4話 痛覚

 吹き荒れる風が前髪をかき上げる。


 地平線の端まで続く起伏の緩やかな青い草原と清々しい気分にさせてくれる青空に浮かぶ太陽。俺を迎え入れてくれた二層の景色は確かに『豪風の草原』という名に相応しかった。


 それにしても、地中とは思えない環境だ。一層の陰鬱とした感じとは正反対で、自然の雄大さにどこか感動すらしてしまう自分が居る。


 いや、良くないな。気を引き締めないと。


 ギルドが定めた二層の適正ランクはCとされているが、普通Cランクは二層に入らない。


 二層の魔物は毒や幻覚、精神攻撃など厄介な特性を持つものが多く、その対処には高価な毒消しや無幻剤が必須となる。簡単な依頼しかこなせない低ランクにはそれらを揃える財力は無く、実質的に二層の難易度はBランク級だというのが冒険者間での評価だ。


 それに、『豪風域』もあるしn


「きゅいっ!」

 

 ──っ鳴き声!?


 ほぼ反射的に鳴き声が聞こえたのと同時に振り返る。と、そこに居たのは赤い瞳に白い毛、見た目は単なるかわいいウサギ……だけど、ダンジョン内に居るってことは


魔兎まとか」 


 魔兎はDランクのうさぎの魔物だ。なーんだ、と俺は胸を撫で下ろす。俊敏性こそ若干厄介だけど、一層で何回も倒したことのある敵だ。


 魔兎はじっとこっちを見つめて動こうとしない、隙を窺っているんだろう。だから俺も目を合わせたまま腰に刺してたダガーナイフをゆっくりと抜く。


 かつん、と引き抜いていたナイフの柄がベルトの金具とぶつかる。音と同時に魔兎の目が光ったように見えた。


「きゅ──」


 俺が気を逸らした刹那、コンマ一秒にも満たぬ時間。魔兎が居た場所には鳴き声だけが残される。


「──っっっい」


 はっ!?  見えなかった!?速すぎる


 俺が魔兎が一瞬にして消えたのを認識したのと同時に、奴の常識を遥かに超えた速さの移動によって生まれた衝撃波が俺を襲う。


 後ろを振り返った俺の視界、衝撃によって空中に舞い荒れるバラバラになった草花のその隙間、かろうじて捉えた奴は


 まさか、いやそんなハズは無い。たかが魔兎だ。


 まさか、有るよな、有ってくれ。硬直した首を無理やり右に捻る。錆びた歯車のように小刻みに震える視界には、あるはずの物が無かった。


 違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 見間違えだ、そうに違いない。右手でこのおかしくなってしまった目を擦ろうとして、それすら出来ないことに気付く。

 

 「っっあ゛ぁぁあぁぁぁぁ!!!!!!!」


 既に魔兎は居なくなっていた。

 

 

 




 何時間経っただろう。


 二層は太陽はあるものの、昼とか夜っていう概念がないせいで時間の経過が分からない。着ていた服で止血はしたが、それでも意識は朦朧としてきていた。俺はこんなところで死ぬのだろうか。


 視界はどんどんと黒いモヤで狭まっていく。唯一幸運と言えるのは、生命反応が弱りすぎたせいか『豪風』が発生していないことだけか。

 

「……い!」


 若い女の声のようなものも聞こえだした。


 いよいよ俺も限界が来ているのかもしれないな。女神様が迎えに来てくれたのだろうか、こんなところで叫ぶ馬鹿は居ないだろうし、それぐらいしか思いつかない。


「……~い、……んか!?」


 いや、コレ幻聴じゃないぞ。徐々に声が近付いてきている。


「誰かー!! 誰か居ませんか!?」


 捜索隊だろうか? 俺はこっちだ!ここに居る!


 声を絞り出そうとするが、何故か声が出ない。くそっ、俺はここに居るんだ! 助けてくれ!


 せめてもの主張として、左腕を高く上げた。


「誰かー!!誰か居ませ……って、えっ大丈夫ですか!?」


 もう目は見えなかったが、頭上で緊張感の無い声が聞こえる。


「あ、私はサクラ シズクって言います!」


 オイ、自己紹介してる場合じゃないだろ。っていうか変な名前だな。


 それだけツッコんで、俺は意識を手放した。

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