を仕込まれた美しい娘がね。
その娘はやせ細った腕で、ツノの生えた赤子を抱いていたそうだよ。
それを見つけた村人は、心底驚いただろうね。
その娘は毒に耐えて、一年以上も生きていたわけだからね。
でもこの場合、その娘が生きていたのは酷だったようにも思えるね。
保護された娘は、全身を毒に侵されたせいか、それとも精神的なショックのせいか、ほとんど正気に戻ることはなかったそうだよ。
まるで目覚める前の君のような、歴代の角仙娘のような、そんな状態だったと聞いている。
そしてその娘は、二十歳になる前に死んだんだ。
長い時間をかけて、その毒が回ったんだろうね。
彼女は最期、この子を大切に育ててくれと、そう言い残したそうだよ。
それが角仙娘の始まりといっていいだろうね。
村人はその娘のいった通り、ツノの生えた子を大切に育てた。
それもう、ほとんど神のような扱いでね。
鬼の子が、神の子のように育てられるなんて、なんとも因果な話だよね。
でもこの世界は、そんな風にできているんだよ。
村人は鬼の祟りを畏れたんだろうね。
でもそのツノの生えた子は何才になっても母親と同様に、ほとんど意識が芽生えないまま、二十歳になる前に死んでしまったんだ。
角仙鬼の毒を宿した母体から生まれた鬼の子だから、その影響だったのかも知れないね。
そしてその遺体は、紅娘山に祀られることになったんだ。
つまり初代角仙娘の遺体は、今も紅娘山に祀られているんだよ。
そして初代角仙娘が死んで数年ののち、再びその一族にツノの生えた娘が生まれたんだ。
それを目の当たりにした村人たちは、角仙鬼の祟りであると震え上がっただろうね。角仙鬼を全滅させることには成功したけど、その一族はしっかりとその呪いを受けてしまったわけだ。
角仙娘は村人の恩人の忘れ形見であり、角仙鬼たちの呪いの姿そのものなんだ。
だからその一族は必然的に村人に
あとは君が知っている通りだよ。
歴代の角仙娘たちはどれだけ大切に育てられても、自我らしいものを持たず、二十歳前には死んでいったんだ。
◇
「角仙鬼を殺す毒を仕込まれたのは、朝比奈家の少女だったんですね」
硯利の話が終わった後、私は小さく息を吐いた。
「そういうことだね。そして、その毒を作ったのは黒瀬家の者だったんだ。だから両家は、この辺では絶対的な権力を握るようになった。そして角仙娘の世話は、次第に黒瀬家の特権になっていったんだ」
「それは、毒を作った黒瀬家への罰であるとか、そんな理由なんでしょうか」
「それもあるかも知れないけど、結局は罪悪感だと思うよ。少し話が逸れるけど、黒瀬にも、罰みたいな因習があるんだ。よくある話なんだけどね。黒瀬家は双子が生まれると、間引くことになっているんだよ」
間引き。つまり片方の子どもを殺すわけである。
「初代角仙娘が亡くなる数日前に、黒瀬家には双子が生まれたんだ。それ以降、黒瀬家の双子はよくないとされるようになったらしい」
「それだけの理由で、ですか」
「そう、それだけの理由だよ。でも昔の人は
「双子を間引くのは、今もそうなんですか」
私は思わず眉をひそめた。
「さすがに今はそんな時代じゃないよ。でも、その名残りは存在してるね。双子が生まれると、いずれかを養子に出すんだ。でも黒瀬家の歴代の双子は、どういうわけか優秀な者が多くてね。黒瀬家の資産を大きく増やしたり、妖将官として大きな手柄を上げたりしてるんだ。そして例外なく、影彦も優秀だ」
硯利は妖術書を読んでいる影彦を見つめた。
「影彦も双子なんですか」
「そうだよ。正確には、双子だったというべきかな。影彦は双子として生まれたけど、片方の子は生まれてすぐに死んでしまったんだ。それは少なからず、今も黒瀬家の傷になっているよ。いずれ養子に出されていたかも知れないけど、赤子が死ぬなんて悲しすぎるよね。しかも双子の片方が、自分から間引かれるように死んでしまうなんてさ」
「その子は、なぜ死んでしまったんですか」
「一言でいえば、事故だよ。双子の世話役が、夜泣きのひどい影彦をあやしている間に、その子は寝返りを打って、うつ伏せになっていたんだ。そしてそのまま、窒息死してしまったんだよ」
それは硯利がいうように悲しい事故だった。
「当然だけど、影彦の両親はひどく落ち込んだそうだよ。上手く気持ちの整理ができず、影彦が幼い頃はほとんど世話役に任せきりだったみたいだね。それに影彦は神童と呼ばれるほどには出来た子どもだったから、余計に辛かったのかも知れないね。二人いたはずなのに、って。その影響なのかはわからないけど、影彦は自分が優秀であることを認めようとしないんだ。妖術書を学ぶことも、故意に避けてるように、僕には見えていたよ。だから影彦があんな風に真剣に妖術書を読んでいるのは、本当にめずらしいことなんだ。そして、人に懐くこともね」
「魔性のおかげですね」
私はそういって、自分のツノに触れた。
「君の魔性の性質なんだけどね。抜刀できる者と、黒瀬家の者には、完全に無効であることは確認済みなんだ。だから影彦は単純に、君を好きなんだと思う」
出会い頭に胸ぐらを掴まれたわけであるが、好かれているならありがたいことである。
「魔性の力は、角仙娘の世話をしてくれる黒瀬家の人に一番必要だと思うんですけど。そういうわけでもないんですね」
「さっきもいったけど魔性の力がなくても、黒瀬家の者は角仙娘に強い罪悪感があるからね。角仙娘の世話をするのは当然だし、名誉なことだと思っているよ。それに黒瀬家に魔性が効かないのは、よくできた仕組みだと思うね。適当な従者に数日ほど角仙娘の世話を任せた時には、角仙娘から離すのに苦労したって話もあるくらいだからね」
育てた命に情が湧くのは当然で、さらに魔性の性質があればそれも強固になってしまうのかも知れなかった。
「君が今、両親と会えないのもそのせいだと思っていいよ。君は目覚めたけど、ツノは落ちていない。そして角仙娘の御神体が祀られている紅娘山には凶兆がでた。その不可解さが、大人たちを慎重にさせているんだよ」
「ツノが残っていることは、私が思っている以上に不可解な事象なんですね。私はもっと、自分の呪いについて知りたいと思います。角仙娘である私にしかわからないことも、あるかも知れないので」
私がいうと硯利は「へぇ」と口角を上げた。
「角仙娘の呪いを知りたいなら、この辺の郷土資料を読むのが近道かな。朝比奈邸内には書庫があるだろ。一度見てみるといいよ。もしかしたら、意図的に隠されているかも知れないけどね」
「それは、どうしてですか」
「僕が話した内容は、あまりにも残酷だからだよ」
たしかに
「そしてその残酷な話よりも、もっと残酷な真実があるかも知れないからね」
◆
「硯利となに話してたんだ」
洋館から出ると、影彦はいった。
影彦は妖術書から顔を上げると「検査が終わったなら帰ろう」と、飄々といった。
硯利はそんな影彦の態度には慣れてる様子で「うん、また来るといいよ」と、私たちを玄関まで見送ってくれた。
「この辺の逸話とか。角仙娘の呪いの話をしてくれた。薄々そんな気はしてたけど、私はまだ呪われてるんだと思う。だから私は、自分の呪いも知りたいし、凶兆がなんなのかも知りたいと思ってる。自分と無関係だとは、あまり思えないから」
私はそういって紅娘山を見つめた。
影彦は紅娘山を見つめて「凶兆か」と、小さくいった。
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