第10話 言わなきゃ……なのか?

 片付けが終わり、凪海なみがお暇するとなった。

 先週の今頃は置き去りにされるようで酷く慌てていた。

 今日は普通に送り出しである。びっくりするくらい、あっさり慣れるものである。


 ニンゲン、経験は大事だな、としみじみ胸のうちで呟くヤスオであった。


 ただし帰り間際が前回より不穏さが漂う。

 威勢のいい別れの挨拶ではなく 未亜みあを呼びつける凪海だ。

 玄関の取次に一人残されたヤスオに、道路上で話し込んでいる二人が開け放たれたドアから窺える。なにやら深刻そうですらある。

 結論が出たのか。わかったな、と聞こえる声で凪海が確認すれば、うんと未亜もヤスオの耳にまで届く返事をしていた。


 今晩は凪海が帰ってで終わりとならないようだ。


 戻ってきた未亜から、話ししたいことがある、ときても自然な流れとして受け止められた。だけどやっぱり緊張はする。食事をしていた居間へ戻れば、畳に敷いた座布団へ正座していた。


 強張こわばった面持ちのヤスオの目前へ、湯呑み茶碗が置かれた。

 淹れた未亜も正面へ腰を落ち着ければ、まずお茶を呑んだ。どうやら張り詰めた気持ちはお互い様なようだ。

 ヤスオもまた少し神経をほぐすべくお茶を飲んだ。


「やっぱり美味しいですね、蒼森あおもりさんが淹れると」


 感心が緊張を上回って口に吐いて出た。


「そんなに気を遣わなくていいよ、やっちゃん」


 未亜はお世辞と取ったらしい。ならば殊更ことさらにヤスオは主張した。


「いえいえ、本当に美味しいです。自分ではこう淹れられない。なんだか、祖母が淹れてくれたのを思い出しますよ」

「それはやっちゃんのお婆さんに失礼じゃない」


 未亜なりの謙遜が、むしろヤスオに力を入れさせた。


「そんなことないですよ。うちのじぃちゃんに飲ませてあげたかったくらい、ばぁちゃんと同じ味がします」

「つまりやっちゃん好みに淹れられているってわけね」


 そうなりますね、と少々偉そうに返すヤスオだ。もちろん本人には自覚がない。自分の態度に気づいたら、きっとどもりながら謝罪を繰り出していただろう。


 くすっと笑った未亜だ。良かった、と付け加えてもくる。

 はにかむヤスオは、また呑む。味の感想はやっぱり変わらない。


 ほっと二人の間の空気が和らいだ。

 だからこそ大切な用件を切り出せるとなったのだろう。

 やっちゃん、と未亜が座り直す。

 はい、と湯呑み茶碗を置いたヤスオは両手を両膝に置いた当初の姿勢へ戻す。


「ちゃんと言わなければいけないことがあるの」

「言い難いことだったら、無理しなくていいですよ」


 ゆっくり未亜が首を横に振ってくる。


「ううん、やっぱり言わなくちゃいけないことだから。やっちゃんに迷惑をかけているんだからね」

「なにか迷惑をかけられてましたっけ?」


 真剣というより、本当に解らなくてヤスオは訊き返している。


「寝ている時間に帰ってくるなんて騒がしいじゃない?」

「でも起こされたことはありませんよ」

「だけど深夜の帰宅はわかっていたことなんだから、事前にやっちゃんへ伝えておくべきだったな」

「別にいいですよ。レオンが大変そうだったから、うちに住まないかと言ったのはこっちですし」


 ヤスオにすれば問題にする以前の話しだ。そこまでの気遣いは不要である。

 なんともないとする態度が未亜に手強い感を与えているなどと思いつかない。


「だけど、いきなり転がり込んできたくせに出勤前の朝だけしか顔を見せない女なんだよ。怪しくない?」

「ゲームとはいえ、一緒の時間をけっこう過ごしてきましたし。今日のあの無茶な攻撃、やっぱりレオンなんだな、とつくづく思いましたしね」

「あ、あれは、なんというか、日頃のストレスが出てくるというか。せっかくゲームしている時くらい熱くなりたいというか、なっちゃうんだよね」


 少し恥ずかしそうにしている未亜だ。

 ずずずっとヤスオはお茶をすする。呑まなければ、にやけてしまいそうだった。自分のいきなりな笑みは目にする者を不気味がらせる。

 ふぅ、と湯呑み茶碗を置く。気持ちは整えられた。


「良かった。蒼森さんみたいな美人さんでも同じなんですね」


 えっ? と未亜の目に不思議そうな色彩が宿った。


「自分もディフェンダーやっているのって、憧れからなんですよ。なんかこう強くて、誰かを守っているなんて、現実じゃ、絶対にあり得ないじゃないですか」


 ヤスオは細い。中年太りしていないと、たまに褒められる機会はある。けれども羨ましがられないのは、見た目や行動がしょぼいからだ。四十手前になろうかとする年齢で威厳の欠片もない貧相さだ。か弱すぎて、会社では下の社員にまで侮られる始末だ。

 何ができるわけでもない、周囲の見る目を変えられるわけじゃない。なんともない顔を装ってきたけれど、腹のうちでは願う姿がある。


「このチームが叶えてくれました、自分が成りたかったものを。だからとても感謝してますよ」

「お互いさまってことでいいのかな」


 軽快にいきたいヤスオだが向けられた笑顔が眩しすぎた。そ、そうですね……、とおずおずする返事である。

 だがこの後に為される未亜の告白に怖気付いてはいられなかった。

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