第2節 訴訟の秋

運動会①

 二学期が始まった。翔太は自由研究の発表で、サナダマルと過ごした日々と彼の死について一生懸命に話した。感動の渦に吞み込まれた教室ではスタンディングオベーションが起きたとか起きなかったとか。


 藤井の自由研究も評判は良かったが、折角翔太に撮ってもらった夕陽に煌めくスノードームの写真は結局発表しなかった。なんだか気恥ずかしいような、他の人には見せずに思い出として仕舞っておきたいような気持ちになったのだ。


 その日の昼休み、三バカが翔太の席に集まって話していると、藤井もやって来た。


「三人とも自由研究ちゃんとできてたじゃない」


 翔太は嬉しそうに言葉を返す。


「ああ。藤井のスノードームもみんな褒めてたな」


「あっ、うん。そうだね……」


 二人で撮ったスノードームの写真について彼女は何も言わないし、翔太の方からも尋ねない。しかし、それは語られないことによって固くなる絆のようにも思えた。


 藤井はくすぐったそうに微笑み、「普段の宿題もあれくらいちゃんとやりなさいよね」とだけ言って、教室の外へ行ってしまった。


 今までとはちょっと違う雰囲気。クロは不思議そうな顔をして翔太に訊いた。


「もしかして、お前ら何かあったのか?」


「ああ……」


 翔太は藤井とスノードームの写真を撮った話をするべきかどうか迷ったが、誰にも言うなと言われているので黙っておくことにした。


「別に何もないよ」


 すると、矢島とクロはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべた。


「怪しいですなぁ」


「俺たちも負けてられないな。そんじゃあ、俺は運動会で藤井にいいところを見せてやるぜ」


 クロは、体は小さいが足が速い。だから体育の時間と運動会の日だけはちょっとモテる。


「よし、じゃあ今年の運動会はメロメロ大作戦だな!」


 翔太がガッツポーズをすると、クロと矢島も力強く頷いた。



 やがて運動会の準備が始まった。運動会は赤組、青組、黄色組という三チームによる対抗戦だ。全学年の一組が赤組、二組が青組、三組が黄色組で、藤井たちのクラスは六年一組だから赤組である。


 競技にはクラスの全員が参加する種目と、参加選手がクラス内で割り振られる選択種目がある。その中でも「三色対抗リレー」は男女別に全学年でバトンを繋ぐリレーで、運動会の最後を飾る種目だ。各クラスから男女一人ずつの参加となるので、概ね足の速い児童が選ばれる。


「藤井。俺、三色対抗リレーに立候補するぜ」


 とある日の休み時間、クロは廊下で宣言した。


「ホント? 黒田足速いもんね」


「クロが出るなら優勝間違いなしですね」


 去年出場したのは別の男子だ。矢島が援護するとクロはふと思い出したように言った。


「そういえば俺、運動会で自分の組が優勝したこと一度もないな。最後くらい優勝してぇなぁ」


 それを聞いた藤井は、少し考えてからポンと両手を叩いた。


「それじゃあ、みんなで頑張って優勝しようよ。私も三色対抗リレーに立候補するから!」


 藤井は器用で大体何でもこなせるから運動も得意だ。だが自分から目立とうとするタイプではないので、今まで三色対抗リレーに出たことはない。


 彼女の提案に、翔太と矢島は血がたぎった。


「うおお、盛り上がってきたな!」


「最後の運動会、力を合わせて優勝しましょう!」


「……おう!」


 クロも頷く。翔太は拳を突き出し、声を上げた。


「よし、じゃあメロメロ大作戦から優勝大作戦にチェンジだ!」


「メロメロ大作戦って何!?」


 藤井の知らないところで立てられていた計画について、その後語られることはなかった。


 後日それぞれの参加種目を決める学級会が行われたが、二人の立候補にはクラスメイトたちも賛成し、このクラスの三色対抗リレーの男子出場者はクロ、女子出場者は藤井に決まった。他の種目の割り振りも決まり、クラス一同日々頑張って練習に取り組んだ。



 そして、運動会の当日を迎えた。青く青く澄み渡る秋空の下、お弁当と水筒をリュックサックに入れて登校し、教室の椅子を校庭に並べる。保護者たちも集まり、児童たちの入場、校長先生の話、選手宣誓など、お決まりの流れを経てプログラムがスタートした。


 午前中、翔太と他数名の選択種目である借り物競争があった。翔太の番は最後だ。しばらく真っ直ぐに走ったあと、封筒を拾って中に入っている紙を広げる。それに書かれていたお題は「好きなもの」であった。一体何を借りてくればいいんだと思ったが、すぐに閃いた。


「ははーん。これは誰か好きな人を連れて来れば盛り上がるやつだな」


 どうでもいいことに対しては頭が冴える翔太。クラスメイトたちのもとへ行くと、最前列に座っているクロと矢島が声をかけた。


「翔太、こっちに来たのか」


「お題は何ですか?」


「お題は『好きなもの』だ」


 翔太は札を見せびらかす。前から二列目にいた藤井はまさかと思い、焦った。


 このバカ、もしかして……。


 心臓が一気に早鐘を打った。手を伸ばそうとする翔太。藤井は反射的に体操着で手汗を拭く。


 そして翔太は手を握った――。クロと矢島の。


「やっぱり僕の好きなものはお前らだ!」


「ふっ、お前って奴は……」


「全力ダッシュで行きましょう!」


 三人で手を繋ぎながら走ってレースに戻る。クラスメイトは爆笑していた。


 結局三バカは最下位で終わったが、三人で手を繋いでゴールするシーンでは会場全体が謎の感動に包まれた。期待して損した藤井は、死んだ魚の目でそんな光景を眺めていた。



 借り物競争が終わると昼食の時間となった。翔太は教室でお弁当を食べたあと、両親のいるエリアにも行って軽く話をした。そのあと校庭にある自分の席に戻ろうとしたときに、藤井に声をかけられた。


「山田、ちょっと話があるんだけど」


「おう?」


 わけも分からぬまま、いつもの体育館裏まで連れて行かれる。


「さっきの借り物競争は何?」


 開口一番にそう言われた。藤井はなんだか怒っている。今年は優勝するって約束したのに最下位になってしまったからだろうと、翔太は焦った。とりあえず平謝りをする。


「すいません、ビリで……他の競技は頑張りますので……」


「それは仕方がないわ。そうじゃなくて、アンタって私のこと好きなのよね? どうして私も連れて行かなかったのよ」


 目が点になる。確かに翔太へのお題は「好きなもの」だったが、思っていたのと大分違う怒られ方であった。


「ああ……。だって手が二本しかないんだから、二人までしか連れて行けないよ」


「三人で私を担いで行けばいいじゃない」


「それ借り物競争じゃなくて騎馬戦だよ!」


「ああいうときは好きな女の子を連れて行くものだって、本に書いてあったわ」


 藤井の様子がちょっとおかしい。不思議に思ったが、すぐに合点がいった。


「なんだ、藤井ひょっとしてヤキモチ焼いてるのか?」


「それはよく分からないけど、私があのバカ二人より格下というのには抗議させてもらうわ」


「こうぎ……? こっちもよく分からんが女心は複雑なんだな」


「この際だから、はっきりと聞かせて。私とあの二人と、あとは……チョコアイス。どれが一番好きなのかを!」


「それはチョコアイスだな」


「なんでそこは堂々としてるのよ!」


「いくら藤井でも、そこを崩すのは難しいですぞぉ」


「なんで上から目線なのよ! もういい、アンタなんか知らない!」


 藤井は怒って校庭とは逆の方向に去ってしまった。怒っている藤井も可愛くて調子に乗ってしまった、と頭を掻く翔太。しかし、好きな子にはついイジワルしたくなるのが小学生男子の本能なのである。

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