第43話  悪意

 清はブラジルに行くまでの間、日雇い労働者として日銭を稼いで暮らしていたのだが、

「金を稼ぎたかったらブラジルまで一緒に行かないか?」

 と、声を掛けてきたのが母方の伯父で、

「お前のところは兄弟が多いから、一人くらい減ったほうが楽だろう」

 伯父は清の肩を叩きながら、

「ブラジルから仕送りしてやれば家族も楽になるだろう?」

 と、言い出した。


 八人兄弟のうち、清の上の三人の兄は外に働きに出ている。未だにまともな働き先を見付けられていない清は肩身の狭い思いをしていた為、

「おじさん!僕をブラジルまで連れて行ってください!」

 と、即座に伯父に願い出た。


 父も母も最初はブラジル行きを反対していたものの『大金を簡単に稼げる』という話を聞くに従い思い悩むようになり、最終的には、

「すぐに帰って来てちょうだいね。お金なんかどうでも良いの、お前の健康の方が大事だからね」

 と言って、笑顔で送り出してくれたのだ。


 お前を連れて行ってやるんだから感謝しろと伯父は言っていたものの、清の渡航費の負担は移民公社とブラジル政府が支払うらしい。伯父は幾ばくかの金を清のために払ったわけでもないのに、

「俺のおかげでお前はブラジルに行けるんだからな!感謝しろよ!」

 と、威張るようにして言っている。


 支給された綺麗な洋服に着替えて船に乗り込めば、周り中が期待に満ち溢れたような表情を浮かべていた。途中で異国の港に寄港しながら、海を滑らかに進んでいく。船の中では運動会も行われたし、

「六度目となれば我々も大分慣れたものですよ」

 と、移民公社の人間が言っていた。


 文明的な生活はサントス港までで、そこから珈琲農場に配耕となってからは、

「なんだか話が違っているぞ」

 みんながみんな、そう思い出す。


 ブラジルまで移動をして真っ赤な珈琲の実を収穫すれば、すぐさま大金を手に入れて故郷に錦を飾ることが出来るだろう。

「そんな訳がないでしょう」

先輩日本人労働者が言うのには、

「あちらさんが望んでいるのは奴隷に代る労働力だし、そもそも農場主は労働力となる日本人がここまで来るための費用としてお金を支払っているような状態だから、私たちに多額の賃金を払う訳がないんですよ」

 ということになるらしい。


「特に労働力として連れて来られた甥とか姪とかは、そのうちに家族の範疇にも入らないことになるから、扱いは奴隷以下みたいなことになると思う」


「奴隷以下?嘘だろう?奴隷以下?」


 そんな訳がない!そんな訳がない!だって、金が稼げると言っていたじゃないか!すぐに大金を稼いで、故郷に錦が飾れるって言っていたじゃないか!


 初日は真っ赤な珈琲豆を何袋も収穫して、喜び勇んで支配人の元へと持っていけば、想像以上に少ない金額を渡されただけ。誰かが横から抜いているとか、不正が行われているとかそういったわけではなくて、珈琲豆の適正な値段が想像以上に少ない。


 その金を伯父は丸ごと自分のポケットに入れると、

「さあ、帰ろうか」

 と、言い出した。


 伯父の周りには伯父の妻と子供たちが集まり、自分だけが完全に除け者になったような感覚を清が覚えたのは間違いない。


「全ては金だよ!金さえあればこんな事にはならなかったんだ!」

 日本人の若い連中を取りまとめていると言う佐藤崇彦という男が言い出した。

「ここはブラジル、金が山ほど採掘されるって言われている場所だぞ!」

 しかも、豹に喰われた遺体が金の延棒を握り締めていたらしく、

「元々、この農場にはギャングが埋めた埋蔵金があるんじゃないかっていう噂があったんだ!その金がもしかしたら見つかっていたのかもしれない!」

 と、言い出した。


「一攫千金を狙うのなら、その殺された男の家を家探しした方が良いかも」

 そう言い出したのは雪江という名の女で、この女は崇彦の情婦のように見えた。

「今だったら農場に来たばっかりだし、大きなお咎めは受けないと思うんだよね〜」

 女は清の頬を指先で撫で付けながら言い出した。


「もしも金を見つけることが出来たら、雪江にも山分けしてね!そうしたらたっぷりと良いコトをしてあげるから!」


 あっという間に六人の男たちが集められ、豹に殺された男の家へと襲撃をかけることになったのだ。家の中をひっくり返してもなかなか金の延棒は見つけられず、

「オイジェンチ!ウキエスタファゼンド!」

 と、強面のブラジル人に声をかけられることになったのだ。


 思えば川地雪江は出会った時から厄介な匂いがぷんぷんする女だった。いつでも何処でも男を侍らせていて、色男の崇彦さんが決まった情夫というわけでもないらしい。


 ブラジルに来ていながら『日本の生活』を全うしようとする日本人がやたらと多く、日本人同士でかたまり、外の人間は一切排除したような状態で、自分たち日本人の共同体を維持し続けようと躍起になっているようにも見えるのだ。


 そんな中で、

「雪ちゃん!可愛い!」

「雪ちゃん!」

「雪ちゃん!ねえこっちに来て!」

 と、甘い声をかけられて悦に入った様子を見せている雪江という少女は、清にとっては忌避すべき存在であり、

「俺には無理〜!」

 と、心の中で声を上げ続けていたのだった。


 雪江という女が男に媚を売りながらも日本人の奥様たちに嫌われることがなかったのは、雪江よりももっと目立つ女が居たからだ。


「ボンジーア!マティウス!」

「ボーンジーア!タマチャ、トドボン?」

「トドボセ」


 ポルトガル語を話してブラジル人と交流する少女、日本人のリーダー的存在である徳三さんの秘蔵っ子。渡伯後、即座に現地に馴染んでしまった彼女の存在は、日本人の中で明らかに浮いていたのだが・・

「珠子が居るからこそ、我々日本人はこの農場で住みやすい状態でいられるんだ」

 と、徳三さんが言うし、

「あの子ほど現地に馴染むのが早かった子は他にはいませんよ、ここはブラジル人との共存が進んでいますが、他の農場ではとても!とても!」

 と、通詞の山倉さんが言い出すほどだったのだ。


 そもそも、徳三さんが元気であれば、珠子にあれほどの悪意が向かうような事態にはならなかっただろう。突然、珠子はブラジル人相手に金を貰っているという噂が出回り始め、ブラジル人に股を開くのなら、自分たち日本人にも股を開くだろうと言い出す輩も出てくる始末。


 特に新労働者たちは収穫の時期を外した形で配耕となっているため、手に入る賃金が極端に少ない。それこそ、一家四人でも食べるのでやっとというような賃金に辟易とした。


 湧き上がる不満と怒りをぶつけるのに、異質な珠子という存在は丁度良かったのかもしれない。それに、雪江と美代という若い二人の日本人が、珠子には散々虐められたと吹聴しながら、

「いつかは天罰が下ると思うの!」

 と、煽り立てるようなことまで言い出しているのだ。


「珠子ちゃん・・ごめんね・・何も出来なくてごめんね・・私がもっとしっかり見ていれば良かったのよ」

 和子は涙を流しながら珠子の着替えを手伝っていたようだけれど、

「こう言っちゃなんだけど、男衆からの暴力ではないようで、まだ良かったわよ」

 と、酷く冷静な信子の言葉が小屋の外まで聞こえてくる。


 外に作った竈でお湯を作っていた清は、真っ青な青空を見上げて思わずため息を吐き出した。

「松蔵さんに頼まれたのに、俺たちだって何も出来ていないっての」

 清たちカマラーダ四人組は、松蔵がオンサを追って森に入る前に、珠子のことを頼むとお願いされていたのだ。


 清たち四人組が親族に搾取されるだけ搾取されるような事態に陥らなかったのは、現地に密着して生活する珠子とカマラーダとして働く松蔵の存在があったからこそと言えるだろう。


 いわゆる恩人でもある珠子に悪意が向かわないように四人なりに珠子の壁になろうとしたものの、

「あの四人組が家を飛び出したのって珠子ちゃんが唆した所為だったんだ〜!どうりですんなり空き家なんかに住み出したなぁと思ったら、珠子ちゃんが自分の愛人たちを囲いたかったからでしょう?本当の本当に、信じられな〜い!」

 という意味不明なことを雪江が言い出して、そこから風向きがガラリと変わり始めたのだ。


 珠子にはブラジル人だけでなく、日本人にも情夫が沢山いるようだ。ほら、あの四人組もそうじゃないのか?だったら俺にも味見させてくれるよな?


「はーーっ!本当の本当に!松蔵さんが帰って来てくれて良かったよーー!」

 清は大空に向かって大声を上げた。

 閉塞した日本人集団の悪意の渦を相手に、おそらくあの松蔵さんであれば、どデカい風穴を開けてくれるだろうと清は頑なに信じているところがあるのだ。

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