第9話
綺麗な思い出と、汚い過去が混じり合う。
あの時、逃げる自分を生み出さなかったら、今、どうなっていたのだろう。
自分がパティスリーに行くことはなかった。
ミントに会うこともなかった。
ここに来ることも、タイムと話すこともなかった。
全部、イフだってことはわかっている。けれど、これまでの分岐点で異なる選択をしたら、逃げなかったらどうなっていたのか。
どうしても、今を悪者にして、掴み取らなかった未来こそが理想だと思いたくなる。
それは結局、再びの逃避であることに、気づきながらも。
トントン、と肩を叩かれた。振り返ると、頬に指が刺さった。
「うっそ。初めて成功した……やったぁ!」
ミントが笑う。くしゃっと笑う。
時の流れをまだ掴み切れてはいないけれど、イチゴショートのてっぺんが緑色で、イチゴの被り物を被っているように見えるあたり、そこそこ時間が経っている気がした。
「あれ、ちゃんと扉開けて入ってきた?」
「うん。もちろん。ユズ、めっちゃ集中して本読むね」
「あ、あぁ」
「それ、あたしも好きだよ」
「そう、なんだ」
ミントと話すと、先ほどの写真が脳内でチラついた。やはり、正直に言おうか。ミントが言葉にするのを待たずに、どういうことなのか問うてみようか。
考えていると、言葉が詰まる。
「あ、そうだ。お茶、ありがとう。美味しかった」
写真の話題を、避けた。考えることから、逃げた。
「ふふふ。よかった」
遠くから、トントントン、という音がした。
音がする方を見ると、ミントがニヤリと笑った。
「今日のご飯はパクチーだよ」
「……え!?」
「うっそー!」
「ちょ、ちょっと!」
「ふはは! ユズで遊ぶの、たっのしぃ〜!」
笑顔は人を笑顔にする。
ユズもつられて、くしゃっと笑った。
心のどこか、椅子に腰掛け傍観している自分の欠片は、不思議に思う。
――いくらなんでも、ふたりが帰ってきたことに気づけないなんて。
その日、パンと味噌汁を食べた。
組み合わせはヘンテコに思えたが、甘味も塩味も身に染みた。食事をするだけで人は幸せになれるのだな、とふんわりと思う。当たり前にそれをして、どんどんと理想を膨らませている間には、気づけなかったこと。
感覚のセンサーが、柔らかく、鋭くなっていく。
こんな人生も、悪くない。
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