第一話 長谷川庵


 一面雪化粧だった街並みの雪が溶けて、ぽとぽとと滴る雪解け水が、山を伝って川に流れはじめる春の日。

 雪乃は、白地に紅色の網目模様の交点を表した小紋を着て、注文を受けていた茶菓子を届けに、石川県の観光スポットでもある兼七園まで歩いていた。

 

 まだ、春寒の残る冷たい空気が雪乃の鼻腔を通過するが、街路樹に咲く桜の蕾は、日に日に膨らみを増し、春はすぐそこまで来ているようだった。

 雪乃は、そんな桜の木の下で時折立ち止まり、すれ違う外国人観光客を横目に、賑わう街並みを感じていた。

 

 兼七園の手前にある小道に入り、住宅街が並ぶ細い道を抜けると、伝統模様をあしらった加賀友禅の色留袖を着た初老の女性が、雪乃に向かって手を振っていた。

 雪乃は、左手で抱えていた風呂敷に右手を添え、小走りでその女性の元へ向かう。

 

 「菊子さま〜」

 

 「あらあら、雪ちゃんそんな走りなさんな〜。ゆっくり歩きまっし」

 

 茶道花月会の会長•富林菊子(とみばやしきくこ)は、小走りで向かってくる雪乃に、両手を前に出して走らないよう促す。雪乃は小走りをやめ、ゆっくり菊子の元へ歩み寄る。

 

 「早く菊子さまにお会いしたくって、ついつい。あ、こちらお届け物の茶菓子でございます。父が、いつも御贔屓いただきありがとうございます、と言っておりました」

 

 「なーも、御贔屓だなんて。この界隈では、長谷川庵の茶菓子が一番やさかいに〜。あんやとね」

 

 富林から冥利に尽きる言葉をもらい、雪乃は目を細めて礼を伝えた。茶会に参加する予定だという外国人観光客が、こちらに向かって歩いてくる。

 

 「雪ちゃんもまた、茶会に来まっし」

 

 「はいっ。またお伺いしますね。では、私はこれで、失礼いたします」

 

 そう言って、雪乃はまた街路樹の桜の蕾を見ながら家路につく。帰り道は、また一段と春寒の残る冷たい風が頬を刺した。

 

 

 雪乃が住むこの茶屋町は、新幹線が止まる大きな駅から、市営の周遊バスで10分ほどの所にある観光地だ。木虫籠(きむすこ)と呼ばれる格子が並ぶ街で、昔の風情と伝統を感じながら、四季折々の街並みを眺めることができる。そんな風情を感じさせる外観の多くが個人商店であり、カフェや着物レンタル、地酒やお土産の他、艶やかな芸妓さんの茶屋文化も存在し、老若男女が楽しめる場所なのである。

 

 そんな一画にある長谷川庵は、今日も看板娘の雪乃と母•由美子、大学生のアルバイトの加奈と絵奈が、表に立って忙しなく働いている。

 

 「今、お茶をお持ちいたしますね〜」

 

 茶菓子をもっと身近に感じて欲しいという、三代目の方針を受け継ぎ、長谷川庵ではガラスケースに四季折々の茶菓子を並べ、その場ですぐに食べられるよう、加賀ほうじ茶を無料で提供している。

 配達から戻った雪乃は、さっそく店頭に立ち、湯呑み茶碗が乗った小さなお盆を渡しながら、着物を着た若い女性の二人組に声を掛けた。

 

 「お待たせいたしました〜。ほうじ茶になります。お姉さんたち、お着物似合ってらっしゃいますね。今日は観光で来られたんですか?」

 

 「あ、はい!東京から来ました。北陸新幹線で。お姉さんの着物姿も、めっちゃカワイイです!」

 

 「私も思ったぁ〜。めっちゃ似合ってるぅ〜」

 

 「わぁ〜嬉しいです!そう仰っていただけて」

 

 お世辞でも雪乃は嬉しかった。

 この後、どこへ行ったらいいか?などと質問され、雪乃は美味しい海鮮丼が食べられる市場や、城下まちにある美術館などを紹介した。夜の観光地も風情があってまた違った景色になると伝え、ぜひ写真に収めてSNSに投稿して欲しいと伝えた。

 

 「ゆきー、これ頼むわ〜」

 

 奥の板場から、四代目亭主である父•順一に出来立ての苺大福を渡される。女性の口に合うようにと作られた苺大福は、値段の割に少々小ぶりなのだが、即完売になるほど店一番の人気商品だ。

 

 「あ、これもお願いできる?」

 

 亭主の横でニコニコとした目を向ける叔父の守が、桜餅が五個入った注文分の箱を指差す。

 

 「あ、姉ちゃん、これも〜」

 

 嫌がらせなのか、と言わんばかりに弟の旬もニヤニヤしながら、守と同じものを指差す。クククッ、と叔父が笑いながら、姉弟の様子を眺めている。

 

 「も〜、守おじさん、何笑ってんのー?旬、そこ置いといて。後でやるから」

 

 早くねぇ〜、と余分な一言を付け加える旬に、順一はゲンコツを加えた。

 

 「お前は手ェ動かせ、手ェを」

 

 「うぃー」

 

 温厚な守はそれを見て、またクククッ、と目を細めて笑っていた。

 長谷川庵の板場は基本、人を雇わない。秘伝の味を守る為だ。大きくし過ぎることはせず、身内だけで賄える範囲で商いをする。これは初代亭主から代々受け継がれている掟でもある。いつもこうした小さな小競り合いが勃発するが、温厚な叔父がいつも丸く納めてくれるため、今日も和気藹々と菓子づくりに勤しんでいる。雪乃も長谷川庵の居心地が良く、なかなかお嫁にいけないでいた━︎━︎。

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