第20話 新たな火種

 サナユキは目を覚ますと、雑居ビルの中にある階段下の床に横たわっていた。

 周りを見渡すと、そこは異界ではなく、現実の東京。


 彼は膝に手をついて立ち上がり、体を確認する。いつかのように服は破れ、小さな傷が至るところにある。


 だが。


 ――生きてる


 人狼に囚われ、殺されると思っていた。


「ここは……本当に現実か?」


 サナユキは自分に問いかけるように呟いた。

 周囲の光景は間違いなく現実世界だ。これから出勤や登校するために、 忙しなく、駅を目指す人々の姿。


 日常の朝の風景である。


 軽い混乱状態だ。

 現実世界では数時間。

 異界でもわずか半日程度の間に、多くの事が起こり過ぎた。


 ビルの屋上から落下したコトハの安否。

 2人が助け出そうとしていた囚われたカンヌキ。

 親友のケイが退魔師であったこと。

 店で働く生保内の生霊が、実の母を呪い殺したこと。



 ――何から対処する



 サナユキは一旦、心を落ち着けて思考する。


 まず間違いなくコトハは無事である。


 コトハの式神であるチコは、死霊達の力を取り込み、風を操る力を身に着けた。

 火や水に放り投げられたならまだしも、空中であれば問題ないだろう。


 実際、コトハは落ちる直前に手を差し向けてくれた。

 死に迫る恐怖など微塵も感じさせていなかった。


 今は助けに来てくれたことには感謝しなくては。


「明日、異界に行こう」



 次は、小学校の頃からの親友であったケイが退魔師であったこと。

 サナユキを無理やり異界へ落とし入れた女と同じ退魔師。


 ――そんな話は全く聞いたことがない

 

 退魔師は、生霊ではなくサナユキと同じくが訪れている。

 つまりケイは今のサナユキのように、ずっと異界と現世を行き来していたことを意味していた。


 今すぐ電話を掛けて問いただそうとて、スマホに手を掛けたとき。


 電話が鳴った。


 ディスプレイに表示された名前は『生保内さん』であった。


 その名前を見ただけで、黒い感情が想起させられる。

 サナユキは通話ボタンを押すのに、一度ためらったのち、震える親指で緑色のボタンをスワイプした。


『……はい』


『お、俺だ。今日は、た、体調が悪くてな。店には顔を出せねぇ』


『体調?』


『そ、そうだ! 風邪だ、風邪!』


 焦った様子だ。

 なにかに恐怖しているかのような声。


 つい先程、同じ声を吐く存在を斬ろうとしていたのだから、なんともいい難い感情が胸をざわつかせる。


 生霊は現世にいる人間から生まれる。


 だが、生霊の記憶は、本体の人間には共有されない。あくまで心の深い部分、深層心理に影響するとコトハとサエから聞いた。


 おそらく異界でサナユキに斬り裂かれそうになったことが、本体にも影響し、オボウチは得体のしれない恐怖に支配されているのだろう。

 まったく同情するつもりはないが。


 ――つまり俺と会いたくない、と


 サナユキは逡巡しゅんじゅんする。

 異界で多くの術持ちの死霊を喰べたことにより、頭の回転が更に早くなった。

 多くの想定や、これから起こることの予想を立て行くサナユキ。


 そして1つの答えにたどり着いた。


『ど、どうしたんだっ?』


 少しの間沈黙したサナユキに対して、オボウチが不安がった。

 相変わらず肝の小さな男である。


『わかりました。店のことは任せて、ゆっくり休んで下さい』


『お、おう! それなら――』


 オボウチの返事を待たず、サナユキは通話を切った。


 コトハやケイのことは気にかかるが、が迫ってるのはオボウチの方だろう。


 サナユキは急いで店へと戻り始める。


 ――時間との勝負だ


 走りながら、切ったばかりの電話アプリから、今日の午前に来る予定になっているアルバイトへ電話を掛けた。そして、今日の午後は、店を休みにするように指示を出す。


 店のドアをバタンと開け、 普段、オボウチがこもっている厨房ちゅうぼうの奥へと急ぐ。

 そこに置いてあるPCを開け、電源をつけた。


 ――やっぱりロックが掛かってる


 不正の証拠が詰まっているPCは相変わらずログインができない。

 サナユキは当たり前のように周囲にある付箋紙ふせんしや乱雑に書かれたノートに目を通し始める。


 大半はスロットやソシャゲの情報ばかり。

 たまに店に関わる情報が出てくる程度。


 高まった集中力や直感力により、速読するようにページをめくりながらも情報を頭の中で高速で取捨選択していく。


 そして、その中の1ページで手が止まった。


「これは――」



 メモの内容をスマホで写真を撮る。


 そして開店前のカウンターに置いてあるPCで必要な用紙プリントアウトすると、 全てカバンに詰め込んだ。


 準備を終えると同時、大きく深呼吸した。

 覚悟を決めるように。


「行くぞ」



 一人つぶやき、サナユキは店を出て、中央線へと乗る。

 電車の中で流れるニュースは相変わらず、都内で増える謎の不審死について持ち切りだ。


 ディスプレイには目も向けず、まっすぐに向かった先は現世の中野駅。


 駅を下り、一直線に向かった先は、オボウチのアパートである。


 しばらくアパートの下で隠れて見張っていると、案の定、怯えきったオボウチが出てきた。

 肩まで見えるほどヨレて、白いシャツとスウェットにサンダルという姿。

 居ても立っても居られずに、飛び出したという風体ふうていだ。


 ――間に合った


 胸をなでおろすサナユキ。

 もとより風邪などとは嘘だと言うことは分かっている。

 

 さらに言えば、これから向かう先も、予測がついていた、

 問題は、準備を終えるまでに間に合うかどうかであった。


 静かに身を隠しながら、後をつけるサナユキ。


 コソコソと人目を避けるようにオボウチが向かった先は、駅から離れた古いビルの地下。


 オボウチは慣れた様子で中へと入っていく。


「あそこか」


 ビルの入口ポストを見ると地下1階のテナントに入っている会社は『株式会社 人材アセット&経営コンサルテーション』という名前だ。


 ――予想通り


 名前はすでに知っている。

 以前、サナユキがオボウチのPCを見たときに送金されていた会社名である。


 法務局から取り寄せた登記簿に記載された住所には以前訪ねてみたが、全く別の会社が入ってるダミーの住所であった。


 完全に人気配がしないことを確認して、ゆっくりと足音を立てず、階段を降りる。

 降りたすぐ先には、何の表札もかかっていない薄い木の扉が1枚あるだけだった。


 扉に耳を当てるサナユキ。


 すると、小さな声が聞こえてきた。 人によっては感じ取れないほどのかすかな声だ。完全には聞き取れないものの、感覚能力と補完能力が向上しているサナユキには、おおよそ内容が理解できる。


「シンジさん! も、もういいだろう!? 十分、金は絞れた」


 オボウチの声だ。


 そしてシンジという名前には聞き覚えがある。


 ――人狼か


 先ほど、力を付けたサナユキですら圧倒するほど力の強かった生霊。

 その本体であることは間違いない。


「久しぶりに顔を見せたかと思ったら、別の場所へ移りたいって? あれだけ美味しいシマなんかにない。何でそんな事を急に言いだしたんだ?」


「わかんねぇけど、もう無理なんですよ! あのガキの事を考えると、何か背筋にうすきみ悪いものがゾワゾワとってくるみてぇだ」


「ったく、お前、変な薬にでもハマってんじゃないのか?」


 気配からして、どうやら中には2人しかいないようだ。

 迷う理由はない。


 ――やるか


 サナユキは錆びたドアノブに手を添えると、力を込めるた。

 そして、力強く扉を開ける。


 中は机が数個並べてあるだけの殺伐としたオフィス。

 そして、2人の男。


 その2人の視線がサナユキへと注がれる。


 1人はよく知る男、オボウチ。

 驚き戸惑いながらも恐怖に顔が染まっていた。


 もう1人は中年で、線は細く、身なりに気を使っているスーツの男だ。

 いかにも成金風な出で立ちが、古いビルと隣のオボウチと不釣り合いである。


「君、店を間違えてるぞ」


 シンジが静かな声で話しかける。


「いえ、あってます。ね? オボウチさん」


 サナユキが真顔で問いかけると、オボウチが2歩、3歩と後ろへと下がりが始めた。まるで山の中で巨熊にでもあったかのように。


「な、ななっ何で、お、お前が、ここにっ!?」


「どうでもいいです。それより、この会社は、うちの店から毎月たくさんお金を払っている会社のようですね?」


「ちッ」


 状況を察して、悪態をついたのシンジ。

 オボウチを睨みつけると、サナユキへと再び振り向く。


 その顔には、営業用の笑みが貼り付いていた。


「おやおや、取引先の福猫のオーナーでしたか。オボウチさんからは、何度かお話は伺いましたよ」


「そうですか。俺は1回もあなたの話を聞いたことがないです」


 一瞬だけ、明らかに不快そうにシンジの笑みが崩れた。

 だが、それもすぐ立て直し、気味の悪い笑みを続ける。


「で……ご用件は? ここは事務所でして、お話が必要なら近くの喫茶店にでも」


 サナユキは 事務所から遠ざけようとするシンジの言葉を無視して中に入っていく。


「いえ、ここで結構です。 用件は簡単です。毎月店から あなたの会社に支払われている金についてお伺いしたいだけです」


 シンジが 振り向いて、怯えるオボウチへと目配せすると、オボウチが壊れた人形のようにブンブンと首を振る。


「どうやら、話の行き違いがあるようだが――」


 サナユキはシンジの言葉を待たず、言葉を挟む。


「いいですから。返して下さい、全額」


 シンジの貼り付けていた笑顔が崩れていく。

 中から現れたのは、いかにも他人を見下して生きてるかのような不愉快な顔。


「こっちが下手に出てたら、さっきから何だその態度は」


「オボウチさんが、無断でそちらの会社に店の金を流していました。正直、背任か横領だと思っています」


 先ほどまでの人好きする営業スマイルから一転、ニタリとした下卑た笑みを浮かべ始めたシンジ。


「あのな、坊主。 大人の世界は簡単じゃないんだ。もっと世間を知ってから、出直してこい」


 サナユキは視線を逸らさずに、冷静に答える。


「回答になってませんよ? 簡単か難しいかなんて、聞いていません。 払ったお金を返してくれと言っています」


「ははっ! そういうのが世間知らずだと言ってるんだ」


 シンジは自分がいる机の引き出しを開けて、パラパラと書類をめくる。

 そして、その中の1つを取り出し、机の上へと放り投げる。


 契約書だ。


「わかるだろ? 経営顧問として、契約に基づいて支払われた正当な報酬だ。何の不正もないんだ、返すも何も無い」


 サナユキの表情が曇る。


「……確認していいですか?」


「お好きに」


 サナユキは差し出された契約書を確認する。

 経営顧問料として毎月費用を支払う約束のようだ。

 ページの最後には確かに店の印鑑を押されていた。



「な? わかったか? 契約がある以上何の問題もない。 帰りな、ガキが」



 勝ち誇ったような顔を近づけ、耳元でささやくシンジ。

 完全に言いくるめたという認識があるようだ。


「分りました――」


 サナユキの言葉を鼻で笑うシンジ。


「それでは後は弁護士に任せしましょう。この契約書は預かって、コピーを取らせてもらいます。どうせ店には残ってないでしょうから」



 サナユキが続けた言葉に、2人の表情が崩れる。


「なんだと」


 慌ててサナユキが手にした契約書を奪い返そうとするシンジ。

 だが、その手をヒョイと避けたサナユキ。


「この契約書が欲しかったんですよ。裁判するにしても示談するにしても、後出しの証拠を出されては困りますから」


 何からの工作はしているとは思っていた。


 わざわざ店舗まで乗り込んだのは、相手が出してくるであろう契約書の原本を手に入れるためである。

 弁護士に相談するにしても重要書類が手元になくては、なかなか話が前に進められない。


 相手の実住所と必要書類。

 その両方を手にする機会などそうは巡ってこないと思ったからこそ、今動いたのだ。


「ちょ、ちょっと待て。だから、これは顧問料で正当な――」


 なおも言いわけを続けようとするシンジの言葉を遮ったサナユキ。


「オボウチさんは店長ですが、 オーナーは俺です。本来、勝手に店の名前で契約はできません。いずれにせよ無効な取引だと申し立てる予定です」


 オボウチとシンジの顔が一気に曇る


「そ、そんなものが通るわけがない! 契約は契約だ!」


 サナユキはカバンからファイルを取り出し、それを机の上に置いた。


「帳簿記録、経費と購買記録、入出金記録、通話記録、 メール記録の写しです。ここに来る直前に、店にある端末から全てをコピーしておきました」


 オボウチとシンジの視線が机に置かれた冊子に注がれる。


「正当な顧問料なら業務の証跡があるはずです。ですが、不思議なことに、入出金記録以外に、あなたの名前も会社名も出てきません。一切です」


 資料を手にしながら、うろたえるオボウチ。


「何で……お前には……パスワードを教えてなかったのに」


 オボウチが見る見る青ざめていく。


「ええ。でもメモに残ってましたよ。 パスワードを頻繁に変える人は他人が見てもわからないようにパスワードをメモをとって、パソコンの近くに置いておくことが多いそうですね。でも簡単にわかりましたよ。だって、オボウチさん、果物の品種名なんて興味ないでしょ」


 パスワードを探すために手にしたメモの中に1枚だけ、 果物の品種名の羅列があったのだ。 桃、林檎、葡萄など統一感なく書き連ねられた品種名がパスワードだと直感したサナユキが試すと、一番下に書かれた、さくらんぼの品種でロックが解除できたのだ。


 異界でも【果樹園】を守っていたオボウチ。

 潜在的な意識が、果実を連想させるものをパスワードとさせたのかもしれない。


「ちょ、直接、会って話してたから、記録も残ってないだけだ!」


 オボウチが恐れながらもが声を荒らげる。


「業務時間外に? それも経費も全く使わずに、全部自腹で相談に来てたんですか? 業務の終了時間だけは絶対で、ボールペン1本も経費で落とす、あなたが?」


「うっ……」


「俺は別にどちらでもいいですよ。店の損益を、このシンジさんという方からではなく、あなたが補填してくれても。失ったものが返って気さえすれば、誰が払ってくれても構いません」


 シンジとオボウチの目が泳ぐ。


「子供だから適当な言葉であざむけると思っていたのなら、それは間違いです」


 サナユキは契約書を片手に持って、出口へと歩き始める。


「後ほど弁護士から内容証明が送られると思うので、対応お願いします」


「お、俺がいなくなったら、店の営業認可が無くなるぞ!?」


「あ、それは大丈夫です。 俺も愛玩動物飼養管理士を取得することにしました。調べてみたら15才以上なら受験資格があるようです。だから、もう、あなたがいなくても問題ありません」


 サナユキは冷たい目で、オボウチを見下ろした。


「オボウチさん、あなたはクビです。 これだけ店に被害を与えたのですから。店に置いてある私物は家へ送るので受け取って下さい」


 呆然とするオボウチ。


「え……お前は――」


「では」


 サナユキは戸惑う2人を置いて、オフィスを後にした。



 ◆ ◆ ◆



 その頃、異界。

 コトハとサナユキの帰りを拠点で待つサエ。


「や、やっぱり着いていくべきよね、ね? 私の方がお姉さんなんだから。……うーん、でも私は戦えないし、足手まとい? でも、でも怪我したら直してあげられるし」


 独り言を口にしながら、拠点の中を歩き回るサエ。


「――ああっ! もうらちが明かない! 心配だし、行く!」


 サエは決心したように建物の外へ足を踏み出した。


 拠点から出た直後。


「ひゃっ」


 突然、サエの目の前に何かが、すっ飛び降りた。

 それが何であるかは、すぐに理解できた。


「ど、どうして、ここに!?」


 サエの眼の前にいるのは、 影のように黒い毛をまとった、2足歩行の狼。


 人狼である。


「君たちの拠点や行動など、ずっと昔から知っている。 ただ、 静観していたに過ぎない」


 サエは何も答えず、急いで拠点の中へ逃げ戻ろうとする。


 素早く腰へと毛むくじゃらの左腕を回す人狼。

 そして、サエを抱え込んだ。


「は、離してッ!」


「心配しなくていい。何も襲いに来たわけではない。プレゼントをしにきたのだよ」


 右手をそっとサエの前に差し出す人狼。

 手の平に乗っているのは、白い目のある『卵』。


「これが誰だか、分かるかい?」


 サエの表情が固まった。

 抱えられていることも忘れるほどに、その白い卵を凝視するサエ。


「ずっと探してたんだろう? これを君に渡そうじゃないか」


 震える手で、卵を手に取るサエ。


「あ、あああっ……そんな……」



 人狼の表情がニタリと崩れる。




「そうだ。君が、殺したいほど憎む相手だ」

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