第4話 当たって砕ける

 アルヴァトは問いに答えると、話は終わりだと言わんばかりに鉄扉を軽々とした動作で蹴った。一見して、力は入っていない。ところが、重い扉は紙切れのように吹き飛び、くしゃくしゃとなって石の通路を走った。


 コメント欄は混乱と恐怖に沸く。


:は?

:え……世界の終わり?

:魔王⁉ 魔王ナンデ⁉

:【悲報】家の近くにあるダンジョンで魔王が目覚める。たすけて

:というか当たり前のように鉄扉を蹴破らないでください魔王様!

:信じらんねぇ、嘘じゃないのか?

:え、これが魔王? 女の子やん

:可愛い

:異世界人ではないのね。すごい和服だし

@炎の魔人:魔王ねぇ……あんま強そうには見えねーけど


 また、世界的に注目されている生配信である。不可解な人物の登場はもちろんのこと、〝魔王の目覚め〟も素早く拡散。普段配信を見ない人から、迷宮への興味が薄かった人すら集まったため、同時接続数は2億の大台に乗っていた。

 

 疑う者も当然いて、仕込みだの陰謀だのと騒ぐ者までいる。

 

 もっとも、アルヴァトには関係ない。静かに眠る少女を抱えて、迷宮をさかのぼっていく。余程実力に自信があるのか、警戒心は全く欠けていて、その足取りは実に堂々たるもの。


 しばらくは小さな足音だけが響いていたのだが、少しして、アルヴァトは立ち止まった。外側から壁に穴を空けようと叩き壊したとしか思えない、瓦礫が散らかっている場所を見付けたのだ。


 黙っていたAIが声を発する。

 

「この扉を破ったのは主です。先の強力な魔物に腕を切り落とされ、命綱たる武器を損傷してしまい……正に絶体絶命でした」


 機械音声だというのに、妙に悲痛さが感じられる声色だった。それにアルヴァトは「そうか」と短く返し、迷わず穴を潜った。



 到着したのは、各所の燭台に灯った蒼い炎で明かりを確保している、観客席に取り囲まれた円盤闘技場。広く、古びていて、血の匂いを錯覚させる場所であった。加えて、まともな光景はなかった。舞台に限って言えば、レンガ畳の一部にどす黒く変色した水玉模様が見られる程度。しかし、観客席は特に奇々怪々。――壁や天井に至るまで、びっしりと客席が詰まっていたのだ。重力を無視した構造が目立つありさまは、歪そのもの。とても人が座ることを前提に作られたとは、考えられなかった。


 だが、全ての席に誰かが着いていた。――である。枯れ木のような体付きの影がニヤニヤと下品な笑みを浮かべて、落ち窪んだ白い双眸そうぼうにて登壇者を見下ろしているのだ。それらがなにを待ち望んでいるのか、舞台の中心に立つ存在が物語っていた。


 ――生者の血を! 苦痛による悲鳴を! 壮絶なる最期を!


 それは、3メートルを超える暗黒色の甲冑かっちゅうを纏った騎士だった。かぶとから垣間見える、殺意が籠った紅い眼光。全身から垂れ流される、黒々しい不気味な瘴気。……目撃者は知っている。奴がいかに強く、残酷な化け物なのか。身体能力のみならず、見事に磨き上げられた戦闘技術を扱うのか。


 暗黒騎士はアルヴァトを目にすると、背中の錆びた大剣を抜いた。刃先が床に付いて、甲高い音を鳴らす。間もなく、邪悪な魔力を舞台の隅々まで行き渡らせた。


 

 外見はひ弱な少女そのもののアルヴァトだ。あの暗黒騎士と対峙した時、視聴者に与えたのは心配だった。

 

:そいつヤバいから逃げた方がええで⁉ 

:魔王だし大丈夫でしょ、自称だけど……

:本物とか偽物とかどうでもいいから八千代ちゃんを危険な目に合わせないで

¥50000 @イーサン・ギブソン:AI、彼女に警告はできるか?

:うーん、これは終わったな


 イーサンの声を拾い、AIは警告する。


「アルヴァト様、あの魔物は強力です。主を抱えたままでは不利かと」

「不利? なぜだ?」

「回答します。あの魔物は、音の速さに近しい移動速度を実現しているためです」

「音の、速さ? ……分かった」


 だが、アルヴァトは眉をピクリとさせて頷きつつも、殺気を放つ暗黒騎士への歩みは止めなかった。


:分かってなさそうで草

:もしかして音速とか伝わってないんじゃね?

:え、どうなるんこれ


 人々が不安に思ったその時、暗黒騎士は腰を落とし、大剣を横に構えた。なにをしようとしているのか、などと考える暇はなし。ふと気が付けば、幻影だったように消えていて――



 バリン!


 

 なぜか突然、ガラスの割れる音が鳴り響いた。カメラに映っているのは、右足を突き出したアルヴァトと、笑顔のまま固まっている数々の影。最も存在感を放っていた暗黒騎士はどういうわけか、どこにもいない。代わりに、魔王の前で黒い破片が飛び散って、大剣がカンカラリと力なく転がった。


 刹那を認識できた人物は見た。闘技場の支配者が、魔王にはかなき死をもたらされた瞬間と、なにひとつ成果も得られずに終わった憐れな騎士を……。


@菜の花ちゃんねる!:砕けた? え、砕いた?

:んん? 剣だけ? どこ行ったあいつ

:あれ、死んだと思ったのに生きてる

:ふ、普通に歩き出したし……というか、なにあの破片

:理解が追い付かないけど、破片って多分あの魔物だよな?

@C・V(公式):最高だ! それでこそ魔王だ!


 コメント欄が困惑に包まれる中、観客席を黒色に染め上げていた影の半数がゆらりと立ち、手の平をアルヴァトたちに向けた。


@炎の魔人:まだ終わってねーみたいだな


 ガラガラとした詠唱らしき声まで聞こえてきて、おどろおどろしい雰囲気が漂い始める。殺気だ。必ず殺してやるという意思が、それらから溢れていく。手の平に、球体として作られるが、それは、中断せざるを得なくなってしまった。――狂乱した仲間の影に飛びかかられたからだ。


@炎の魔人:は?

:なに!? 今度はなんなの!?

:おいおい、仲間割れか?

@イーサン・ギブソン:ま、なんにせよラッキーじゃねぇか! さっさと抜けられるな!

:いや、これは……本当にただの仲間割れなのか?


 

 ――魔物は叫ぶ。

 

ヤ、アルヴァトォアルヴァトだ!』

 

 ――仲間に警告する。


『アアア! ナオラ、カーカラント余計なことをするな! ヘア、セラムレス、ト、ノエルム一人残らず殺されるぞ!?』


 ――同族を踏み越える。


テメ、マルコリスどけ、邪魔だ!』


 

 善意か否か、凶行に走る仲間を止める。またはみにくくも他者を踏み台にして逃亡を図る。魔物が取るにしては、あまりに人間味を感じさせる行動だった。そんな騒動をアルヴァトは歯牙しがにもかけず、僅かな言葉のみ漏らす。


やかましい亡霊どもだ」


 立ち去る魔王の背後では、阿鼻叫喚が繰り広げられるのであった。

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