第26話  珠子の場合

「珠子、明日は神原さんに外作地の方へ来てもらう予定で居るんだが、大丈夫かどうかを確認して来てくれるかね?」


 日本人労働者のリーダー的存在である徳三おじさんが私に声をかけて来ると、

「私が松さんのところに行ってくるわ!」

 と、隣で珈琲豆を篩にかけていた姉が言い出しました。


 今日は土曜日なので午前中は珈琲豆の収穫、午後は外作地で畑仕事という事になるわけなんですが、姉が飛び上がるようにして自分が松蔵さんに声をかけに行くんだと主張しております。


「今は珈琲豆の収穫の時期だから、カマラーダは日が暮れるまで珈琲豆の撹拌作業をやっているだろう。声をかけるには日が暮れてからになると思うが、増子さんはあの家まで行くことが出来るのかね?」


 徳三さん、姉の方をジロリと見ながら言い出した。


「あそこの家は森の近くだから、入り込んだオンサに殺されることもあるんだぞ?」

 オンサ(豹)と聞いて、姉は私の肩を軽く叩きながら、

「だったら珠子にお願いしておこうかしら」

 と、言い出した。


 一応、農場の居住区は柵で囲まれているんだけど、それでも外から入り込むということは良くあることで、エレナおばさんなんかは暗くなったら外に出るなと心配して言ってくれるんだけれども・・


「珠子は暗くなっても出歩くことが出来るから」

「珠子に任せておけば良いわよ」


 母と姉がそんなことを言い出すと、珈琲豆を大袋に入れていた姉の夫である久平さんが片手を挙げて言い出した。


「あ、午後になったら僕はお隣さんの畑を手伝いに行くので、夜ご飯はいらないです」

「はあ?」

「お隣さん?」


 母と姉がジロリと久平さんを見ると、久平さんは全く悪びれる様子もなく言い出した。


「だって源蔵さんが亡くなったばかりですし、新しく来た若者たちに家を荒らされたり、暴力を振るわれたりと大変だったんですから、お互いに助け合うのは当たり前のことですよね?」


 久平さんが母と姉ではなく徳三さんにそう問いかけると、徳三さんは、苦虫を噛んだような表情を浮かべながら、

「源蔵さんのところばかりでなく、自分のところの畑の世話もきちんとしろよ」

 と、言ったのでした。


 お隣に住む百合子さんは色っぽいところがある、外作地で死んでいた源蔵さんの奥さんで、今は15歳と16歳の甥っ子二人と暮らしているのですが・・


「珠子ちゃん、後妻と甥っ子二人の生活なんてあまりにも不健全過ぎるわよ〜!誰か良いブラジル人がいたら紹介してちょうだい〜!」

 と、冗談半分、本気半分で私に声をかけてくるんですよね。


 28歳の百合子さんは、二人の甥っ子を完全に支配下に置いているのですが、下衆な勘ぐりをする人はそれなりに居るわけなので、変な想像を働かされるくらいだったら早いところ新しい夫を探したいと考えているわけです。


 百合子さんには、柳行李の底に差し込まれた金の棒についてはこっそり教えておいたんですけど、結局あの後、細長い金の棒に焦点を置いて改めて家探ししたところ、十二本の金の棒が発見されたんですって。


 これを百合子さんは二人の甥っ子と三人で山分けしたそうなんですけど、次に通詞の山倉さんが来たら、サンパウロ中央都市に一緒に移動するつもりみたいです。


 ブラジルまで来た日本人労働者が、すでに中央都市でお店を始めているそうなんです。何でも昔は処刑場だったという場所があるらしく、そこは土地代も安いからってことで日本人向けのお店を開いたんだそうですよ。


「私って畑で働くよりも、帳簿の整理をする方が得意だから〜」

 と、百合子さんは言っていたけれど、さすが笠戸丸(第一回の輸送船)に乗り込んでいる人は強いですよ。


 同じく畑の仕事よりも帳簿の整理の方が得意な久平さんは、最近、百合子さんに媚を売りまくっているんだけど、もしかしたら一緒に中央都市に移動するつもりなのかも知れないなぁ。


 うちと百合子さんのところは、第一回と第二回の輸送船でブラジルまで運ばれて来た仲なわけですけれど、金持ちになるためにブラジルに行こう!なんてことを言っておきながら、ブラジルまで来ても金持ちには到底なれませんっていう現実を、ここ数年の間でこれでもか!というほど味わってきたわけですよ。


 家族単位で移動して来ているので、家長が健在な家であれば、

「絶対に金持ちになってやる!絶対に故郷に錦を飾ってやるぞー!」

 と、今でも息巻いていたりするんです。その家の家長がふんぞり返っていればいるほど、現実を受け入れられないっていうのは良くある話。


 だって自分が騙されなければ、家族も自分も、不景気とはいえもっと給料が良い日本で健全に生活出来ていたはずだもんね!だけど、自分が失敗したとは認めたくない、信じたくない、いやいや、起死回生のチャンスはまだあるはずだ!みたいに考えている人は、農場にしがみついてでも何かに成功してやる!なんていう風に考えていたりするんですよ。


 いや、無理だし、本当に帰れそうにないから今後の身の振り方を考えていかなくちゃ・・と考える人は多いけれど、家長が立派であればあるほど、黙り込むしかないっていう事態に落ち込んでいくわけですね。


 うちは一家の大黒柱だった辰三さんをマラリアで亡くし、母は未亡人となりました。姉の夫である久平さんが、我が家でたった一人の男の人っていうことになったのですが、元々は番頭として働いていた久平さんを、辰三さんが亡くなった後もコマ使いのように母と姉は扱っていたんですよね。


 神戸の米問屋の主人の後妻として収まることになった母も姉も、一通りの苦労はしてきたとは思うんだけど、何か勘違いしちゃったのかな。ブラジルに来てまで大店の奥様気分でいるものだから、久平さんも見切りをつけようと考えちゃうのかも。


「珠子!マツさんの所に行ったら、またお夕食に誘って頂戴ね!」


 ザルを放り出して私の肩を掴む姉の顔がとにかく怖い。

「絶対よ!ね!分かっているわよね!」

 久平さんが居なくなれば、我が家は男性が一人もいない世帯ということになるので、世話好きの誰か(おそらく徳三さんあたり)に、労働者として連れて来た日本人の誰かを伴侶として当てがわれるようなことになるのかも知れない。


 姉としては、やっぱり同郷で幼馴染の松蔵さんが良いのかな〜・・知らんけど。


 そんな訳で、今日も今日とて、不機嫌満載の母と姉のために夕食を用意した私は、カンテラ片手に松蔵さんの家へと向かうことになった訳です。


 松蔵さんが与えられた家はカマラーダの住居からも近い場所にある掘立小屋で、ちょっとした小高い丘の上にあるんです。


 そんな訳で、剥き出しの赤土の上を登るようにして歩いていた私は、

「「「うぇえええええええっ」」」

 複数人がえずく声を聞いて、自分の首を傾げることになったのでした。 

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