4-3 水馬のこと/サワガニについて


 そして夜だ。今度こそ水馬すいばを探しに繰り出そうとすると、宿屋の主人に君もりないね、などと苦笑される。こっちはその為に来ているんだから仕方がない。水馬の正体を確かめて、たかひひるの有無を見極めなければ帰れんのだ。


「また霧が出ていやがる……そのうち幽霊でも出そうな気配だぜ」

「死体はちょうの大好物でもある。案外幸先良いかもしれんぞな~」

「嫌な事言いやがるぜ……」


 以前にも試みたように、蝶を採る時には腐臭を用いた罠が便利だ。これはつまり、蝶は糞尿や動物の死骸も好むと言う事である。綺麗なお花に寄ってくる優雅な蝶の姿を求めて、気軽に野蝶採集で一攫千金を狙おうなどと言う考え方は甘い。あの警官のように、軟弱な考えでは虫屋は務まらんのである。時に糞尿の匂いにまみれて汗を流す事もまた必要なのだ。

 と、不意に視界の端に何か影のようなものがちらりと映る。ゲンマはうずまきに呼び掛けて、それをよく見ようと湖へ近づいてゆく。


 それは女だ。

 長い髪をなびかせた女が、霧の中に立っているのだ。


 そればかりではない。女の立つ場所は湖面であった。水の上に、落ちる事なくすっと立つのである。

 すわ幽霊か、と悲鳴を上げかけた時、女の姿はふっと消えている。

 次には水をかきわける音と共に、ゲンマの眼前に巨大な水馬の首が現れている事には、危うく腰を抜かすところであった。これがまた、人の言葉を喋るので絶句する。


「……懐かしい匂いがすると思えばそなた、螺旋狐うずまきぎつねか……まだそのような小さき姿でいるとは思わなんだぞ」

「お~、そう言うお主は水馬の流霧姫るきひめ! そうか、雨流湖うりゅうこの流霧姫とはなんぞ聞き覚えのある名と思ったぞな! 久しいぞな~、息災そくさいであったか?」


 長い鎌首かまくびもたげた水馬が、体を左右に振って水を上がってくる。親し気に話しかけるうずまきは、どうやらこいつと知り合いのようだ。ゲンマは口をぱくぱくさせて呆気に取られ、初めに幽霊だ、と思った時ちらりと既視感があった事に遅れて気づく。

 妖異よういと言うのはこうやって女に化けて、幽霊のようにぬっと出るものなのだ。実に心臓に悪い。


 うずまきの言うところによれば、この水馬は妖力を帯びた蛞蝓なめくじが変じたもので、数百年前よりこの湖に住み着いていると言う。落ち着いてみれば、一見すると長い首を持った脚ヒレのあるトカゲとでも言うか、馬と首長竜の合いの子めいた姿は全体にぬめぬめとした粘液で覆われ、頭部には元々触角だったと思しき角も見えるのは、成程蛞蝓の変化へんげか。以前はさもない妖異であったが、それが現代で土地神と祀られるまでになったとは……古い友の思いがけない出世に、感心の狐。


「流霧姫よ、わがはい達は訳あってたかひひるを求めているぞな。このゲンマの妹、イヨの寿命を取り戻す為に命の珠が必要なのだ。ここらでたかひひるを見かけたなら、居場所を教えて欲しいぞな!」

「そなた、まだたかひひるを集めているのか……ふむ、人の子を救うためとな……よかろう、これも何かの縁。持ってゆくが良い」


 水馬が首を伸ばして水面を叩くと、生じた波紋から不思議な泡が浮かび上がってくる。その中でぼんやりと光るのは……紛れもない、たかひひるだ! すっとやってきた泡がゲンマの眼前で弾けると、たかひひるは慌てて逃げ出したので、すかさず捕らえ狐の持っていた空き瓶に封じてしまう。


「ありがとう、水馬の流霧姫。しかし良いのかい、妖異がたかひひるを食えば、それだけで力がぐんと増すと言うじゃないか」

「力は、強ければ良いと言うものではない。それを御するにはより強い力がいるものよ。わらわがたかひひるを捕らえたのも、放って争いの種となる事を恐れるが為……この湖には力の弱い妖異どもが時折やってくる。奴らはいつも噂をしておるぞ、たかひひるの事を。そしてそれを狙う悪しき妖異怪獣よういかいじゅうどもの事を」

「また、魔の時代がやってきたぞな。この世はいずれ、妖異怪獣が力を求めて争う戦乱の世となるであろう」


 狐が言う事に、水馬はこくり頷いて。


「そなたらも心に留めておくが良い。いくらたかひひるを集めたところで、人の命はいずれ尽きるものよ。ほんの一年、命を長らえる事にどれほどの意味があろう……螺旋狐、そなたもそれをいましめられたはず

「お言葉だが流霧姫様よ、何百年と生きるあんた達と違って、俺達は一瞬一瞬を生きているんだ。その尊い一瞬を取り戻すために、俺はたかひひるを集めてんのさ。その為なら俺は、怪獣どもだって相手にしてやるぜ!」

「……。」


 ゲンマの言葉に、狐は不思議と静かに耳を澄ませている。

 流霧姫はこれに頷いて。


「……ほう、それも心の強さか……」


 水馬が目を閉じると、まるでその内側から放たれるような淡い光が夜を満たす。目の眩んだゲンマがはっとすれば、眼前に美しい女の姿があるのは、先の幽霊に違いない。それは水馬の化身けしんであった。


「そのたかひひる、あるいは本当に我らを結び付ける為につかわされたのやもしれぬ。玉匣たまくしげの子……ゲンマと言ったか。そなた折り入って頼みがある。たかひひるの礼と思って聞き入れておくれ」



 水馬の頼みとはこうだ。

 近頃、湖をけがすものがあって難儀なんぎしている。生き物にとっては何ほどでもないが、清らかな水を好む流霧姫には耐えがたく、静かに眠っている事も出来ぬのだ。

 そこでゲンマ達に、この穢れを放つ異物を取り除いて欲しいと言う事である。

 どんなとんでもない願い事かと思いきや、なんだ、湖のゴミさらいかよ。それでたかひひるを気持ち良く譲ってくれるのなら安いもんだ。ゲンマとうずまきは早速靈覬融合れいきゆうごう狐龍こりゅうの姿に変じると、夜の湖に泳ぎ出た。


「へぇ、随分水が澄んでいやがる。どこに穢れがあるって言うんだ」

「我はさして気にならぬが……ふむ、確かに人の念がこごっておるわ」


 靈覬融合れいきゆうごうで一体となる時、うずまきはいつもとはまた違った尊大さで喋るのだ。縮んでいる時は、やはり脳も縮んで幼児化しているのかね。

 ゲンマがそんな事を思うと、心の姿でぎろり睨む狐。一心同体の間は、考え事も筒抜けなのだ。


「我は最早もはや手が出せない。頼んだぞ……螺旋狐、玉匣の子よ……」


 苦し気に言い残し泳ぎ去る水馬を見送り、狐龍は深く深くへと潜ってゆく。そして見つけたのは思いがけないものである。


 鞄だ。


 暗い湖底に沈み、仄かな月明かりに影を落とすそれは、またしても旅行鞄なのだ。

 嫌な予感がしながら、ゲンマは恐る恐る爪にひっかけ鞄を引き上げると、湖畔へ這いあがり、ぶるぶるっと体を震わせて水気を飛ばす。光の渦が解け、人の姿に戻るや、掬い上げた鞄をじっくり見れば、隙間から出やがる出やがる。うじゃうじゃとサワガニが、それこそまるで虫のように辺り一面におびただしくわっと広がるので、思わずゲンマはぞっとした。


「おいおい、嫌な予感がしやがるぜ」

「間違いなくなんか入ってるぞな~」

「人よ」


 耳元で囁かれる声に今度こそゲンマは悲鳴を上げて跳び退いた。いつの間にか幽霊みたいな流霧姫が、長い濡れ髪を滴らせていたのだ。人って言うと、人か。ゲンマはどうしたもんかと頭をかいた。こんな物を警察にでも持っていってみろ。またこってり絞られて、今度こそ冤罪で捕まりかねない。


「この辺に捨て置くぞな」

「捨てるってお前、良いのかよ」

「説明のしようがないぞな! この辺に置いといて、他の誰かに見つけてもらうのが一番ぞ! 流霧姫もそれで良いな?」

「人の世の事は、人に任せるとしよう……ともあれこの度は感謝するぞ、ゲンマに螺旋狐。また縁があれば会おう……」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。あんた、人殺しの場面は見なかったのかい? 湖でもう二人も人が死んでるんだぜ。あんな湖の奥に鞄が沈んでいたって事は、誰かがこっそり小舟で漕ぎ出して捨てたって事じゃないか。こりゃあ大変な事件だぜ」


 ゲンマが慌てて引き留めると、水馬の化身はこくりと頷くのであっさりしたもんだ。

 それを聞いてゲンマはやはりな、と納得しかけるが、ふと閃くものがあり、思い切って鞄を開けてみる。

 果たして詰められていたのは、ばらばらになった男の死体であった。



「お帰りなさいませ、お兄様。噂の水馬には出会えましたか」


 イヨの出迎えに、ようやくほっと肩の力が抜ける。色々な事があり過ぎてどうやら随分と気を張っていたらしい。体に良く馴染んだ家の空気を吸えば、それこそよどこごった悪い気が入れ替わるようで、ようやく人心地つくゲンマである。


「その水馬と言うのは、どうやらうずまきの昔の知り合いでな。たかひひるをすんなり譲ってくれたのはありがたかったのだが……まず色々あった」

「まぁ、うずちゃんのお友達? ぜひ詳しいお話を聞きたいです。ね、お兄様。どうぞ探検のお話をお聞かせくださいな」

「あんまり楽しい話じゃないぜ」


 たかひひるを封じた瓶を手に座敷に腰を下ろし、さて何から話したものかと考え込んでいると、きゃらきゃらと騒がしい妖怪娘共も集まって来た。するとうずまきが尻尾をごそごそとし始め、膨らんだ袋を三つ四つ取り出し始める。


「屋台で売っていた綿飴わたあめのおみやげぞ! 子分どもよ、良く留守を守ってくれた。これはその労いと思って、ありがたく食らうが良い!」

「まぁ、なんですの。綿飴?」

「ふわふわとして、うんと甘い。まるで天上のお菓子ですわね」

「砂糖をごく細く伸ばして作るのですよ。こうやって棒でぐるぐると巻き取ると、ふわふわになるの」

「今、お茶を淹れましょう」


 ウイキョウとヒスイが早速綿菓子をぱくつき、スオウが茶を淹れに立つ。イヨも楽し気に袋に手を伸ばしている。ゲンマは座敷の賑やかな様子に混じりながら、スオウの茶を啜ると、ふと懐かしさにも似た感慨を覚え、改めて帰って来たなと言う気になるものだ。イヨは勿論、妖怪どもとさえ、もうずっと長く暮らしている気さえしてくるのは不思議なものだ。


 さて、楽しい話ではないのだが、と前置きし、ゲンマは椙森すぎのもりでの出来事をひとつひとつ語ってみせた。一つ目の死体を見つけた下りでは、まぁ……と気の毒そうな顔をしたイヨも、水馬と出会い、二つ目の死体を見つけ、わらわらと蟹どもが流れ出てきたところでは、きゃっと悲鳴を上げて耳を塞いでいる。ここが一番恐ろしい下りだぜ、とゲンマは不謹慎ながらにやりとしかけ、努めて真面目な顔を作る。


「俺はふと気になった。最初の鞄はご主人の幼馴染の男が殺した女とする。じゃあそっくりな手口の二つ目の鞄には誰が入っているんだってな。果たして中身は男だった。すると話が違ってくる」

「男は女を殺した後、自責の念に駆られて自ら果てたのでは」

「しかし鞄は湖の中程に捨てられていたんだぜ。そこまでボートで漕ぎ出して、わざわざ鞄に入って入水じゅすいするなんて不自然だ。第一バラバラだしな。被害者の女も、容疑者だった男も、別な誰かに殺されていたのさ」


 スオウの言う事に首を振って、ゲンマは雨流湖うりゅうこの夜を思い出している。

 犯人を見なかったのか、との問いに、水馬の流霧姫るきひめはあっさり見た、と言ったのだ。


「殺しは見ておらぬが、捨てるところは見た。昔、この辺りで良く駆けまわっていたぼんよ。わらわも長く生きていると、退屈でな……時折子供らに語りかける事がある。子供らは素直で良い。かわいいもの。あの頃無垢に駆け回っておった三人が、このような惨い末路を辿るとは……人の世の無常よな……」


 流霧姫の声に悲しみの色は見えなかった。ただ、静かにありのままを受け止めている風の、何気ない呟きは、数百年生きる者の深みだったのかもしれない。


「仲の良い幼馴染三人のうち、二人が死体で見つかり、残るは一人。犯人は宿屋のご主人だったって訳さ。最初の鞄も偶然見つけた風を装ったのかもしれねーや」

「けれどお兄様。それでは証拠がないのではありませんか。流霧姫様のお言葉を、どうして証明する事が出来たのでしょう」

「それがあったぞな!」


 宿では日頃、湖で遊ぶための小舟を貸し出していた。そのうち、宿の倉庫に隠してあった一隻から血痕が見つかったのだ。うずまきがこれを見つけてきたので、ゲンマはそそくさと宿を後にし、匿名で例の浮ついた警官に通報を入れ、宿屋の主人が連行されるところをこっそり見届けて帰って来たのであった。


「と言う訳で、散々な目にあったのさ。お陰で収穫もあったけどな」

「ちょっと、ゲンマ様。肝心な部分が解明されていませんわ」

「そうですわ。ご主人は女殺しを別な男が犯人に見せかけた、その動機はなんですの?」


 鈴を転がすような声が、左右からけたたましく鳴れば騒音になる。ウイキョウとヒスイがぴーちくぱーちく騒ぐのに、蛇ってのはもう少し大人しい生き物じゃないのかね、とゲンマは気圧されている。


「さぁ、そこまではわからんよ。これ以上部外者が首をつっ込めねーしさ」

所詮しょせんさもない殺しぞ。本格ミステリじゃあるまいし、大した真相もあるまい」

「幼き日を共にした、幼馴染の男女三人……そうなれば決まっております」

「痴情のもつれですわっ! 女の取り合いですわっ! 愛憎の殺人に違いありませんわよっ!!」

「それよりも、ゲンマ様。隠れて罪を暴く事は、告げ口、にあたらぬのでしょうか」

「スオウ、時と場合によるのです。お兄様とうずちゃんは難事件を人知れず解決に導いた、これをお手柄と言わずなんといいましょう。ご立派です」

「あんなもん、わがはい達が通報せずともそのうち捕まっていたぞな。わがはいなら死体を残すなどと言うヘマはせぬ。二人とも丸のみして証拠隠滅ぞ! しゅさえなければ、な!」


 なんだかんだと盛り上がる一同。人が二人死んでいるとはいえ、赤の他人だから実際に死体を目撃したゲンマにさえ、何だか実感が湧かぬのだ。


 きゃらきゃらと騒ぎながら、「「愛ゆえですわーっ」」右へ左へ揺さぶってくる蛇の姉妹に揺れる生返事をし、ゲンマは綿飴に手を伸ばしている。舌の上ですっと溶ける甘さに安らぎ以上のものを感じ、兄妹二人の暮らしは長く静かなものだった事を思い出す。


 うるさくて敵わんが、ま……こんな暮らしも良いのかもしれねーや。

 陰惨な事件に出くわした事も忘れて、ゲンマはほっと息をついていた。

 その夜の事である。


「イヨよ、こりゃあどういう訳だい。味噌汁に入っているこいつは、今一番俺が見たくないヤツだぜ」

「えへへへ……旬なので」


 ゲンマはうげっとしながら箸で味噌汁の椀をつつく。こつこつと鳴るのは、哀れ美味しく茹でられたサワガニだ。イヨはやや申し訳なさそうに、しかし悪戯っぽく笑っている。


 なんでも例の下りは実に衝撃的で、夢に出そうな程だった。このままうなされるくらいなら、いっそ食べてやっつけてしまおうとそう言う具合だ。なるほど一理あるかもしれんと思い切って口に含めば、これが美味い。美味いものは怖くない。考えたものである。


 ちなみにサワガニなんてのは冬眠期以外は年中いつでも見られる。温かい時期はずっと旬みたいなもんだ。なんなら冬場は冬眠の為に栄養を蓄えているので美味と言う者もある。つまりいつ食っても美味い。


「これにて一件落着ぞな」


 狐、蟹を丸ごと頬張ると、ばりばりと音を立てて飲み込んでしまう。これでは夢にも出られまい。

 めでたしめでたし。



「虫屋ときつね 胡蝶怪獣綺譚こちょうかいじゅうきだん~たかひひる妖異伝~」より

~4.流れ出るサワガニの怪~

おしまい

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