第21話  枠からはみ出た人

「手はマオン、足はぺって言うの」

「足がぺ?」

「そう、鼻がナリス、口はボッカ」

「えーっと」

「ビッショは虫だから、ビッショジペは足の虫っていう意味になるの」

「ええーっと」

「単語さえ覚えれば、案外意味は簡単に分かったりするんだよ?」

「慣れるまでに時間がかかりそうだな」


 中国語は同じ言葉でも音程の違いで意味が異なることになる。韓国語はより日本語に近い形となるし、似たような意味の言葉も多いため、意外に理解しやすかったりする部分が多かった。


 ただし、遥か遠くの異国となるブラジルの言語、ポルトガル語は漢字を使うわけでもなく、全く違う言語形態となるため苦労しそうだなとは思ったわけだ。


「珠子ちゃんは凄いよね、ブラジル人とポルトガル語が話せるなんて」


「いやいや、簡単な単語しか話せないんだよ、ほぼほぼジェスチャーでやりとりしてる。私が日本人と一緒に色々なことをするのをお母さんとお姉さんは嫌うから、必然的にブラジル人の奥さんたちと一緒にいることが多くって」


「ブラジル人の奥さんたちと一緒にいるの?」

「うん、洗濯なんかはブラジル人の奥さんたちと一緒にやったりしているんだ」

「えーっと・・」


 どうやらこの農場では洗濯は居住区を流れる川で行うようなんだけど、ブラジル人たちは仕事終わりの夕方に洗濯をするので、その前に日本人の奥様たちは洗濯を終えるらしい。何かと用事を言いつけて、日本人たちが洗濯をする時間帯に洗濯をすることが出来なかった珠子ちゃんは、結果、ブラジル人の奥さんたちと一緒に洗濯をしているのだという。


「さっき連れて来たマティウスの奥さんがエレナって言うんだけど、そのエレナがとっても面倒見が良い人で、それで色々と助けてもらったりすることが多いんだ」


「本当に凄いね・・」

 ビッショジペを取り終わった後も、何となくカンテラの明かりを見つめながら珠子ちゃんと話続けていたんだけど、珠子ちゃんの逞しさは僕の想像を遥かに超えたもので、僕の度肝を抜いたのは間違いない事実だ。


「昼間は安心、だけど夜の居住区は危ないって良く言われていて、それで色々と声をかけてくれるのがエレナなの」

「えーっと、夜の居住区は危ないの?」

「うん、そう」


 僕と珠子ちゃんは切り株に腰をかけていたのだが、思わず僕は周囲を見回してしまった。すでに色々とあった後で、周囲は真っ暗な状態じゃないか。


「そ・・それじゃあせっかくだから、僕が珠子ちゃんを家まで送っていくよ」

「今日は帰らないつもりだから大丈夫だよ?」

「はい?」

「今日はね、お姉さんもお母さんも相当機嫌が悪いだろうから、木の上で寝るつもりでいたんだ」

「木の上?」


 何を珠子ちゃんは言っているのだろうか?


「夜はね、本当に危ないから、木の上で寝るようにしているの」

「何故?木の上で?」

「そこが安全だから」


 はるばるブラジルまでやって来たけれど、こんな世界の果てにあるようにも思えちゃう農場で生活をしている珠子ちゃんは、寝床は猫の寝床みたいな部屋の隅に置かれたものだし、お母さんお姉さんの機嫌が悪くなれば家の中にすら居られない状態となってしまうのか。


「木登りは得意だから大丈夫、今まで寝ていても一度も落ちたことはないから」

「あのね、珠子ちゃん」

「何?」

「だったら、僕の家に泊まっていってくれない?」

「はい?」

「僕は外でも平気で眠れるタイプだから、珠子ちゃんは家の中で、僕は外で寝るってどう?」

「外って、元々ここに住んでいた日本人はオンサに喰われて死んでいるんだけど?」

「うーーん」


 結局、隣の家のお兄さん扱いの僕は無害であると主張した末に、珠子ちゃんは大人しく僕の家に泊まってくれることになったわけだ。寝床なんて珈琲を入れる大袋にとうもろこしの皮を大量に入れれば何個でも作れるし、

「土の上じゃないっていうのが素晴らしいね」

 申し訳程度に作られた板の間の上に自分の寝床を作った珠子ちゃんは、くるくると体に毛布を巻いて小さくなって身を横たえた。


 僕は土間の上に藁を敷いて、その上に寝床を作って寝る準備をしていたんだけど、

「松蔵さん、あのね、お母さんの再婚した旦那さんが生きていた時は、ここまでじゃなかったんだよ」

 毛布をくるくると巻いて丸くなった珠子ちゃんが、部屋の隅に集まった闇の中で言い訳するように言い出したのだった。


「それに、木の上にいると暗くて見えないから、今まで危ない目にあったことがないっていうのは本当の話」

「うーん、だけどさ、ここの農場ってオンサが出るんだよね?」

「うん」

「豹ってさ、余裕で木に登るし、木の上で食事を食べるんじゃなかったっけ?」

「う〜ん・・」


 一応、豹だとかアメリカ虎については一通りの説明を受けているので、木の上で一晩明かすことがどれだけ危険なことかということを僕は十分過ぎるほどに知っている。


「せっかく同郷の友である僕がここに住んでいるんだから、僕が居る間は木の上じゃなくてここを使うようにしておくれ」

「だけど、変な噂になったらどうするの?」


 そこの部分は珠子ちゃんなりに気にしてくれていたんだね。

「僕は日本人労働者と一緒に働くわけでもなく賃金労働者と一緒に働くんだよ?畑に行く時とかは同行することもあるとは思うんだけど、そこで何かを言われたところで何なのって感じだよ」


 僕が大きなため息を吐き出しながらそう言うと、

「そうか、松蔵さんは枠から外れた人なんだな」

 という珠子ちゃんの言葉が闇の中にこぼれ落ちたのだった。

 

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