第23話 白衣の男は


「あら、先生」


 俺の向かいで、暁子さんが期待のこもった声でその人のことを呼んだ。――先生?


「……すみません、斑鳩さん。今日もやはり久遠くんは心を開いてくれそうにありませんでした」


 その人は、本当にすまなそうにそう言った。俺は、なお彼のことを凝視していた――――だって、そいつの姿は。


「お前、だったのか……!」


 口の中で小さく呟く。リビングに入ってきて、暁子さんに謝ったのは、あの白衣の男だったのだ。【暁の層楼】で久遠のカメラが捉えた、謎の男。久遠のことを迎えに来ている素振りだったようなアイツ――。


「ああ、神尾くん」


 暁子さんが俺の方を向いて笑顔で言った。


「この方、精神科医の岸先生。久遠のことを任せているんだけれど……やっぱり難しいみたいで、こうして定期的に来ていただいて、診療してくださってるの」


「こんにちは。岸、と申します」

 

 そう、白衣の男――岸が挨拶した瞬間だった。俺は思わず口に出していた。


「医者……? だめだ、それじゃぁだめなんです!」

「どういうことですか?」


 岸の顔が曇る。俺は構わず続けた。


「久遠の心に強制しても意味ないんです! 久遠が自分から戻りたいって思わなければ……あなたが“迎えに行っちゃ”だめなんです!」


 だって、久遠は、あなたのことが嫌いっぽいから。


「君は……何を言っているんだね?」


 暁子さんも心配そうな目で俺を見る。

 医者……精神科医といったか。きっと人の心を理解するプロなんだろうな。でも――だめなんだ。


「あなたが居ては、あいつは戻ってきません! ちよっと俺、行ってきます」


「あっ、ちょ、待って!」


 岸と暁子さんが止めようとするが、俺は難なく彼らの横をすり抜けて、廊下に出た。キョロキョロと階段を探すと、あった。迷いなくそれを駆け上がる。下からバタバタと二人が追いかけてくる音が聞こえたが、それより先に俺は久遠の部屋らしきドアを見つけた。


 二階の他の部屋のドアは開け放してあるのに、その扉だけ、何だか重々しく閉め切られているような感じがする。たぶん、ここだ――ここに、久遠が。


 俺は、その黒いドアノブに手をかけた、そのとき。




 ――待てよ。


 心のなかに響く声。


 ――もし仮に、斑鳩久遠がその中に居たとして、本当に俺に会えば、元の世界に戻れるのか? ただ拒絶されて、俺の心が傷ついて、それで終わるんじゃないのか?


 俺の中にほんの少し残る不安という気持ちが、語りかけてくる――確かにそれも考えた。もし、久遠が俺のことを拒絶したらどうしよう。もし、異世界で出会ったことを“覚えていなかったら”どうしようって。


 考えれば考えるほど怖くなった。


 だけど。


「大丈夫な気がするんだ」 

 

 たとえ、大丈夫じゃなかったとしても。


「俺が、あいつを助けたいから。あんなに、遠隔操作のカメラまで作って、世界の謎を解こうとしていて、何回もあの世界を生きて、出口に向かおうとしていた久遠が、戻りたくないと思ってるわけがないんだ!」


 俺は、相棒のために出来ることをやる。

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