野良猫の砂子
ゴオルド
猫だって恋はうまくいかない
私が借りている駐車場には、メスの野良猫が居着いている。もう何年もいる。
濡れた砂浜みたいなグレーがかった茶色い猫なので、私は勝手に
ある時期、砂子は2匹の子猫をつれて行動するようになった。きっと自分の産んだ子だろう。駐車場で野鳥を捕まえては、子猫に与えていた。
子猫たちはいつのまにかいなくなり、砂子はひとりで駐車場を仕切る生活に戻った。
近くに猫が集まるコンビニがあり、保護活動をしている人たちが餌やりをしているのだが、砂子はそういうところには近づかなかった。駐車場にほかの猫が入ってくると怒って追い出し、自分の縄張りを守っていた。
人に懐かず、ほかの猫とも馴れ合わない孤高の姿が、私には気高く見えた。
余所の猫との交流が少ないおかげか病気をうつされることもなく、砂子は野良とは思えないほど毛づやもよい。目やになどつけているところなんて見かけたことがなかった。強く、孤独で美しい猫だ。
よく晴れた日には、洋なし型の置物のようになって駐車場の日の当たるところに座って目を閉じている。おなかの毛がそよ風にふわふわして、顔もいつもより優しい。孤高のハンターの穏やかな休日といった感じだ。とても尊いものを見たような気がして、私は思わず手を合わせて拝むのだった。
あるとき、白くてむちむちしたオス猫が駐車場に出入りするようになった。
私はその猫を
私は少しがっかりした。孤高の女がもっちり男に媚びている。見たくなかった。いや、しかし、恋心を責めるわけにはいかない。砂子がそれで幸せなら、私は祝福すべきなのだろう。
それなのに、悲しいことに白玉は砂子のことをさほど好きではないようだった。砂子に呼ばれて駐車場に来てはみるが、砂子にべたべたされると、すぐに逃げ出してしまうのだった。
そうして、ついに白玉は駐車場に来なくなった。
白玉が来なくなると、駐車場で砂子がうるさく鳴くようになった。白玉を呼んでいるのだろう。しかし、白玉は来なかった。実をいうと、すぐ近くの民家の庭木の下に白玉が潜んでいるのを私は見かけたことがある。砂子の声が聞こえる範囲にいるにもかかわらず、白玉はもう砂子に会う気がないのだ。
あまりに長く砂子が泣き続けるものだから、私は砂子に会いにいった。
「砂子、寂しいね。今夜は私と語ろうか」
砂子は小さなお口をきゅっと閉じて、私に背を向けた。おまえなんかお呼びじゃないと背中が語っていた。
砂子はまたひとりになった。
それから2年が過ぎたころ、今度はマッチョなオスの黒猫が駐車場に出入りするようになった。
私はこの子をクロガネと勝手に名づけた。クロガネはオラオラ系とでもいうのか、砂子にぐいぐい迫っていた。しかし、砂子の好みではないようだ。砂子はもちもちした男が好きなのだ。マッチョはお呼びではないのだ。好きじゃない男に迫られて、砂子はぶち切れていた。低い声でうなり、毛を逆立て、クロガネに牙をむいて威嚇していた。しかしクロガネは平然とした顔でのっしのっしと砂子に近寄る。砂子は悲鳴のような声をあげて一時的に駐車場から逃げ出す。クロガネは、砂子がまた駐車場に戻ってくるのを待って、駐車場で寝そべる。
私はクロガネに声をかけた。
「あんた、嫌われてるよ。もう諦めなよ」
クロガネは寝そべったままちらりとこちらを見ただけで、生意気なほど堂々と寝ていた。せっかくなので触ってみた。ごつごつと筋肉質で、ところどころハゲがある。喧嘩でできた傷痕がハゲになっているのだろう。傷跡は頭や肩、前肢に集中していた。つまり向こう傷ばかりということだ。荒くれ者、そんな猫だった。私に触られても、まるで動じない。もちろん媚びて喉を鳴らすこともない。
あるとき、買い物に出かけようと駐車場へ行くと、砂子とクロガネがにらみ合っていた。
両者の距離はおよそ5メートル。その状態で砂子は威嚇、クロガネはじわじわとにじり寄っていく。砂子は全身の毛を逆立てていた。
私はとっさにクロガネの肩を押さえた。
「まあまあ、もう勘弁してやんなよ、あの子、すごく嫌がってるじゃない。ねえ、すぐそばのコンビニにも雌猫はいっぱいいるよ、そっちにいきなよ」
しかし、クロガネはぐっと体に力を入れて、一歩一歩確実に砂子に向かって歩みを進める。私が押さえる力より、クロガネの前進する力のほうが強かった。雌猫をゲットしたいという欲望の強さが、クロガネを前へと駆り立てる。なんという力強さだ。これは力でどうこうはできない。あまり強く押さえて噛まれても困るし。
私は手を離すと、今度は砂子に話しかけた。
「にらみ合ってないで、早く逃げなさいよ」
しかし、砂子にしてみれば、ここは自分の縄張りなのである。逃げてたまるか、そう顔が言っている。わかる、わかるよ。でも喧嘩では砂子に勝ち目はない。体格差がありすぎる。悔しくても逃げるしかないのだ。
そのとき、クロガネが急に寝そべった。しかも、砂子に背中を向けている。どういうことなのか。猫を飼ったことがないので、いまいちクロガネの心理がわからないが、私は叫んだ。
「砂子、今だよ!」
呼びかけが砂子に通じたのか、あるいは偶然か、砂子はさっとクロガネに駈け寄り、後頭部にパンチをお見舞いすると、そのまま走ってどこかへ行ってしまった。
「今だよって言ったのは、逃げろっていう意味で、パンチしろという意味で言ってない……」
クロガネは、パンチされても涼しい顔で毛繕いをしていた。
それからしばらくして、近所のマンションの植え込みでクロガネが灰色がかった茶色い猫と寄り添ってひなたぼっこしているのを見かけた。
砂子、とうとうクロガネを受け入れたのか。なんだか複雑な気持ちだが、まあ、本人が幸せなら……そう思って駐車場に行ったら、砂子がいた。どうやらさっき見たグレーの子は、別の猫のようだ。
クロガネは、砂子がちっともなびかないから、ほかのメス猫のところに行ったようだ。
そういうわけで、ひとりで生きる砂子は今日も駐車場の空を見上げたり、排水溝を覗いたりして、ぼっち暮らしを満喫している。
あいかわらず保護団体の手から逃れ続け、避妊手術はされていないようだが、数年前に子猫をつれていたのを最後に、妊娠はしていなかった。気に入った男じゃないとだめな女なのだろう。だが、気に入った男は砂子を好きになってはくれないのだろう。好きでもない男と一緒にいるよりは、ひとりのほうが良いのだろう。
「わかる」
砂子に話しかけると、鬱陶しそうな顔をされる。私が近づこうとすると、すぐさま立ち上がって、距離を取る。
私とは5メートル以上の距離をたもち、それ以上は決して近づかせてはくれない砂子。もし近づける日がきたとしたら、それは砂子に万が一のことがあったときなのだろうと思うと、ずっとこのままでいて欲しいなと思う。
<おわり>
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