蒸し暑い夏の日。故郷に帰ってきた俺。そこで久しぶりに会った遠距離恋愛中の彼女が寝取られていた。どうしてこうなってしまったのだろう。こうなるしかなかったのだろうか。
ネムノキ
無題.1
夏。
俺は大学1年生の夏休みに、大学生になってから初めての帰省をした。
両親はさほど心配もしていなかったが、逆に俺が故郷を恋しく思うようになり帰省を望んだのだ。
高校生までは、あのどこまでも青い海と、緑の深い山々に囲まれた生まれ故郷を嫌がっていたというのに。まだ3か月ほどしか経っていないというのに。どうして、こうも俺は女々しい男になってしまったのだろう。
要するにホームシックというやつだろう。俺の生まれ故郷は、港町というやつで、山々に囲まれているというのに、海が近い。何なら目と鼻の先に海がある。毎朝、漁船の汽笛で目が覚めるといった具合だ。
坂道が多く、とてもじゃないが自転車などを常用することはできない。村の人々はみんな原チャリか、車などを使っている。
もちろん電車の一つも通っていない。見渡す限りの自然、自然、自然。
俺はそんなところで、生まれて育った。
「帰ってくるまでも一苦労だ。電車で行けるところまで行って、そこからは家族の車に乗せてもらって帰らないといけない」
「そうねぇ。もっと近くまで鉄道が走ってくれてたら、いいのにねぇ」
運転席では、高齢者である俺のおばあちゃんが注意深く運転をしている。そろそろ免許返納をしようかしらと、迎えの車で会ったときに言ったものだから、俺は少々おばあちゃんの運転を信頼しかねている。冗談じゃない。このカーブばかりで坂道だらけの道で、脇に逸れたりしたら、車の中でひき肉ミンチになりかねない。もう木々に揉みくちゃにされながら、落ちるところまで落ち続けるだろう。
「俺が大学入って車の免許でも取れる時間があればいいんだけどな」
「そうよねぇ。勉強とかで忙しいものねぇ。なかなかそんな時間ないわよねぇ」
「それに向こうで免許取ると高いんだよ」
「世の理ねぇ……」
軽自動車が坂道を悲鳴を上げながら駆けあがっていく。
そんな、もうどうしようもないくらいの、僻地にある故郷。
大学一年生の夏。
俺はいてもたってもいられなくなり、都会から逃げるようにして帰ってきた。
一年生ながら非公式で所属するようになった研究室の先輩たちからは、昔の自分を懐かしむような眼差しで見られて、少しだけむず痒かった。
「あそこの娘さんとは仲良くやってるのぅ?」
急におばあちゃんが、思い出したように俺の彼女のことを尋ねた。
そうだ。
俺は彼女に会うためにも帰省をする決意を固めたんだ。
3か月という、短い月日でありながら……
すでに疎遠になってしまって、もうしばらく連絡を取れていない……
俺の大好きな彼女。
「ああ……。仲良くやれてるよ」
「そう、よかったわぁ。最近あの娘の話を聞かなくなったものだから、おばあちゃん。心配してたのよぉ」
「そう。まぁ、大丈夫だよ。俺たちの仲だから」
「よかったわぁ。おばあちゃん、ひ孫の顔を見てから死ねるかしら。うふふ」
「…………」
ひ孫の顔を見てから死にたい。そんな言葉が常套句になったのは、いつからだろうか。そんな遠巻きに性行為の存在を暗示できる言葉なんて、そうそうないだろう。
そもそも、親が言う、子供の顔がみたいなんて言葉も、そういう類の言葉だということに、俺は気づく。
そのようなことを自然に言ってしまうのは、果たして家族の内だからだろうか。とてもじゃないが、外の他人に向けてそのようなことはいえない。
……
……
……
俺は家族から向けられる、この「子供の顔がみたい」という言葉ほど気持ちが悪いものはない。
俺の彼女とエッチをしている最中に、何回家族の顔が浮かんだことだろうか。もう思い出したくもない。
どうして、そんなことをわざわざ子供に言うのだろう。どうして子供の顔がみたいなんて無遠慮にそんなことが言えるのだろう。どうして親のために子供なんて生まないといけないんだろうか。どうしてただただ、気持ちいエッチをするだけではいけないんだろうか。
……
……
その言葉には、「子供を産むことが生命としての当然の義務」という意味が込められているようにしか、俺は思えないのだ。
親のあの、優しく慈愛のこもった顔から、嬉しそうに吐き捨てられる、そんな無自覚で残酷な言葉を浴びて……
俺は……
俺は……
「女の子かしらねぇ。男の子もいいわねぇ。名前とか考えてるのかしら。ねぇ」
「ああ……」
どうして、こうも田舎は住みにくいのだろうと、思ってしまったんだ。
窮屈で、人との関わりが密接で……
いつしか、このどこまでも清々しい漁師町を、俺は嫌いになっていたんだ。
でも、それなら。どうして俺は……
帰りたいなんて思ってしまったのだろう。
向こうではうまくやっているつもりだ。
なのに、どうして。
「はやく会いたいよ」
俺は故郷においてきた、彼女の顔を思い浮かべる。
高校生になってから、ここに住みついた君のことを考える。
気が狂ったように、体を交わらせていた、高校生の夏の日のことを思い出す。
磯で……
渓流で……
神社で……
雨の日だって……
もう、どこにいたって、気が付いたらそういうことをしていた、一年前の夏。
君は元気にしているだろうか。
「ふふふっ。なんだい、女々しいこと言って」
おばあちゃんが、左手で俺の太ももをはたいた。
助手席の窓ガラスからは、どこまでも青く、そしてどこまでも果てしなく続いている……
そんな真っ青な海が広がっていた。
【続く】
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